第4章 「師匠と死神」

【第4章・パートA】

1.死神のような挑戦者、ジャッカル・シュレーダー

「峯岸光雲 vs ジャッカル・シュレーダー!」


司会者の声が高らかに響くと同時に、場内は暗転し、真紅のスポットライトだけがリング中央を照らす。

リング上に立つジャッカルは、鋼鉄めいた義手(あるいはガントレット)のような装備を左腕に装着し、低く構えている。その姿はまるで死神か屠殺人のように陰惨な迫力を放っていた。


「おいおい、なんだよ、あの左腕……。あんなの反則じゃねえか?」

観客席からそんな声が飛び交うが、司会者はあえてスルーするかのように進行を続ける。

「いやー、これは派手なスペシャルマッチになりそうだッ! 皆さま、大いに盛り上がってください!」


――ショーというより、処刑の雰囲気を帯びつつある。


リングに向かう峯岸光雲。弟子たちが心配そうに声をかける。

「師匠、無理だけはしないで。絶対あいつヤバいですよ!」

「ここで下手をしたら本当に殺されかねない……。」


峯岸は振り返り、「心配いらん」と笑う。

「ジャッカル・シュレーダー……噂通りなら神戸県の武装部門に近い暗殺者だ。だが俺も、道場を守るためなら何でもやるつもりだ。お前らは手出し無用だぞ。」


「師匠……!」

弟子たちの不安げな声を背に受けながら、峯岸はリングへ足を踏み入れる。

観客の大半は「ショーの特別演出か?」と思っているようで、お祭り騒ぎのまま。しかし一部の観客は、ジャッカルのただならぬ殺気を感じ取り、怯えた表情を浮かべている。


「お前が峯岸光雲か……。見たところ、ただの老人には見えねえな。まあどうでもいいがな。」

ジャッカルが低い声で呟く。その目は、獲物を見下ろす鋭い捕食者の眼光。

「さっさと潰れてもらうぞ。神戸県に仇なす者は、ここで消えてもらう。」


「ほう……その左腕、ただの飾りじゃなさそうだな。まぁ俺も、“若い者にはまだ負けん”ってところを見せてやるさ。」

峯岸はすう、と息を吸い込み、気合を入れた正拳の構えをとる。筋肉が盛り上がり、その鋭い眼差しは若者にも劣らない輝きを放つ。


ゴングが鳴り、試合開始。

どちらが先に動くか――静かな間を置き、先手を取ったのはジャッカル。まるで瞬間移動したかのようなスピードで間合いを詰め、左の義手で振り下ろすようなフックを繰り出す。


「くっ……!」

峯岸はギリギリでバックステップしながら腕でガード。しかしガントレットとぶつかった瞬間、金属と骨が嫌な音を立てる。

ガインッ……という火花混じりの衝撃。峯岸は下半身に重心をかけ、辛うじて踏みとどまる。


(思った以上の破壊力……まるで鉄槌か!)


「どうした、ジジイ?」

ジャッカルはニヤリと笑い、さらに斜め上から左拳を叩き落とす。峯岸は素早くステップインして死角を取り、逆に腹部へ掌底を打ち込もうとするが――。


「甘いぜ!」

ジャッカルは右手を下から突き上げる形で迎撃。ドゴン、と拳が峯岸の顎先をかすめる。

「ぐっ……」 かすっただけでも強烈な威力だ。峯岸は頭が軽く揺さぶられながら後退する。


「おーっと、どうやらジャッカル選手優勢か……?! 峯岸光雲、早くもダメージか?!」

司会が煽り立て、観客は悲鳴と興奮の入り混じった声を上げる。弟子たちがリング下で「師匠、気をつけて!」と叫ぶが、もはや届かないほど殺意が渦巻いている。


2.師匠の拳と暗殺者の殺意

「しょせんショーの試合と思って油断してたか? ……だが、俺にとっては処刑場だ。観客ごとぶちのめそうが、知ったこっちゃねえ。」

ジャッカルが余裕の笑みを浮かべながら、左腕をぶんぶんと振り回す。まるで巨大なハンマーだ。


(こいつ、本当に人を殺すつもりだな……!)

