第3章 「KOBE-1 Graffitiへの道」

【第3章・パートA】

1.ショー当日の準備と不穏な噂

あれから数日が経過した。

神戸の街では「KOBE-1 Graffiti」という格闘ショーの告知が至るところに貼り出され、SNSなどでも話題沸騰中。

演劇・ダンス・格闘技を融合した新感覚イベントとして、神戸県が大々的に後援しているらしい。もちろん、そのプロデューサーの一人が東雲(しののめ)ジュリ。


「さて……いよいよ明日だな、ショーの本番は。気持ちを引き締めていこうぜ。」

薄暗いアパートの一室。峯岸(みねぎし)光雲(こううん)がテーブルを叩きながら言う。

向かい合う弟子の三人──佐伯(さえき)ライチ、藤浪(ふじなみ)卓矢(たくや)、春口(はるぐち)幸奈(ゆきな)──も深刻な面持ちだ。


「ホントに出るんですよね、あのショーに。大勢の前で派手に戦うってことは、完全に“神戸県”に目を付けられますよ……?」

春口が不安そうに眉を寄せると、藤浪は腕を組んで首を傾げる。


「もう既に目は付けられてると思うけどな。俺たち、道場やぶりで暴れてきたわけだし。それに、東雲ジュリに協力を頼まれた以上、行かないわけにもいかん。」


佐伯も頷く。

「それに、何かしらデカい動きがあるなら、こういう表のイベントで仕掛けてくる可能性は高い。むしろ自分たちの目で確かめるチャンスだ。」


峯岸は押し黙っていたが、やがて重々しく口を開く。

「狙いは“神戸県道場塔”の情報だ。ジュリをはじめ、あの組織の連中が揃う場所なら、いくばくかの手がかりを得られるはず……俺たちが出場することで、上層部や関係者も姿を現すかもしれん。」


「でも、むやみに戦うだけじゃなく、舞台裏や関係者に接触する手も考えないと……。」

春口が真剣に提案する。峯岸はそれを聞き、「ああ、その通りだ。やみくもに暴れるのは後回しだ」と頷く。


「とにかく、あすは神戸ポートタワー近くの特設会場に集合だ。大会ルールはショー形式らしいから、演出家や審判の指示には従わなきゃならんかもしれん。変に肩肘張らずに、柔軟に動くぞ。」


そう言い渡した峯岸の目には、微かに不敵な光が宿っていた。

弟子たちも「了解です、師匠!」と拳を握りしめる。


2.神戸ポートタワー前:ショーの開幕

翌日。

朝から好天に恵まれた神戸の湾岸エリアは、観光客やショーの来場者であふれている。ポートタワーを背景に、高層ビル群と海が広がり、きらびやかな都会の空気が漂う。

その一角に突如として建設された**「KOBE-1 Graffiti特設会場」**は、仮設ステージやステンドグラス風の装飾が目を引き、すでに大勢の観客が列を成していた。


「すごい人だな……普通のイベントみたいに、なんの疑いもなく楽しんでる。」

佐伯が人ごみを見渡してつぶやく。

「神戸県が後援してるってだけで、こうも盛り上がるもんなのか……」


「まあ、マスコミやSNSは総出で宣伝してるみたいだし、パフォーマンスは華やかだからな。一般の人には問題の裏側なんて見えない。」

藤浪が淡々と言葉を継ぎ、春口は警戒しつつ周囲を見回す。


「それにしても、警備員らしき人が多すぎない? あの人たち、普通のスタッフじゃない気がする。」

確かに、会場周辺にはやけに物々しい防護服を着た男たちが巡回している。おそらく“神戸県”関連の組織だろう。


そんな中、突如として明るい声が聞こえる。

「こっちよ、みんな! ようこそKOBE-1 Graffitiへ!」


姿を現したのは、やはり東雲ジュリだった。今日もきらびやかなドレスを纏(まと)い、ヘッドセットマイクで指示を飛ばしている。彼女が手招きすると、峯岸たちはステージ裏へ通された。


