第28話
しばらく、家で過ごすようになることに兄は特段何も言ってこなかった。
ただ、毎日ご飯という名の、栄養ゼリーだけは摂るように言われていた。
今日も朝というか昼に目が覚めて、リビングまで行く。
「お!おはよ!栞!」
「ん、おはよ」
ソファーに座れば目の前のテーブルには栄養ゼリーが置いてあり、少し緩められている蓋を開けてちびちびと吸う。
「栞〜!今日お兄ちゃんと出かけないか?」
「やだ」
即答すると、特に気にした様子もなく「そうか〜」と聞こえてくる。
兄はこういうところが良かった。俺が、何かおかしなことをしても当たり前のような反応をとってくれていつも気が楽だった。
今日も栄養ゼリーを半分以上残して、テーブルに置いて部屋に戻る。
冷房の効いている部屋はやはり心地いい。
ベットに寝っ転がり、目を閉じて何も考えず眠れるまでそのままでいる。
こうして毎日過ごしていた。そして、決まって夕方の家のチャイムの音で目が覚める。
誰かと出ようとすれば、兄が誰かと話しているのが聞こえる。
そういえば、兄が帰ってきているんだったと再びベットに寝転ぶ。
そこで、ベットの横にある二体の猫のぬいぐるみがあることに気づく。
そういえば、最近抱きしめていなかったなと。一体とって抱きしめるもあの時のような安心感も生まれなければ何も感じない。
それに、意味をなさずにベットの横に猫のぬいぐるみを戻すのと同時にリビングから兄の声が聞こえてくる。
「栞〜!飯の時間だぞ〜!」
ベットから起き上がり、リビングに向かいソファーに座ると栄養ゼリーとその横に卵焼きが置いてあった。
「これ、何?」
「あ、それな〜お兄ちゃんが作ってみたんだけど食べれるか?」
「ん、わかんないけど」
栄養ゼリーを食べる前に箸を手に取って、卵焼きをつかみ一口つ食べる。
「‥いらない」
どこか思い出したくないこの甘い味に体が拒否する。口の中に広がるその味が嫌だ。
卵焼きをティッシュに吐き出して、栄養ゼリーに手をつける。
ちびちびと吸ってまた、半分以上残して部屋に戻ってベットに寝転ぶ。
そのまま目を閉じて意識が遠のいていった。
‥‥
『栞くん!』
目を覚ませば暗闇の中にいた。
そこで、呼ばれたことに気づいてそちらを見れば光り輝くところに先輩がいた。
久しぶりに見るその姿に首を傾げて見つめる。
「陽由、香先輩?」
『うん!おいで?』
その手を広げられて、その腕をジッと見た。
それに最初こそ首を傾げるも不思議と手が伸びて足が動く。
ゆっくりと先輩の方に歩いていき、先輩の目の前まで来ると後一歩を先輩が歩み寄ってくれて抱きしめられる。
それは、強く強く抱きしめられて少し苦しいくらい。
「なん‥で‥」
すると、抱きしめられた瞬間頭の中から落ちていったものが段々と戻ってくる。
先輩と過ごした日々。
先輩の表情、感情。
たくさんの人が教えてくれた感情。
それが、胸の内に戻ってきて暖かくて心地いい。
『ねぇ、栞くんーーだよ」
最後の言葉が聞こえず視界が歪んで意識が遠のいていく。
‥‥
目を覚ませば変わらずの俺の部屋で、時計を見ればいつも通りの昼の時間だった。
「陽由、香さんに、会いたいな‥」
でも、酷いことを言ってしまった。
きっと、先輩は許してくれないだろう。
また、無視をされるかもしれない。
でも、でも話したい。そばにいたい。
そう思えば、涙が溢れだす。
「うっ、うぅ」
声を抑えながら泣いていると、部屋のドアをノックされて兄が慌てて入ってきた。
涙を流しながらそちらを見れば兄は固まったまま、何処か嬉しそうに笑って勢いよく抱きついた。
「お兄ちゃん?」
「栞!お前、ちゃんと思えるようになったんだ!よかった、よかった!」
何を言っているのかわからないが、嬉しそうな兄に抱きしめられたまましばらく過ごした。
その後兄に、先輩とのことを出会ってから今までのことを打ち明ける。
兄は何も言わずに最後まで聞いてくれた。
「俺、また陽由香先輩に会いたい‥!」
「そうか‥。実はな、毎日その陽由香さん?って子が家に来てたんだ。栞のことを話してくれて謝りたいって言ってて、でも今の栞にはきっと無理だからいつも帰ってもらってたんだ」
「え‥」
じゃあ、毎日夕方に鳴っていたチャイムの音は先輩が家に来てくれていたんだ。
初めて知ったことに頭が追いついていない中、兄はリビングまで連れていきソファーに座らされた。
目の前には今朝の卵焼き。
もしかして。そう思って、箸を手に取り一口食べる。
「甘い‥甘くて美味しい‥」
再び涙が溢れ出して止まらない中、残りの卵焼きを口に入れる。
懐かしい先輩の作った甘い卵焼きの味だ。
何で今朝気づかなかったのだろう。
兄は背中をさする中涙を流しながら卵焼きを食べて飲み込む。
「まだ‥間に合うかな‥」
「うん、大丈夫だ。それに、何かあったらお兄ちゃんを頼ってこい」
あぁ、昔からその力強いその言葉に元気付けられてきた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
そう言うと、兄まで泣き出してしまい。二人して抱きしめあって涙を流した。
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