峯岸は痛む顎を押さえながら、内心で驚きと警戒を高める。

(確かに俺も実戦は慣れちゃいるが、こんな金属製の拳を相手にまともに打ち合うのは得策じゃない……技を使うか!)


峯岸は呼吸を整え、腰を落として構える。次の瞬間、ジャッカルが一気に踏み込んできた。鋭い右ストレートと同時に、左のガントレットを振りかぶって強襲。

そのコンビネーションを見切った峯岸は、まず右ストレートを外側に逸らし、同時に相手の左肩の内側へ肘を差し込む形で絡め取ろうとする。


「なっ……!」

ジャッカルは予想外の動きに一瞬対応が遅れ、峯岸の肘が肩関節を決めかける形に。さらに峯岸は背負い投げのようにジャッカルの体を前方へ回転させ、リングに叩きつけようとする。

ドスンッ!……と大きな衝撃音。客席からは驚嘆の声が上がる。


「いっけええ! 師匠、やれー!」

佐伯たちも期待を込めて叫ぶが――ジャッカルは衝撃を受けつつも、すぐに上体を捻って体勢を立て直す。その怪力で峯岸の手をこじ開け、逆にガントレットを振り払うように顔面を狙う。


「ぐあっ……!」

金属の一撃が峯岸の頬をかすめ、鮮血がリングに飛び散る。峯岸は一瞬よろめくが、そのまま相手の懐へ潜り込み、肘打ちとショートアッパーを交互に見舞う。

激しい近距離戦。金属対肉体という凶悪な格差に、観客は一切笑いもせず固唾を飲む。


「ハッ……悪くないじゃねえか。ますます潰し甲斐があるってもんだ……!」

ジャッカルの瞳には狂気の光が増している。

峯岸も息を整えながら内心で(こんな化け物がまだ序の口だとしたら、神戸県は本当に底が知れん……)と焦りを感じていた。


【ジャッカルの過去回想・断片】

——「ジャッカル・シュレーダー」。

かつては世界中を渡り歩く傭兵だった。とある紛争地帯で負傷し左腕を失うが、神戸県の“研究チーム”が開発した義手実験に参加し、超人的なパワーと神経接続を手に入れた。

それ以来、彼は神戸県の暗部で暗殺や破壊工作を請け負う“処刑人”と化した。

その冷酷な精神と兵器を兼ね備えた存在は、内部でも恐れられている。


「フハハ……腰が入ったいいパンチだが、こいつの前じゃ無力だなァ!」

ジャッカルが左腕を高く掲げ、突如として何かスイッチを押したような動作を見せる。ガションッという機械音の後、ガントレットが回転しながら針のようなものをせり出す。


「師匠、危ない!」

弟子たちが絶叫する。どう見てもただの格闘用義手ではなく、殺傷兵器が内蔵されているのだ。ショーという舞台を完全に逸脱している。


「死ねえぇぇぇっ!」

ジャッカルが胴体を狙って突き出す。峯岸はとっさに横へ回避するが、かすって道着の袖が切り裂かれる。

観客から悲鳴が上がる。司会や運営スタッフも動揺しているが、すでに止められる雰囲気ではない。


「ふざけんな、こんなの試合じゃねえ!」

リング下の藤浪や佐伯が怒声を上げて駆け寄ろうとするが、周囲の警備員たちが阻む。春口が「これじゃ師匠が危ない!」と必死に割り込もうとするも、「試合の進行を妨げないでください」と強く制止される。


「……大丈夫だ、お前たちは来るな!」

峯岸がリング上から大声で叫ぶ。視線はジャッカルから決して外さない。

(俺の弟子に指一本触れさせるわけにはいかん……。ここで勝たねばならんのだ!)