「来てくれたのね。嬉しいわ、あなた達がどんなパフォーマンスを見せるのか楽しみ!」

ジュリは相変わらず人当たりの良い笑顔を浮かべる。その背後には、数名の屈強なスタッフらしき男たちが無表情で控えている。どこか軍隊のような規律を感じさせる。


「なあ、ジュリさん。今回の演出はどんな感じなんだ? 俺たちは何をすればいい?」

峯岸が直接切り出す。ジュリはくるりと回ってステージのほうへ向き直ると、大きく両手を広げる。


「簡単に言えば、“異種格闘技パフォーマンス”よ! ダンサーやアクロバット、楽隊が出てきて盛り上げたあと、複数のファイターが華麗な技を披露しながらトーナメント仕立てで勝ち上がる仕組み。お客さんに楽しんでもらうのが第一目的だけど……。」


そこで彼女は、少しだけ声のトーンを落とす。

「一部、強力なスポンサーが『目立つ新人を発掘する』目的で注目しているって噂があるわ。あなた達がインパクトを残したら、あるいは“上層部”と接触できるかもしれない。」


峯岸はジュリの意図を察し、「なるほどな」と小さく頷く。

佐伯が「つまり、ここで圧倒的な強さを見せつけたら、神戸県のお偉いさんに気に入られて、直接会うチャンスができるってこと?」と尋ねると、ジュリはウィンクを飛ばした。


「そういうこと。ま、舞台だからあんまり流血とかは困るけど、派手にやっちゃって大丈夫よ。私が上手くフォローしてあげるから。」


「分かった。あとは流れに任せてやってみる。……ただ、俺たちは復讐のために来てるわけじゃない。神戸県の正体を暴くためだ。」

峯岸が低く言い放つと、ジュリは一瞬だけ目を伏せる。


「復讐……まあ、そこは大人の事情ってやつね。気をつけて行動してね。あなた達の命、私が責任を持つわけじゃないんだから。」

そう言い残すと、ジュリはスタッフに指示を出しに行く。背中越しに見える長い髪が、風になびいた。


春口は小声で「彼女、何を企んでるのかしら……」と呟くが、峯岸も同じく疑念を拭えずにいた。

しかし今は、それを確かめる術もない。とにかく“ショーに参加し、存在感を示す”──これが目前のミッションだ。


3.ショー開演:プレリュードのダンスと場内の熱狂

午前10時を迎えると、会場アナウンスが流れ始めた。大音響のBGMが鳴り、カラフルな光がステージ上を演出する。

続々と観客が席に着き、KOBE-1 Graffitiの幕が上がる。


「Ladies and Gentlemen、Welcome to KOBE-1 Graffiti! 魂のこもった格闘と芸術の融合が、今ここに開花します!」

司会者の声が響き渡ると、ダンサーたちがステージに躍り出て華やかなパフォーマンスを繰り広げる。アクロバティックな動き、燃え上がるような照明、観客の歓声が一斉に混じり合う。


舞台袖で待機していた峯岸たちは、その熱気を肌で感じ取った。

「すごい迫力……さすが大規模イベントだ。」

藤浪が額の汗を拭きながら感嘆すると、佐伯は逆に闘志を燃やす。


「こんだけ観客がいるなら、やりがいがあるってもんだ。派手にぶちかましてやろうぜ!」


「ええ、でも余計なトラブルは避けたいわね……。観客に怪我させちゃダメよ。」

春口はあくまで冷静。

峯岸は苦笑しつつ、「まあ、安全第一でな。だが、やるときはやるぞ。目にもの見せてやろう」と背筋を伸ばす。


次々にダンサーや曲芸師が登場し、一旦興奮が高まったところで、司会者がマイクを握る。

「さてお待ちかね、ここからは“KOBE-1 Graffiti”名物の格闘パフォーマンス・トーナメント! まずは本日の挑戦者たちを紹介いたしましょう!」


大歓声の中、ファイターたちがステージに呼び込まれる。総勢8名。峯岸たち4名も含まれているが、他にもムエタイ系の選手やボクサー、カポエイラ風の動きをする謎のファイターが並んでいる。

