2-5 商店街の定理 ~決勝 北海の白狼・鶴川朱麻里戦~(後編)

 観客たちは明智よりも朱麻里の圧倒的な外見、そして所作の威圧感にすっかり目を奪われている。



「当然ですね……この程度なら北海道生まれとして普段から「試されている」分、腕試しになって良かったんじゃないですか?」



(このまま行けば明智との差はおそらく20点近くになるはず……あとはどこでチャランケ中心部の王と玉を解放させるか……しかし、私が片方を獲った時点で、勝ちは決まる……)



 朱麻里が睫毛の長い目を細め、目線だけで明智と盤面をほんの数秒、睨む。



(ヒデトこれ結構追い詰められてる……もしかすると、奥の手を使うしかないかも……それってさぁ……もしかして、この場にあるものを何でも使っていいってこと……オーライ?)



 明智は取り残された歩に中指を突くようにして進め、真剣そのものの眼で何かを考え、そして指を引っ込めて左の手のひらに方程式のようなものを書き並べ、その上で納得して再び構える。



 既に10秒を切る警告音が鳴る中、明智は瞬時に左の人差し指と中指で右の中指を固定し、意を決して歩を弾いた。



「”ハスカップ☆Aカップミサイル”!」



「っ……?!!」



 歩は脚の部分で朱麻里の胸のベスト生地部分に斜めに衝突し、そのまま頭の方を向けて盤の天王山に位置する将棋の山へと中枢へとV字型に飛行し、突入していった。



 まさかのラフプレイに思わず目を見開き、顔をしかめる朱麻里。


 

 ガシャン、と”白金評定鼎談 (プラチナム・チャランケ)”が崩れて、「良い感じに」崩壊を起こす。王と玉は姿を見せ、駒が周囲を囲う形を残したまま、ミサイルとなった歩も盤上に無事着弾した。



 すぐに明智がクロックを押す。



 規定では手番で鳴ったら「速やかに」クロックを押さなくてはならない。これは5秒までが上限と公式で決まっている。



 オォォォォォォ――!!!



<で……出ましたァァ!! 相手を中傷しながら歩を対戦相手に当て、盤上に出してから戻すという荒技! 一歩間違えれば失格の技を、なんと明智五段がやってのけたぁぁ! 鶴川選手の胸を壁とすることで、歩がミサイルになってチャランケを破壊! これは鶴川選手の精神まで破壊しそうだぁーッ!!>



「朱麻里ちゃん相手に汚ねえぞー! カツラのコスプレ野郎! さっさと負けろー!!」



「そうだそうだ! 調子乗ってんなよ小僧!」



3ターン目 先手 明智ヒデト:歩2 2点

3ターン目 後手 鶴川朱麻里:飛角 10点



 野次が飛び交う中、朱麻里は胸を左手で押さえ、幅の広い肩をガタガタと震わせ、顔は紅潮して汗をかいている。



「今のはね……弾性だんせいを利用した荒技でね……逆の力を粘性ねんせいって呼ぶんだけど……ガールの胸の弾性から見て、応力とひずみの関係でほぼ線形弾性せんけいだんせいが発生するだろうと計算して、ヒデト勇気出して撃てた……どうしたの……ガール、暑い? 麦茶とか飲む……飲まない?」



 凄い早口で明智が説明するのを、朱麻里がさえぎる。





「……してんだよ……」



「何言ってんの……もしかして、怒ってる……怒ってない?」



「怒ってんだよ……オッサン、とことん侮辱しやがってよぉ……イライラしてんだよ!!」



 朱麻里は崩れた駒を勢いよく掬い上げる。またたく間に音も立てずに二段の駒が盤上から落ちた。



3ターン目 後手 鶴川朱麻里:飛飛角銀桂歩3 22点

4ターン目 先手 明智ヒデト:歩2 2点



<凄い迫力! 罵りながらも凄い速さで駒を落としていきます! それにしても鶴川選手、座高が高いですね~ 先ほど「お弾き」をして失った1ターンが効いてきています、逃げる鶴川、追う明智か?!!>



「座高とかうるせーな……ほら、どうした……勝ってみろよ、カツラ野郎」



「うーん……参ったねこりゃ、どーも。でもさぁ、ヒデト思うんだけど……これカツラじゃなくて地毛だって……それとヒデト思うんだけど……そういう本性現したガールも凄く似合ってる……じゃあ王は貰っていくからね」