3.舞台を揺るがす殺し合い

「ジャッカルが何か仕掛けてきた……? これは……演出か……?」

司会が動揺しながらマイクを通して言葉を発するが、観客の一部が逃げ出し始めている。あまりに危険だと感じたのだ。警備員たちが必死に「ご安心ください! 演出です!」と場を取り繕っている。


リング中央では、ジャッカルが歪んだ笑みを浮かべながら、機械仕掛けの左腕を再起動させている。

「威力はテストしたが、こうもいい実験台があるとはな……神戸県も粋なことをする。まさか、この場におびき出すとはなァ。」


「おびき出す……だと? 俺を狙ってここに来たのか?」

峯岸は血を流しながら苦々しい表情。ジャッカルはコートの内側に手を入れ、小型の金属球を数個取り出す。


「さあて、この爆薬を使えば、あっという間に会場は火の海だな……お前の弟子どもも、まとめて消してやるか。」


「やめろ、こんなところで一般の客まで巻き込む気か!!」

峯岸が声を荒げる。弟子や観客を思えば、こんな理不尽は許せない。


「ハッ、そんなこと俺が考えるとでも? あいつらは邪魔だから消すだけだ。俺はただ、任務を遂行するのみ。」


「てめえ……!」

峯岸が激昂し、一気に踏み込む。ジャッカルが金属球に点火しようとする手を止める間も与えず、その腕を思い切り蹴り上げる。

ゴンッ……という鈍い衝撃音。ジャッカルの腕から小型爆弾がこぼれ落ちるが、まだ起動はしていないようだ。


「ちっ……!」

ジャッカルはすかさず反撃の肘打ちを繰り出す。峯岸は腕で受けるも、ガントレットの硬さに骨が軋む。痛みで顔が歪むが、ここで引くわけにはいかない。


「うおおおっ!」

峯岸はラッシュを仕掛ける。肘、拳、掌底を連続で叩き込み、相手の急所を狙う。パンチ力は衰えていないが、ジャッカルの身体は頑丈で、左腕の義手がガードのように機能してしまう。


「馬鹿が……! お前が必死でも、これで終わりだ!」


ジャッカルが一瞬間合いを取って左腕を構える。その義手の先端が再び変形し、より大きな鋭利な刃(あるいはドリル状のパーツ)が姿を現す。まるでサイボーグの必殺アタックだ。

観客からは悲鳴と混乱。弟子たちも割って入ろうとするが警備員に止められ、何もできない。


「一気に串刺しにしてやる……受けろ、ジジイ!」


ズァッ……という音を立てながらジャッカルが突進してくる。峯岸は冷静に動きを見極め、紙一重で横にステップする……が、相手のスピードが想像以上。

ドシュッ! 刃が峯岸の脇腹をかすめ、血しぶきが飛ぶ。


「ぐああっ……!」

堪えきれない痛みに、峯岸は一瞬膝をつきそうになる。そこを見逃さず、ジャッカルが再度斬撃を振り下ろす――!


「やめろぉぉっ!」


リング下から佐伯と藤浪が飛び込もうとするが、警備員が動きを封じている。春口も必死にもがくが、多人数に押さえ込まれている。

しかし、その刹那――。


4.“師匠”の奥義

「がはっ……甘いな、クソ野郎……!」


瀕死のように見えた峯岸が、一瞬だけ目を見開き、両腕をクロスさせるようにしてガントレットをがっちりホールド。ジャッカルの腕を抱え込む形で、両足を踏ん張る。

猛烈な火花が散るが、峯岸の筋力が常識外れであることがここで発揮される。


「な、なんだこいつ……!」

ジャッカルが驚く。


「てめえのような奴を何人も見てきた……道場破りの先には、もっと凶悪な“実戦”があるんだよ! 俺はもう70近く、生半可な修羅場じゃ死なん!」


峯岸は血を噴きながらも、全身の力を集中し、ジャッカルの義手を強引にひねる。金属がミシミシと悲鳴を上げ、その機構部が裂けるように歪み始める。

「や、やめろ……!」

ジャッカルが必死に抵抗するが、峯岸の腕力と関節技によるテクニックが組み合わさり、義手を完全に破壊寸前まで追い込む。


ガキィィン……!!