みな個性的で、ステージ上のランウェイを歩くように登場すると、観客席から声援や野次が飛ぶ。


「紹介しよう、エントリーナンバー1番! “最強のじいさん”峯岸光雲! そしてその弟子たち、佐伯ライチ、藤浪卓矢、春口幸奈の3名!」

司会者の気迫を帯びた叫びに、観客席がどよめく。さすがに“じいさん”呼ばわりされるのは心外だが、峯岸は苦笑しながら観客に目礼する。


「続いてエントリーナンバー2番! ムエタイの鬼神、“ラウ・バラット”!」

見るからに鋭い眼光の男がナックルを打ち合わせて吼える。


「3番! ボクシング界の新星、“高山(たかやま)トール”!」

長身のボクサーがグローブを掲げる。


「4番! 神戸県公認か? 正体不明の“マスクド・ゴリアテ”!」

真っ黒なマスクで素顔を隠した巨漢がポーズをとる。

他にもエントリー5番、6番、7番と、マイナー流派やアクロバット系のファイターが続々登場していく。


会場はすでに祭りのような熱狂ぶり。ステージ横に巨大なスクリーンが設置され、ファイターのプロフィールや映像が映し出される。

やがて、司会者がトーナメント表を提示。8名が2人ずつ対戦する形式で勝ち残りを競うという。さらに観客投票で「パフォーマンス得点」が加算される仕組みらしい。


「なるほどね……要は華やかな試合を見せた者が勝ちやすいってことか。」

藤浪が観客席を見渡す。そこにはスマホやタブレットで投票に参加できる仕掛けがあるようだ。


「でも普通に強ければいいってわけじゃなさそう。派手な演出も必要かも……。」

春口が眉をひそめる。その横で佐伯はゴキゴキと拳を鳴らし、「パフォーマンスも大事だけど、結局は勝った者が一番目立つんじゃないのか? やってやろうじゃん!」と気合十分。


峯岸は弟子たちとアイコンタクトを交わし、「まあ、いつも通り戦うだけだ。お前ら、けがはするなよ」と一言。

そんなやり取りを経て、いよいよトーナメント第一試合の鐘が鳴る――。


【第3章・パートB】


4.第一試合:佐伯ライチ vs ラウ・バラット

「第一試合! “佐伯ライチ” vs “ラウ・バラット”!」

アナウンスが会場に響くと、舞台中央にリングのようなスペースが設置される。ライティングが切り替わり、観客の期待がいっそう高まる。


「いよいよか……相手はムエタイの使い手だとか。気をつけろよ、ライチ。」

峯岸がリングへ向かう佐伯に肩を叩きながら助言する。佐伯は軽く首を回しながら拳を握り、半笑いで応える。


「大丈夫っすよ、師匠。奴のローキックが強烈って噂だけど、オレは足技にも慣れてるんでね。」

リングへ上がった佐伯を待ち構えるラウ・バラットは、すでにムエタイ式のワイクルー(試合前の舞踏)を披露している。独特のリズムが場内に流れ、その動きからは経験豊かな殺気がうかがえる。