 明智は13cmはあるという右手の親指で三段になっていると思われる王の山を巻き付けるようにして、そのまま引きずっていった。ボタボタと盤上から駒が落ちていく。



4ターン目 先手 明智ヒデト:王角金桂香香歩5 34点

4ターン目 後手 鶴川朱麻里:飛飛角銀桂歩3 22点



<おっとぉ!! 明智選手、いきなり王の山をチャランケとおもわれる塊から一気に引きずっていった。音が全く出ない……なんと、これで一気に32点を獲り、逆転しました! 凄いし、汚いぞっ……大逆転!!>



(ヒデト思うんだけど……さりげなく点数間違えずに数えてる柴田も凄い……凄くない?)



「ぐぅ~ッ!! あのチャランケ崩壊さえ無ければ……だけど……まだこれなら玉がある……!」



「良いんだぜ……来いよ。全力で当たってきな……フォックスガール……ヒデトにさ、ダイブしてこいよ……!」



 朱麻里は玉のあるだろう山塊を全力で睨むと、将棋盤から丁度倒れた駒1枚をカバーできる高さで水平に中指を固定させ、不安定な山塊に他の駒を次々とドッキングさせ、城のような形で一気に叩き落とす。



「”ピリカ! ドッキング・五稜郭ごりょうかく”!!」



4ターン目 後手 鶴川朱麻里:玉飛飛角金金銀桂香歩6 46点

5ターン目 先手 明智ヒデト:王角金桂香香歩5 34点



「「オォーっ! 朱麻里! 朱麻里!」」



<ここで唐突に五稜郭が出現! 25点が入り、あと5点というところまで迫ったー! さぁ、残るは中駒ちゅうごま(2点の金銀桂香のこと)と歩を取り合う展開です……!>



「さあどうする……オッサン、いや協会の犬、明智……なっ……それって、ビッグカツ……?!」



 明智は再びビッグカツの袋に深々と右手の中指を入れ、将棋盤へと脂を垂らしながら進ませる。



「ここからかな……」



<明智選手、準々決勝のアレです。ビッグカツから出てくる謎のあぶら! 絶対ビッグカツのものではなさそうだが、何を始めるのか……?!>



 明智の中指が着地すると、それは脂を垂らして複雑に指の形を変え、蛇行しながら駒を回収していく……3枚を指で掴み、同時に引きずるようにしてくねくねと実に計11枚の駒を回収していった。



「”流氷船GARINKO☆ヒデト号”!」



<これは、網走の例の観光流氷船か?! それにしても見栄えが汚い! 将棋盤が脂だらけになってしまったが、どうやら勝負あったようです――!>



 明智は金、銀2、桂2、香、歩5枚をときおり盤外に出しては回収を繰り返して獲得――そして勝利が決まった。



5ターン目 先手 〇明智ヒデト:王角金金銀銀桂桂香香香歩10 51点

5ターン目 後手 ●鶴川朱麻里:玉飛飛角金金銀桂香歩6 46点





「嘘だ、私が、こんなヤツに負けるって……くぅッ――!!」



「ごめんね……ヒデト結構さ、勝つためなら手段選ばないから……これってさ、遊びじゃなくて勝負だから……悪いけど、そういうことだから」



<明智ヒデト選手、今大会優勝!! 優勝賞品として、商店街オリジナルトロフィーと、中山商工会議所の会長から、商店街限定ゴールド商品券5万円分が贈られます。そして、準優勝の鶴川朱麻里選手、惜しくも決勝で敗れてしまいましたが、商品券2万円分が贈られます。次回も是非、チャレンジしてくださいね! 以上、日本将棋崩し協会の広報担当、柴田健太郎からお送りしました!>



 最後に大柄な柴田がペコリ、とカメラに向けて頭を下げる。こんなものをどこで放映するつもりなのかは分からないが。



 トロフィー贈呈になって、藤井サクラが慌てて、ハンカチを差し出した。さすがの小学生でも、脂まみれの手で商店会の会長からトロフィーを貰う訳にもいかないとは感じるだろう。