大きな破裂音がして、ジャッカルの左腕ガントレットが外装部分から盛大に崩れ落ちる。あちこちから火花と煙が吹き出し、制御不能の状態に。

「クッ……このッ……!」


ジャッカルは右拳で峯岸の顔面を狙うが、峯岸はそれさえも肘でガードし、カウンターの頭突きを喰らわせる。ゴンッ、と硬い音が鳴り、ジャッカルがよろめく。


「まだ……終わらんぞォッ……!」

義手から火花を散らし、血走った目でにらみつけるジャッカル。しかし峯岸は闘志を絶やさず、一気に拳を引き絞る。


「これが……俺の道場を守る拳だ!!」


ズドォォン……!

渾身の拳がジャッカルの顎を突き上げる。力と技が融合した完璧な一撃。ジャッカルの意識が飛ぶように大きく仰け反り、リングに倒れ込む。

レフェリーどころか周囲のスタッフも唖然とし、観客は沈黙。その後、数秒を経て大歓声と悲鳴が混じり合う。ジャッカルは起き上がらない。


「勝者……峯岸光雲……!」

司会者は声を震わせながら勝敗をコールした。だが、これはもはや“勝利宣言”というより、“生存宣言”に近い。

弟子たちがようやくリングへ駆け上がる。警備員も止めきれず、佐伯と藤浪が峯岸の腕を抱え、春口が真っ青な顔で傷口を抑える。


「師匠、しっかりしてください……脇腹が……!」

「救急車! 救急隊は!?」

スタッフが慌てて動き始めるが、会場は半パニック状態だ。多くの観客が出口へ殺到し始め、中には転倒者も出ている。


峯岸は息を荒げながら、弟子たちに口を開く。

「お前ら……観客と、他のファイターを……助けてやれ……。俺は……大丈夫……っ。ジャッカルは、もう動けねえ……」


血で染まったリング上で、師匠がわずかに微笑む。

「ただのショーじゃねえって分かったはずだ……皆、急げ……」


「師匠、そんな……早く病院に運ばないと死んじゃいますよ!」

春口が涙目で訴えるが、峯岸は首を振る。


「俺は……こんなんで……死なねえ……。お前らは……先にやるべきことを……ああ、くそ……しみる……」


耐えきれず膝をつく峯岸。藤浪と佐伯が抱えるように支え、スタッフに手配を依頼する。

その横では、ジャッカルが動かなくなったまま担架で運ばれていく。義手は粉々、息があるかどうかも分からない。


「――み、皆さん、落ち着いてください! 安全です、もう危険はありません!」

司会者が必死にアナウンスするが、観客の混乱は簡単には収まらない。ショーは事実上ここで終了となった。

音楽も止まり、KOBE-1 Graffitiの華やかなステージは、一転して悲惨な惨状と化した。


【第4章・パートB】

5.ショー後の混乱と東雲ジュリの苦悩

数十分後、会場の外には救急車と警察らしき車両が集まり、負傷者やパニックを起こした観客の対応に追われていた。

峯岸は応急処置を受けて救急車に乗せられ、弟子のうち藤浪が同乗して病院へ向かう。佐伯と春口は、まだ会場内で混乱した客を誘導したり、関係者に事情を聞いたりする役目を買って出ていた。