「いざ、開戦!」

司会の合図と同時に、ラウは低く構えて左右のローキックを連打してきた。ゴッ、ゴッ、という鋭い衝撃音が響き、佐伯は必死にブロックを試みる。


「く……やっぱ重い!」

ムエタイ特有の骨の硬さと破壊力を感じ取った佐伯だが、怯まず前進。相手のリズムに合わせてジャブやストレートを打ち込み、正面から撃ち合いに出る。


「オラァッ!」

佐伯が踏み込んでボディブローを放つと、ラウはガードを固めつつヒザを打ち上げてくる。ガツンと衝突し、佐伯が一瞬後退。ラウの膝は容赦なく腹筋をかすめ、息が詰まる。


「クッ……なかなかやるな……。」

佐伯は苦悶の表情を浮かべながらも懐に潜り込み、連続アッパーで反撃。ラウも速やかにミドルキックを合わせようとする。両者、激しい打撃の交換が止まらない。


【回想:佐伯のキック対策】

思い出すのは1年前、峯岸道場での稽古。


佐伯は打撃主体だったが、春口に柔術を教わったり、藤浪とキックの練習を繰り返したりして総合的な戦闘スタイルを身につけつつあった。

特にキック防御が弱点だったため、師匠のアドバイスで「ローキックのカット」「ステップインのカウンター」などを重点的に練習した。

「蹴りが来たら半歩踏み込み、逆に懐へ飛び込め」と峯岸に言われ、彼は猛練習を積んだのだ。


その成果が今、試合で試されている。


「うおおっ!」

ラウが再度ローを放つ瞬間、佐伯は半歩踏み込み、相手の股間寄りに体をずらすようにしてショートアッパーを打ち込む。

「ぐあっ!」とラウがうめき、体勢を崩したところへ、さらに左右のフックを叩き込む。


「くそ……!」

ラウは必死にガードを固めるが、観客席からは「ライチ頑張れー!」という声援が飛ぶ。勢いづいた佐伯は一気にラウをロープ際へ追い込み、最後の右ストレートを振りかぶる――。


「ぬぉぉぉっ!」


ズドン!

強烈な一撃がラウの顎を捕え、衝撃で彼は後ろへ吹っ飛ぶようにダウン。レフェリー(演出兼務の審判役)がカウントを数え始めると、ラウはフラフラしつつも立ち上がれず、そのまま10カウントが入る。


「勝者! 佐伯ライチ!」

観客は大歓声。音楽が再び鳴り響き、スクリーンには佐伯のアップが映し出される。白熱の初戦を制した彼の息遣いは荒いが、顔には勝利の高揚感が広がっていた。


「やったぜ……!」

リング下で見守っていた藤浪と春口が拍手で迎え、峯岸は満足げに頷く。

司会は「すばらしい試合でした! これは高得点が期待できそうだ!」と煽り、観客による投票が始まる。スマホ画面での操作らしく、スクリーンの端にリアルタイム投票結果が映し出されている。


「お、かなり高い……今のところ90点超えか……?」

春口は表示を確認して驚く。どうやら、佐伯の激しい打ち合いが観客の心をつかんだようだ。


【負けたラウの呟き】

倒れたラウはスタッフに支えられながらリングを降りていく。その脇を通った佐伯は、ラウの呟きを耳にする。


「くそ……“神戸県”のスポンサーにアピールするはずだったのに……結局、俺は……何も得られねえ……」


目を伏せるラウ。その言葉に佐伯は一瞬引っかかりを覚えた。ムエタイ選手である彼も、何らかの目的でこのショーに出場していたらしい。

しかし今はあまりに時間がない。佐伯は軽く会釈をして、セコンドたちの待つ控えエリアへと戻った。


5.第二試合:春口幸奈 vs マスクド・ゴリアテ

勝利した佐伯が戻るや否や、次の試合アナウンスが流れる。

「続いて第二試合! “春口幸奈” vs “マスクド・ゴリアテ”! 暗黒の巨人と噂されるゴリアテ選手の登場です!」


春口はリングへ向かいながらも、対戦相手の姿を遠目に見て唇を噛む。巨体でマスク姿、何より異様な雰囲気を放っている。

「でかい……完全にリーチ負けしてる。しかも、何か怪しいオーラすら感じるわ。」


「心配するな、春口。お前の柔術は体格差を逆手に取れるはずだ。」

峯岸が激励するが、内心は不安を抱いていた。

(このゴリアテとやら、明らかに普通じゃない……神戸県の実験体かもしれねえ。)


リングに上がった春口は、ゴリアテの圧倒的な身長差に圧迫される。観客からは悲鳴混じりの声が上がる。

「うわぁ……あれ相手に戦うの? やばすぎない?」


「はっはっはっ……」

ゴリアテは闇の底から響くような笑い声を漏らし、両腕を大きく広げる。まるで猛獣が獲物を威嚇するようだ。

レフェリーがゴングを鳴らし、試合開始――。


「いくぞ……!」

春口は素早いフットワークで懐に入ろうとするが、ゴリアテは豪腕を一閃し、まるでハエを払うかのように殴りかかってくる。ドゴッという重い衝撃音が空気を裂き、春口はギリギリで体を捻って回避。


「な、なんてパワー……本気で受けたら一撃で終わるわ!」

ヒヤリと冷や汗が流れる。ゴリアテはすかさず突進してきて、ロープに追い込むかのようにプレッシャーをかける。まるでレスラーのタックルのような動きだ。


「はあっ……!」

春口はタックルを捌くようにゴリアテの腕にしがみつき、その巨体を利用して投げを狙う。しかしゴリアテはあまりにも重く、少しもバランスを崩さない。


「ちっ……それなら!」


春口は咄嗟に相手の背中側へ回り込み、首や腕を極める関節技に入ろうとする。だがゴリアテの筋肉は岩のように硬く、まったく柔軟性がない。逆に腕を振り払われると、春口は床に転がる形になり、すぐ立ち上がるものの焦りが募る。


