第2章 「潜む手がかりと街角の盟友」

【パートA】

1.退避と新たな情報収集

陳家道場との激戦を終えた翌日。

峯岸(みねぎし)光雲(こううん)と弟子の三人──佐伯(さえき)ライチ、藤浪(ふじなみ)卓矢(たくや)、春口(はるぐち)幸奈(ゆきな)──は大阪市郊外の安アパートへと足を運んでいた。


「なんでまた、こんなボロいアパートに戻るんすかね? 師匠、一応オレたち、道場の寮的なとこに泊まってたじゃないですか。」


佐伯が玄関先で靴を脱ぎながらぼやく。その部屋は四畳半一間、古びた畳がところどころ剥がれ、壁紙も黄ばんでいる。

峯岸は渋い顔で鼻をすすりつつ、「仕方ねぇだろう」と呟く。

「ここなら“神戸県”の連中もそう簡単には来ない。俺の昔の隠れ家みたいなもんでな……家賃もバカ安いし、当面はここを拠点にするぞ。」


「懐かしいわね。師匠、昔ここで何やってたんでしたっけ?」

春口が壁に貼られた無数のスクラップ記事を眺める。そこには“関西武術選手権”のポスターや“峯岸光雲の武者修行レポート”といった古い雑誌の切り抜きが並んでいる。


「ああ……若い頃の足跡だよ。道場破りの旅をしてたわけじゃねぇが、各地を転々としてたんだ。貧乏生活が身に染み付いてるから、こういうボロ部屋でも落ち着く。」


峯岸が苦笑すると、藤浪が畳をバタバタと踏んでみる。埃が舞い上がり、彼は思わずむせ返った。

「うわ、ホコリくっさ! でもまあ、こういうとこに潜伏するにはいいのかもしれませんね。神戸県の追手も気づかないでしょうし。」


三人は窓際に腰を下ろし、昨日拾った地図の断片をテーブルに広げる。そこには不鮮明な塔のイラストと、「K.O.B.E」の文字。それ以上の手がかりはほぼ読めなかった。


「『K.O.B.E』って文字は神戸県を指してるのか、それとも何かの略称なのか……」

佐伯が首をひねると、峯岸も腕組みして唸る。

「陳家道場の師範・玄虎(げんこ)が“道場塔”と口にしていた。多分、それに関連する情報だろう。だが、具体的な場所がイマイチ分からん。」


「もしや、誰か情報通を探す必要があるかも。」

春口が提案すると、藤浪が「だったら、あそこしかないだろ」とニヤリと笑う。


「あそこ……って?」

「ほら、オレたちが以前ちょっと関わった闇市みたいな、情報屋が集まる街があったじゃん。あそこに行きゃ、金次第で何でも教えてくれる。ちょっと危険だけど。」


「ああ……あの『ウラナンバ』か。」

大阪・難波(なんば)の闇路地裏。法外な取引が横行する地区があると噂されている。峯岸の耳にもその存在は入っていたが、堂々と出入りするのはリスクが高い。


「でも、危険を承知で行く価値はある。『神戸県道場塔』がどういう場所かを知るには、まず外堀を埋めなきゃならんだろう。」


峯岸は立ち上がり、埃を払いながら拳を軽く握りしめる。

「よし、決まりだ。お前ら、準備しろ。今夜、ウラナンバへ潜入してみるぞ。どんな情報でも構わん。神戸県に関わるデータを根こそぎ手に入れるんだ。」


「了解です、師匠!」

三人はすぐに着替えや最低限の装備を整え始める。

こうして彼らは、次なる行動目標を定めた。闇市への潜入と、神戸県道場塔の正体を探る情報収集。これが新たな幕開けとなる。


2.ウラナンバの入り口

その夜。繁華街として賑わう難波の中心から外れた狭い路地裏。飲食店のネオンがチカチカと光を放ち、酔客たちの笑い声や怒号が入り混じる。

さらに奥へと進むと、明らかに「通行人お断り」の雰囲気漂う暗がりが広がっていた。


「おいおい、怪しさ満点じゃねぇかよ……」

佐伯が看板の壊れかけたスナックを見上げて吐き捨てる。店先には字が消えかかった“Rock n’ Beer”とか“闇スロット”など意味不明な看板もある。通りを歩く人のほとんどが、どこか危険な匂いを漂わせる連中ばかり。


「ねえ、ほんとに大丈夫? ここ、普通に歩いてるだけで絡まれそう……」

春口が少し身をすくめると、藤浪が「大丈夫、オレが守る」と冗談混じりに肩を叩く。

「守るって、あなたが一番チャラい格好で目立ってるじゃない……」


「バカ言え、これはオシャレだ。……とにかく情報屋の居場所は分かってるから、サクッと行ってサクッと出よう。変に揉め事は起こさないようにしなきゃ。」


峯岸は背後を取りながら一行を先導し、路地裏の奥へと進む。

しばらく歩くと、古ぼけたビルの二階へ続く階段が見えた。看板には“BAR 夜鳴きラーメン”と書かれている。どう見てもバーとラーメンは関係ないように思えるが、実はここが情報屋の溜まり場らしい。