 トロフィーと景品を貰い、柴田に適当に手を振ると、明智はさっさと商工会館を後にしようとサクラを連れて出ようとしたが、サクラが見当たらない。



 後ろを振り返ろうとしたところで、トントンと肩を叩かれた。


 すると、そこには鶴川朱麻里が。



 立ち姿の朱麻里はすらりとしていて170cm少し程度、明智よりちょっと低いくらいで、脚も特別長くはないが、単に姿勢が良くて胴が長く、座高が極端に高いだけのようだ。



「あの……明智さん、もう一度勝負しません? 今度は普通の将棋で、平手で構いませんから」



「ごめん先生、捕まっちゃった」



 サクラが、何故か朱麻里に腕を掴まれている。



「ガール……暑くないの? ヒデト思うんだけど、悪いけど早く商品券でチョコバッキー買って食べたい……一緒に食べたくない?」



「平手で将棋打つのと、さっきのお返しで平手打ちされるのと、どっちにします?」



 朱麻里が引き攣った笑顔で明智に問いかける。



「そう……参ったね、こりゃ……どーも」



 この後、普通に朱麻里に将棋でボコボコに負け、二枚落ちの二回戦でも明智の大敗となった。





――帰り道。



 最寄り駅までの間を、チョコバッキーを齧りながら三人で会話する。



 やはり明智と朱麻里は服装で損をしているのか、暑いようで既に二本目だ。チョコバッキーは6本あるのでさほど問題なさそうだが。



「明智、さん……「崩し」に拘る理由って何なんでしょう? 一歩間違えたら、崩しでも私が勝っていたはず。そうでしょう?」



 朱麻里がチョコバッキーにしゃぶり付きながら、問いかける。



 明智は質問をはぐらかすように彼女に返した。



「人間さ、色々強くなるために理由ってある。確かに今日はヒデト正面からガールとやりあってたら負けてたかも……でもさぁ、物理法則使って、手段選ばなければ勝てちゃう。それが「崩し」。逆に思うんだけど……ガール、なんで将棋強いのに、「崩し」に拘る訳? もしかして、ヒデト思うんだけど……将棋って女流? とかあって、要は最強? になれないのが理由……違う?……違わない?」



 はっとしたように朱麻里が明智の顔を見る。



 明智の表情は今まで見た時のどれよりも真剣そのものだった。



「良く見てるじゃない……あれって差別だと思いません? あと、ガールって……なんか言われると、ムズムズするってか、名前で呼んでくれてもいいんじゃないかと」



「そうだよね……シュマリ。今の棋界、どう考えてもおかしい……おかしくない? LGBT問題とかにそぐわないじゃん。そういう意味で一石を投じようとしてるシュマリの気持ちって尊いと思う。でもまずさぁ……協会来いよ。ヒデトの他にもっとやべえ奴とか、いるからさ。戦術も何でもアリで楽しいぜ……それにヒデト「崩し」でどうしても倒したい相手いる……」



「……お断りします。全国大会が今度あるので、またそちらでリベンジさせてもらえまえんか? あと、これ頂きますね。それでは」



 チョコバッキーの最後の一本を朱麻里に取られ、それを齧りながら最寄り駅の方へと駆けていく。



「先生、お姉さんにふられちゃったね」



「……別にさ、ヒデトそういう意味でシュマリと話した訳じゃないけどさ……でも、全国大会って良いよね。多分ヒデト、それに絶対出ると思う」



 ふと前を見れば、とある有名人の「危険! 事故は”待ったなし”ですよ!」というポスターが貼られている。



「そういえば、先生が言ってた、どうしても倒したいって、誰なんですか?」



「ヒデトさぁ……あいつに勝ちたい……”織田おだ十冠じっかん”」



 明智が指をさしたポスターには、18歳で史上最年少の十冠じっかん(2024年時点での八冠に棋神きしん脳王のうおうを足したもの)を果たした織田おだ輝信てるのぶ、21歳の爽やかな笑顔があった。





一方で――



「グゥワァァァァー!! 明智ヒデト! ブッ潰す! ブッ潰してやる!!」



 都内某所の自宅アパートで隣人に聞こえるほどの大声で叫びながら壁に八つ当たりする、鶴川朱麻里・28歳の姿があった。

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