「こいつ、力だけじゃない。どこかでトレーニングを積んでるわね……」


ドスン……ドスン……とゴリアテがゆっくり歩み寄り、その巨拳を振り上げる。観客からは悲鳴と期待の入り混じった声援が飛ぶ。

「がんばれー! 気をつけてー!」

「やっちまえ、ゴリアテ!」


【過去回想:春口の挫折と柔術】

——かつて彼女は、総合格闘技のトーナメントで体格差による圧倒的な敗北を経験していた。師匠のもとで柔術を学び、誰よりも技術を磨いてきたのは「体格の不利を克服する」ためだった。

峯岸に「無理に力勝負するな。相手を泳がせ、締め技や極め技のチャンスを待て」と教わり、何度もスパーリングをこなしてきた。

そこで得たのは、身体を相手に巻きつけるようにコントロールする“密着戦”の極意だった。


「そうよ、力じゃかなわない。でも、技でいけるはず……!」

春口はそう自分に言い聞かせ、ゴリアテが大振りのパンチを繰り出す瞬間に、思い切って懐へダイブする。巨大な腕にぶつかりながらも、そのまま相手の胴体を巻き込むように抱きかかえ、締めの態勢に持ち込む。


「くっ……動け、動いて……!」

ゴリアテは必死に振りほどこうとするが、春口は足を巧みにフックし、背後からチョークスリーパーを狙う形になる。しかしマスクが邪魔をしてうまく首をホールドできない。


「ヌォォォ!」

ゴリアテが背中を壁に激しく打ちつけ、春口を強引に剥がそうとする。ガンッ、という衝撃が背筋を貫く。激痛が走るが、春口は歯を食いしばる。


「がは……でも、離さない!」

全身を固めるようにしがみつき、ついにマスク上部付近から首筋へのアプローチに成功。チョークの角度を微妙に変えながら締め上げる。


「ガッ……ガァァッ……!」

ゴリアテがのたうち回り、リングを転げ回る。2メートル近い巨体が暴れる様は凄まじい光景で、観客席から悲鳴と歓声が入り混じる。

レフェリーが注意深く様子を見守りながら、「ギブアップするか?」と確認する。


「ゴリアテ選手、どうするー?」

司会者の煽りに反応するかのように、ゴリアテは必死にロープを掴む。通常のルールならブレイクとなるが、ショー独自のルールなのか、レフェリーはブレイクを宣言しない。


「この大会は、ロープブレイクが無効です!」

司会が叫ぶ。観客はさらに熱狂。


「やめろ、これじゃ危ない!」

藤浪や佐伯がリング下から声を上げるが、試合は続行。ゴリアテの目は血走り、息が詰まっていく。

そして――。


「グォォォ……ッ!」

ゴリアテが力尽きたようにガクンと膝をつき、そのまま意識を失う。ここでようやくレフェリーが割って入り、試合終了を宣言。

「勝者! 春口幸奈ーッ!」


観客は驚嘆と歓喜の大歓声。特に女性ファイターが巨漢を締め落とす姿はインパクトが強かったのだろう。投票画面も一気に盛り上がり、春口の得点が高騰していく。

スコアは佐伯と並ぶほどの高評価。マスクド・ゴリアテはスタッフに抱えられて退場していくが、その姿を見て峯岸はわずかに眉をひそめた。


(あの男……まるで無理やり薬でパワーアップさせられてるみたいだった。神戸県の実験か……?)


