第2話 研究

 ――話は一か月前にさかのぼる。


 東京のとある街にある大手電機メーカー「サニー」のペットロボ研究所。

 白い壁で囲まれたその部屋には、緑色の観葉植物と数台のPC端末が置かれ、真ん中に大きなガラスケースが鎮座していた。


 中には、猫と同程度の大きさの四足歩行のロボットの骨組みがあり、メタリックなそれの頭からは幾本ものコードが延び、外へと繋がっていた。


 ここでは、空前のペットブームに照準を合わせ、本物の猫に極力近づけたペットロボットの開発が行われていた。猫は飼いたいが、猫中心の生活になるのはいやだというわがままな需要がそれなりに見込まれたためだ。


 だが、一つ大きな問題があった。それはいわゆる「不気味の谷」問題だった。元々、人型ロボットについての仮設だが、「人はロボットが人間に似始めると最初は好意的な感情を示すものの、あるポイントに達すると気持ち悪いと感じる」というものだ。


 ここで研究されている猫型ロボットについても、最初は全てを本物に似せるべく研究が始まった。見た目を猫そのものに近づけると言うことはもちろんだが、特有の「気まぐれに甘える」「近づくと逃げる」「一日の大半を寝て過ごす」といった行動や、身の軽さ、動きのしなやかさ、感情の変化に伴う仕草まで、事細かく研究は行われた。


 そして、やはりこの不気味の谷にぶち当たった。多くの研究者がこの困難な壁を乗り越えるべく努力をしたが、誰もそのポイントを超えることができなかった。そのため、一時は不気味の谷の手前で似せるのを止めるとともに、ゆるキャラ的なデザインに寄せようという案まで出ていたのだ。


 だが、ある日、その状況は大きく変わった。

 それは、ぼく「黒野くろの大和やまと」が研究所に入所した事による。自分で言うのもおこがましいが、ぼくは日本が世界に誇る若き天才ロボット工学研究者なのだ。


「大和君。キャット・ミューティレーションって知ってる?」

「いや、知らないっす」

 ぼくは研究主任である上条さやか女史にそう答え、首を振った。


 真っ白な壁に囲まれた研究所でぼくはちょうど、猫ロボNx24-04の調整をしている最中だった。


 もう。今、忙しいんだけどな……。

 心の中で文句を呟きながら上条主任を見ると、ぽっちゃりとした半笑いの表情が目に入った。明らかにイジりに来ている。


「あっ! あれでしょ! 宇宙人が牛とか謎の力でさらって、お腹にレーザーだかで穴を開けて内臓と血が抜かれてしまうっていう……」

 ぼくは、主任のぽっちゃりした顔から連想した知識を披露した。


「おしいっ! おしいわ。それはキャトル・ミューティレーション。最近はめっきり聞かなくなったけど、若い割によく知ってるわね。私が言ってるのは突如、家猫がいなくなるっていう事件のことよ」


 主任は両手の平を上に上げて、また首を振った。

 ふっというため息が聞こえてくる。


「それって、いなくなるだけですか?」

「そうよ」


「でも、それじゃミューティレーションじゃなくて誘拐アブダクションの方がピッタリくるんじゃないですか? ミューティレーションってくり抜くみたいなことでしょ?」


 そう言った途端、パシンと音を立てて背中をはたかれる。

「いってえ……」


「そんなことは知らないわ。きっとあれじゃない。キャットとキャトルでごろがよかったのよ」


「ごろって!?」

 ぼくが呆れたように言うと、


「まあ、細かいことは気にしないの。それより、この事件のことを知らないってことは無いよね。仮にも猫ロボ研究のエースが」

 主任はそう言って胸を反らした。


 ぼくはため息をついて

「そうっすか? でも、猫なんて普通に結構いなくなるもののような気がしますけど?」

 と指摘し、話題を違う方向へずらしてみた。


 すると、

「違うの。普通猫がいなくなるときっていうのは、不注意で窓を開けてたりして外に出て行って帰ってこれなくなるって感じじゃない? でも、今回の事件は完全な密室からいなくなっているの。どれもきちんと鍵をかけていたにもかかわらずいなくなってる。それこそ、朝起きたらいなくなってるなんてことも多いの」

 と、真剣な顔で言ってきた。


「ふうん。そうなんすね」

「でも、本当に知らないのね!? あんなに大騒ぎになってるのに!!」

 主任は上を見上げ、額に手をやった。


「いや。まあ、はははは。何でか、ぼくの見るニュースサイトにはその情報上がってこないんですよね」


「ここのエースでありながら、猫への無関心は許せないわ!! 私なんて、この事件が話題になり始めてからというもの、うちの虎徹こてつも連れていかれるんじゃないかって心配で、心配で仕方が無いっていうのに!」


「え。主任、猫飼ってるんすか!? 意外っす」


「今頃何を言ってるの大和君。私みたいな凡人がここに配属されたのは猫好きなのを評価されたからなのよ。分かる? 天才君」


「止めてくださいよ。それに主任は凡人じゃ無いっすよ」

 いじり続けようとする主任にそう言うと、ぼくはくるりと椅子を回転させ端末に向かった。


 そもそも、ぼくだって猫は好きなのだ。猫アレルギーで飼えないから、この研究を始めたと言っても過言ではない。

 ぼくは大きく息を吐くとキーボードに指を踊らせた。

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