「ひでえな……こんなこと、ただのショーじゃあり得ない……。」

佐伯がため息をつきながら、崩れかけたステージを睨む。リングは血と破損した金属片で無残な姿。

「師匠、よく勝ちましたね……マジで死ぬかと思った……。」


「それよりも被害者が出たかもしれない。ジャッカルとかいうサイボーグみたいな奴……神戸県が送り込んだのは間違いないわね。」

春口は苦い表情で首を振る。すると、その背後から慌ただしく足音が近づいてきた。


「待って、あなたたち!」

声の主は東雲(しののめ)ジュリ。派手なドレスはほこりと血のしぶきで汚れ、顔色も悪い。

「まさかこんなことになるなんて……私も想定外だったの!」


「想定外……? あんた、“神戸県”の興行師じゃなかったのか? 最初から殺し合いになるのを知ってたんじゃ……」

佐伯が尖った口調で疑いをぶつける。ジュリは俯(うつむ)いたまま、必死にかぶりを振る。


「違う! 私は表向き“格闘ショー”で人を集めて、そこで強者を見出して……それを“上層部”に売り込むのが仕事。でもジャッカルまで呼ばれるなんて聞いてなかった。絶対におかしい……主任の独断かもしれないわ。」


「主任……ってあの男か?」

春口が思い出すのは、ステージ袖でジュリと話していた恰幅(かっぷく)のいい中年男性。

「そいつが裏から糸を引いてるってわけ?」


ジュリは唇を噛み、「分からない」と言葉少なに答える。

「でも、彼(主任)は神戸県の幹部と近い存在。私の力が及ばない大きな裏の動きがあるのかもしれない。このままじゃ、あなた達がターゲットにされる……!」


「もうターゲットになってるだろ。師匠は殺されかけたんだ。」

佐伯が吐き捨てるように言うと、ジュリは目を伏せる。

「……ごめんなさい。でも、ここで終わったわけじゃない。彼らは“道場塔”を完成させるつもりよ。そこでさらなる陰謀が進んでるって噂もある。」


「道場塔……! やっぱり神戸県の本拠なのね。なんとか場所や内部情報をつかめれば……。」

春口が歯を食いしばりながら小声で言う。するとジュリが、いかにも決心したように続ける。


「私……少しだけ協力する。もちろん、深入りはしたくないけど……あなたたちがこのまま殺されるのは嫌。何より、私にも神戸県に利用されるのはもうたくさんだから。」


「じゃあ、道場塔の情報を教えてくれるのか……?」

佐伯が目を見開くと、ジュリは言いにくそうにうなずく。

「正確な所在地までは分からない。でも、おおよそのエリアや、どんな研究が進んでるかは、聞いたことがある。今度、あなた達だけに教えるわ。落ち着いたら連絡ちょうだい……。」


そう言って、ジュリは名刺の裏に何やら連絡先を書き加える。そこには**「ECP HQ(東雲ジュリ個人LINE)」**と書かれている。

「正直、これ以上あんたらと組むのはリスクが高い。けど……今回のことはさすがに私も怒ってる。主任や上層部が勝手に血塗れのショーに変えたのは許せない。だから、私にできる範囲で動く。」


「分かった……助かる。師匠が回復したら、改めて連絡する。恩に着るよ。」

佐伯が頭を下げると、ジュリは小さく首を振る。

「お礼なんていらないわ。私も自分のために動くの。じゃあ……気をつけてね。」


そう言い残して、ジュリは雑踏の中に消えていった。周囲では警察らしき人物が関係者を取り囲み、事情を聞いている。彼女も拘束されるかもしれないが、うまく逃げる手段があるのだろうか――。