ともかく、春口は勝利を収めた。本人もかなり消耗しており、リングを降りると足元がふらつく。藤浪と佐伯が支え、峯岸が「よくやった、ゆっくり休め」と肩をたたく。

彼女は「はぁ……っ、はぁ……っ……ありがとう、師匠……」と息を整えながら、小さく微笑んだ。


6.舞台裏での思惑

「ふふ……いい感じじゃない。あの子たち、やるわね。」

ステージ袖の一画。モニターで試合を観戦していた東雲ジュリは、満足げに腕を組む。

その傍らには、恰幅のいい中年男性――主任と呼ばれる男が立っている。彼は先日、どこかのビルでモニターを見ていた男その人だろう。


「主任、どうです? あれが噂の峯岸一派ですよ。なかなか盛り上がってますよね?」

ジュリが猫のように目を細めると、主任はフンと鼻を鳴らす。


「確かに腕は立つが、所詮はショーの範疇だ。俺たちが求める“武力”とは違う。それより、道場塔の完成が近い。ここで目立ちすぎると厄介なことになるんじゃないか?」


「ご心配なく。私は強者を集めるのが仕事なんです。彼らが思う存分暴れてくれれば、次のステップへの材料になるでしょう?」

ジュリは意味深に笑い、主任は苦々しい表情を浮かべる。


「ふん……まあいい。もうすぐ“彼”も到着するはずだ。下手を打つなよ、ジュリ。」

そう言い捨てて、主任はステージ奥へと姿を消す。ジュリは一瞬だけ肩をすくめるが、すぐに控室へと移動し、なにやらスマホで連絡を取り始めた。


「さて、次は藤浪卓矢の試合ね……そっちも楽しみだわ。」


何やら只事ではない気配が漂う。多くの思惑が交錯し、KOBE-1 Graffitiという華やかな舞台の裏側で、神戸県の闇がうごめいているのだろう。

峯岸たちは、その事実にまだ完全には気づいていない。だが確実に、次の戦いが近づいていた。


【第3章・パートC】

7.第三試合:藤浪卓矢 vs 高山トール

2試合が終わった時点で、司会者は盛り上がりをいっそう煽(あお)り立てる。

「続いて第三試合! ボクシング界の新星・高山トール選手と、峯岸一派の俊英・藤浪卓矢選手との対決です! ともに身長が高く、スピードとリーチが武器となるこの戦い、見逃せません!」


「来たな……。行ってきます、師匠。」

藤浪は軽くストレッチしながらリングへと向かう。対する高山トールは、華やかなガウンを纏(まと)い、コーナーでシャドーを繰り返している。


「あなたが藤浪さん? よろしくお願いします。」

高山は礼儀正しく声をかけてくる。やや強面だが、目には真摯(しんし)な意志が宿っている。

「こちらこそ。いい試合をしよう。」


ゴングが鳴ると同時に、高山は素早いステップインからジャブを放つ。藤浪も負けじと前蹴りを合わせ、リズミカルな攻防が始まる。

両者ともにスピードタイプ。観客席には「おおーっ」と感嘆の声が広がる。


「ボクサー相手には、下手に蹴り込むとカウンターを食らうか……慎重にいこう。」

藤浪は距離を測りながら、ミドルキックのフェイントを何度か繰り返す。高山は的確にジャブを差し込み、スコアを稼ぎつつ、時折強烈なストレートを狙ってくる。


「やるな……!」

藤浪は肘や膝を使ったコンビネーションを試みるが、高山のガードは堅牢。逆にジャブで顔面を何度か捉えられ、鼻血がにじむ。


「く……くそ、ちょっとペースを変えなきゃ……!」


【過去回想:藤浪のスタイル確立】

——藤浪は、長身ゆえに足技を駆使してリーチを活かす戦い方を得意としている。しかし対ボクサーとなると、懐に入られたときのディフェンスが課題だった。

師匠・峯岸からは「自分よりスピードのある相手なら、一瞬のリズム崩しが鍵になる」と教わってきた。フェイントやステップイン・ステップアウトで相手のリズムを狂わせるのだ。


「よし……!」

藤浪はわざと前蹴りを空振りさせ、高山に「カウンターを狙わせる」よう誘う。その瞬間、高山はストレートを踏み込みざまに打ち込んできた。

そこに藤浪がハイキックを合わせにいく――が、高山はすかさずダッキング。むしろ藤浪の足を狙うようにフックを叩き込む。


「ぐあっ!」

藤浪のわき腹に重い拳がめりこむ。思わず膝が揺らぎ、危うくダウンしかける。観客は大盛り上がり、「高山トール! いけー!」というコールまで始まる。


「くそ……でも、まだやれる……!」

藤浪は意地で踏みとどまり、逆に左のミドルキックを鋭く高山の脇腹に叩き込む。バチンという痛烈な打撃音が響き、高山もたまらず顔を歪める。


「っ……悪くない、藤浪さん……!」

高山は呼吸を整え、両腕を再び構え直す。その目は真剣そのもの。藤浪も血を吐きそうになるのをこらえて笑みを浮かべる。


「……お前もな。こんな舞台じゃなきゃ、もっとじっくり拳を交えたいが……派手にいくか!」


ここから二人の打ち合いがさらに加速する。

藤浪は足技を中心に、高山はボクシング技術を駆使して互いに一歩も引かない。コンビネーションの応酬が観客の目を奪い、スマホ投票も急上昇。


「負けられねえ! 俺もこのショーで存在感を示すんだ……!」

藤浪はややフットワークを速め、右のローキックから左のハイキックへ繋ぐフェイントをかけたあと、高山の頭部にスピンキックを狙う。

が、高山は寸前で頭を低くして回避し、逆に左フックを狙ってくる。まさに好勝負の展開。


【高山トールの決意】

ここで高山の脳裏にも、出場理由がちらりとよぎる。


「神戸県が推進する“格闘技盛り上げ政策”に参加すれば、ボクシング以外の世界でも活躍できるかもしれない。家族のためにも稼ぎたい……。」

「もしここで勝てば、スポンサーから大口の契約があるとか……。」


(負けられないんだ、俺だって……!)

高山は必死の思いでストレートを叩き込もうとする。藤浪のキックをブロックしつつ、正確なパンチを当てにいく。


ガスッ……という鈍い音が鳴り、藤浪のアゴに高山のパンチが入る。

「っぐう……!」

藤浪は視界が一瞬歪むが、ギリギリの根性で踏み留まり、左膝をカウンター気味に飛ばして高山の腹部を狙う。


「うっ……!」

これもヒット。双方ともに満身創痍の状態だが、後がない。観客は総立ちになって応援を続け、その熱気は最高潮に達している。


「ここで決着をつける……!」

藤浪は最後の力を振り絞り、高山のパンチに対してスウェーで後方へ身体を引き、カウンターのハイキックを放つ。高山はバランスを崩して横に回避しようとするが、わずかに間に合わない。


バチィン!

足裏が高山の側頭部をかすめ、衝撃で体勢を崩した高山はリングに膝をつく。追い打ちをかけようとする藤浪だが、ここでレフェリーが割って入りダウンを宣言。

カウントが進む中、高山は唸り声を上げて立ち上がろうとするが、足元がふらつき膝が震えている。結局、10カウントを聞き、崩れ落ちてしまった。


「勝者、藤浪卓矢ッ!!」


大歓声と拍手の嵐。派手なエフェクトがステージ上に吹き上がり、藤浪は片手を上げて苦笑い。鼻血で顔がぐちゃぐちゃになっているが、勝者の風格が漂っている。

高山はスタッフに支えられながら、涙を浮かべてリングを降りていく。


「……強かったな、あいつ。」

藤浪はボロボロの身体でリングを後にする。峯岸たちが駆け寄り、すぐに応急処置をする。春口がタオルで血を拭い、佐伯が水を渡し、峯岸が「よくやった。あとは決勝だな」と微笑む。