「とにかくオレたちも早くここを出て、師匠の所へ行こう……。事情聴取なんて受けてたら、神戸県が変な圧力をかけてくる可能性がある。」

春口の提案に、佐伯は深く頷く。

「ああ、今は師匠の無事を最優先だ。……このままだと神戸県がどんな手を打ってくるか分からねえからな。」


そうして二人は人ごみをかき分け、会場の非常口へと走った。そこからタクシーを拾い、峯岸が搬送された病院へ急ぐ。

KOBE-1 Graffitiは最悪の形で幕を閉じたものの、道場塔への糸口は少しずつ見え始めている。だがその代償として、師匠は深手を負ってしまった――。


6.病室にて:一時の安らぎ

夕刻。病院の一室。

藤浪はベッドで意識を取り戻した峯岸の枕元に付き添い、安心したように溜息をついている。佐伯と春口が到着してしばらく経つ頃、峯岸がようやく口を開いた。


「お前ら、無事だったか……良かった……」

「師匠こそ、よく命がありましたね……あんな化け物じみた相手に……。」

藤浪が半分笑いながら言うと、峯岸は苦しそうに笑う。


「若い頃を思い出したよ……ここまで派手にやるのは久しぶりだ……。医者は数日入院しろと言ってるが、くそ、面倒だな……。」

佐伯や春口は沈んだ表情で、「生きててくれて本当に良かった……」と素直な安堵を漏らす。


「そういや、ジャッカルはどうなったんだ?」

峯岸が思い出したように訊ねると、藤浪が「なんか意識不明らしいですよ。あの義手もめちゃくちゃで、爆弾もあったみたいだとか。警察が調べてるらしいけど、神戸県がどう動くか……。」と答える。