これで峯岸一門は3連勝。会場の注目を一身に集め、なおかつ投票スコアも高得点をキープしている。

残すは峯岸光雲自身の試合だが、その前に司会が特別パフォーマンスを挟むとアナウンスしてきた。


「皆さま、選手たちの奮闘に大きな拍手を! ここで一旦インターバル、スペシャルステージをお楽しみください! この後は峯岸光雲の試合、そして決勝戦へと進みます!」


8.インターバル:突如の乱入者

舞台上ではダンサーやバンドが再登場し、華やかなショータイムが再開する。観客はステージを眺め、興奮冷めやらぬ様子。

そんな中、控えエリアで待機していた峯岸のスマホが着信する。画面には「非通知」とだけ表示されている。


「……またか。」

峯岸が出ると、低い声が響く。


「峯岸か……“彼”が会場に来ている。気をつけろ。お前たちを抹殺する気かもしれない。」


「彼……誰だ?」


「さあな。俺にも分からん。ただ、神戸県の黒幕に近い存在だ。お前が道場やぶりで目立ちすぎたツケだと思え。逃げるなら今だぞ……!」


「ふざけるな、逃げる気なんかさらさらない。……お前は一体何者なんだ?」


「俺は……お前らに借りがあると言ったろ。気をつけろよ……」


通話が切れる。

峯岸は苛立ちを抑えつつ、弟子たちを集める。

「注意しろ。どうやらヤバい奴が来てるらしい。場合によってはショーどころじゃなくなるかもしれん。」


「何それ。せっかくここまで勝ち上がったのに……!」

佐伯が悔しそうに握り拳を作る。藤浪は「ここまで目立ってしまったら、どう考えても襲われますね……」と不安を漏らす。

春口は深呼吸し、「とにかく最悪の場合、すぐに動けるように準備しておきましょう」と冷静に提案する。


やがて、派手なパフォーマンスが終わり、ステージが暗転。スクリーンに映し出された文字が観客をさらに沸かせる。

「次の試合は……“峯岸光雲” vs “???”! 謎の実力者が登場か――?」


「え……相手が不明?」

弟子たちがモニターを見つめ、目を丸くする。司会者が興奮ぎみに叫ぶ。


「ここで緊急参戦、謎の挑戦者がエントリー! その名は……“ジャッカル・シュレーダー”! いったい何者なのか、今からリングでお披露目だ!」


すると場内が赤い照明に包まれ、ゆっくりとリングへ上がる男の姿が映し出される。ミドル丈のコートを羽織り、左腕に金属製のガントレットのようなものを装備している。

顔には無骨なスカー(傷跡)があり、目つきは鋭く、ただならぬ雰囲気を漂わせる。


「ジャッカル……?」

峯岸の表情が強張る。確かに、彼を直接見た記憶はないが、どこかで噂を耳にしたことがある。神戸県の武装部門に所属する怪物ではないかと……。


「峯岸光雲、そしてお前の弟子たち……俺が始末してやる。」

リング上でジャッカルがマイクを掴む。その声は機械的にエフェクトがかかったような低音で、会場全体が一瞬静まりかえる。


「……なるほど、コイツが噂の“抹殺役”か。」

峯岸は首を鳴らしながらゆっくりとリングへ向かう。弟子たちが心配そうな顔をするが、彼は微笑んで言う。


「心配いらん。ショーの試合だろ? すぐ終わらせてやるさ。」


「師匠……気をつけて……!」

佐伯や春口、藤浪は固唾を飲んで見守る。直後、司会者の盛り上げる声が再び響く。


「まさかの番狂わせか? 神戸県公認のジャッカル選手が、この場で挑戦を表明! 峯岸先生、受けて立つかーーーッ?! さあ、どうなる、この試合!」


観客は状況を把握しきれていないが、とにかく「新たな強敵登場」に大興奮。興味本位の拍手や歓声が飛び交う。

一方、舞台袖で東雲ジュリは全身から冷や汗をかいていた。主任の姿はどこにも見当たらない。


(こんな予定、私は聞いてない……まさか“ジャッカル・シュレーダー”を送り込むなんて……!)


しかしショーは続行。もう誰にも止められない。峯岸とジャッカルが対峙し、試合開始のゴングが宣言される。

「……ほう、見たところ年寄りには見えない筋肉をしてるじゃねえか。さっさと潰れてくれりゃ、こちらも楽なんだがな。」


冷酷な笑みを浮かべるジャッカルに対し、峯岸は表情を変えず、構えを取る。

「さあ、かかってこい。どのみち神戸県とはいずれ決着をつける。ここで痛い目を見るのはお前か、俺か……試してみようじゃねえか!」


こうして、KOBE-1 Graffitiのステージは一気に暗雲立ち込める決戦の場へと変わる。

観客は何も知らずに興奮の絶頂を味わうが、その裏で“道場塔”をめぐる陰謀は着々と進んでいる。次に流される血は、ショーの演出の範疇を超えるかもしれない――。


――第3章、幕。

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