「神戸県は警察や行政を掌握してるようなもんだ。うやむやになって終わりだろう……この事件の責任は誰も取らないかもしれん。……まったく、やってられねえな。」

峯岸が天井を睨むように吐き捨てる。


春口が声を落として言う。

「でも、東雲ジュリが協力してくれるって。道場塔の情報を教えてくれるかもしれないわ。」


「そうか……あの女、腹の底はまだ読めんが……とにかく、今は体を治すことが先だな。俺はしばらく動けんが……お前らはお前らで、情報収集をしてくれ。」

峯岸が言い終わる前に、急にドアがノックされ、医師と看護師が入ってくる。


「すみません、面会時間がそろそろ終わりですので。患者さんを休ませてあげてください。」

医師が優しい声で告げる。佐伯たちも名残惜しいが、師匠に負担をかけたくないので素直に病室を後にする。


「師匠、また明日来ますね。絶対安静ですよ!」

「大人しくしててくださいね。」

「じゃあな、先生……。」


峯岸は黙って頷き、目を閉じる。脇腹の痛みは相当なはずだが、彼は一切弱音を吐かない――道場を守るため、弟子を守るため、それが“師匠”の覚悟なのだろう。

弟子たちは病室を後にし、静かな廊下を足早に去っていく。夜の帳(とばり)が降りつつある神戸の街。そこでは、まだ闇が蠢(うごめ)いているはずだ。


「師匠がこんな状態じゃ、次に狙われたら……」

春口が不安を口にすると、佐伯も顔をしかめる。

「仕方ない、俺たちが何とかするさ。師匠を危険にさらすわけにはいかない……。藤浪、明日からどうする?」


藤浪は肩を回しながら答える。

「そうだな……今は“神戸県道場塔”の情報が欲しい。ジュリを信じるかどうかは別にして、一度連絡してみようか。あと、師匠がいなくても、俺たちで動けることは動こう。」


「ああ……やるしかないよね。やらなきゃ、またあんな殺し屋が来るかもしれないし……。」

春口の声には微かな震えがあるが、決意もにじんでいる。

「よし、決まりだ。いったんアパートに戻ろう。今日はもう休んで、明日から本格的に行動開始だ。」


そう言って三人は病院を出る。夜風が肌を冷やす。KOBE-1 Graffitiでの出来事が、まるで悪い夢のように頭をよぎるが、これは紛れもない現実。

師匠は血を流してまで示してくれた。神戸県はただの行政組織なんかじゃない。強大な武力を持つ巨大な“悪”になりつつある――。


7.闇の深奥を察する者

同じ夜、神戸市内のとある高層ビルの一室。

カーテンを閉め切った部屋に、主任と呼ばれる男が焦燥感を滲ませて立っている。その前に、ソファで足を組んでいる謎の人物――顔は暗闇に隠されてよく見えない。


「申し訳ありません……ジャッカルが敗れました。峯岸光雲は想定外の強さで……。」

主任は頭を下げるが、相手は冷ややかに鼻で笑う。


「所詮、あれは試作品だ。そう気にすることもない。ただ、道場塔の存在を嗅ぎつけられるのは困る。早急に対処を講じろ。」


「承知しました……。ただ、東雲ジュリがどう動くか。あの女はショーの実績を作るために利用してましたが、今回の件で我々に不信感を抱いているかと……。」


「ならば切り捨てればいい。あるいは利用価値があるなら、新たな条件を提示しろ。必要ならまた……『処刑役』を送り込めば済む話だ。ふふ、どうせ人材なら腐るほどいる。」


闇の中で笑うその者は、さも当然のように言い放つ。

主任は肩をすくめ、わずかに口元に苦笑いを浮かべる。

「何でもあり、というわけですね。分かりました。兵器開発のほうも順調ですし、道場塔は近いうちに“起動”できるかと……。」


「ああ、それこそが神戸県再編の真の目的。完成すれば関西全土が我らの掌中に入る。……峯岸光雲などという老いぼれも、所詮は小石に過ぎんさ。」


主任が丁寧に頭を下げる。

「はい。では、今後の手配は私にお任せを。あの弟子たちも含め、確実に処理してみせます。」


「たのむぞ、主任……いや、吉良(きら)主任。関西を“神戸県”とする大計画は、失敗が許されんからな。」


名前が呼ばれた主任――吉良は深々とお辞儀する。部屋の外に出ると、スマホを取り出し、部下に連絡を入れ始めた。

「……はい、ジャッカルの補完プランは破棄。次の刺客を用意しろ……ああ、容赦はいらない。例の道場破りどもを見つけ次第、抹殺だ。」


しんと静まり返る夜のビル。外の景色には、神戸の夜景がまばゆく光っている。だが、その美しさの裏に巨大な闇が潜んでいることを、まだ大多数の市民は知らない。


8.第4章の幕引き

時は深夜。アパートに戻った佐伯、藤浪、春口の三人は、狭い部屋で膝を付き合わせるように座っている。明日の方針を話し合うが、疲労は隠せない。

「まずはジュリに連絡し、道場塔の情報を集める。師匠は数日は動けないから、オレたちで行動だな。」

佐伯が提案し、藤浪も「ああ、それしかない。少しでも早く場所や内部構造を知れれば、奇襲も考えられる。」と乗る。


「……でも、向こうはもう本気で消しにくると思う。私たちだけじゃ太刀打ちできないかも……。」

春口が俯くが、藤浪は肩に手をやり、「師匠に守られてばかりはいられない」と落ち着いた声で言う。


「だよね……私たちも覚悟を決めなくちゃ。道場破りって言ったら聞こえはいいけど、実際には命のやり取りなんだし……。」

春口はぎゅっと拳を握りしめ、目を伏せる。


その時、スマホが震え、佐伯が画面を確認する。

「……ジュリからLINEだ。『明日の夕方、ウラナンバのバーで待ってる』だってさ。やる気あるみたいだな。」


「分かった。じゃあ明日の夕方、行ってみよう。気をつけながらな。」

三人は互いに頷き合い、やや疲れた様子で布団を敷く。

深夜、街の闇はますます深くなる。その闇の向こうで、神戸県の計画は着々と進行し、次なる刺客が牙を研いでいるだろう――。


こうして、第4章は幕を閉じる。師匠と死神の激突を経て、弟子たちはさらなる決意を抱き、物語は新たな局面へ突入していく。

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