「夜鳴きラーメンのバー……意味分かんねえ。だけど、そのツッコミは置いといて、行くぞ。」

峯岸が小声で促すと、一行は階段を上がって扉を開けた。


カランカラン……

場違いにも、扉には可愛らしい鈴が取り付けられている。中へ入ると、薄暗い照明に照らされたカウンターとテーブル席が並び、ラーメン屋の麺を茹でる香りがかすかに漂う。客は数人しかいないが、皆一癖ありそうな雰囲気だ。


「いらっしゃ……」

カウンターの奥でグラサンをかけたマスター風の男が、表情を動かさずに迎える。どう見てもラーメン屋の親父というより、裏社会の用心棒のような体格をしている。


峯岸は静かに会釈をし、カウンター席に腰を下ろした。

「……お前さんとこで、ちょっと聞きたいことがあるんだが。」

そう呟くと、マスターはジロリと峯岸を睨む。


「うちではまず“注文”を聞くことになってる。飲み物は? ラーメンは?」


「ああ、じゃあ……ビール四つと、適当にラーメン四杯。塩味で頼む。」

峯岸が渋い顔のまま口にすると、マスターは軽く首を振るようにして了承し、奥へ指示を飛ばした。


「なるほど、じゃあ待つ間に聞こうじゃねえか……なんだい?」


ここからが本番。

佐伯と藤浪、春口は辺りを警戒しながら、峯岸がどう切り出すかを見守る。マスターの背後には大柄な店員らしき男たちが控えており、下手な動きをすれば即座に制裁を受けそうだ。


「神戸県……とそこにある『道場塔』って話を聞いたことはないか? あんたの店なら、裏の情報にも通じてるだろう。」


峯岸の問いに、マスターは表情を変えないままタバコを一口吸う。

「さあな。神戸県なんぞ、今はそこら中で噂になってる。だが、“道場塔”なんて言葉はそう聞かねえな。」


「玄虎ってやつから聞いたんだが……あんた、この名前に何かピンとこねえか?」

マスターはさらに煙を吐き出してから、わずかに口角を持ち上げる。


「玄虎……陳家道場の主か。そいつなら最近“神戸県”とやらに取り入って商売してるって噂だ。ま、話が早そうだな……どれくらいの情報を知りたい?」


「できるだけ多く。金なら多少は払う。……でもな、あまりふっかけると、俺たちは手荒い手段で取り立てるかもしれんぞ?」


峯岸の物騒な脅し文句に、マスターの背後の屈強な男たちが一瞬ピクリと動きかけたが、マスターはそれを制止する。

「……なるほど、あんたら、どうやらタダ者じゃないな。分かった。じゃあ、こっちもそれなりの値段で売らせてもらうが、いいか?」


峯岸は軽く頷いた。

こうしてウラナンバの闇酒場で、神戸県関連の情報を買う取引が成立しかけた。しかし、先に待っているのは楽な道ではあるまい。


【パートB】

3.情報屋との交渉と小競り合い

ビールが四つ運ばれてきた。ジョッキの縁に泡が盛り上がり、まるで場違いなほど日常的な光景を演出している。

ラーメンの湯気がカウンター内から立ち昇るが、殺伐とした空気は一向に和らがない。


「で、詳しい情報ってのは……ああ、まずは金の話をしなきゃな。どれほど出せる?」


マスターがすごむように言うと、峯岸はズボンのポケットから小さな束を取り出す。それは現金ではなく、何かのチケットのようだ。

「これは“賭博興行”の特別招待券だ。裏社会ではそこそこの値打ちがある。換金ルートもあるし、観客動員にもなる。これをいくつか持ってるが、どうだ?」


マスターは目を見開き、チケットを一枚手にとって裏面を確かめる。

「……おいおい、なかなか面白いもんを持ってやがるな。行列のできる闇ファイトクラブだろ、これ?」


「そういうことだ。どうだ、これと情報を交換できねえか?」


一瞬の沈黙。店内に漂う火薬のような雰囲気。その後、マスターはゆっくりと口を開いた。

「いいだろう。こっちもコネクションを使って仕入れた情報がある。……ただし、お前ら、強いんだろうな? “道場やぶり”だと聞いたが。」


「まあ、一応な。ところであんた、この先に行けば俺たちが強いかどうかは嫌でも分かるさ。」


峯岸の言葉に、マスターは“フッ”と短く笑ってから、グラサンの奥の瞳をこちらに向ける。

「分かった。じゃあ先に少しだけ話してやる。“道場塔”って言葉は、俺の耳にもチラッと入ってきた。神戸県が秘密裏に建造してる“武力の要塞”らしい。兵器の実験もしてるとか、AIを使った警備システムがあるとか、噂は色々だ。」


「噂ばっかりか。本当の情報はないのか?」

藤浪がやや苛立ちを込めて問うと、マスターは肩をすくめる。


「だから噂レベルだって言ってるだろ。下手に近づくと消されるって話だから、誰も正面から調べようとしないのさ。……ただ、それについて“詳しい話を知ってるヤツ”がいるって噂がある。そいつの名前は……東雲(しののめ)ジュリ。」


「東雲ジュリ?」

春口が首をかしげると、マスターは続ける。

「元は武闘家らしいが、今は神戸県の上層部に食い込もうとしてるとか……よく分からんが、表向きは“興行師”を名乗って大阪と神戸を行き来してるらしい。正体不明だが、“道場塔”の開発にも絡んでるとかいう噂だ。」


「その人間に会えば、塔の場所や内部事情を掴めるかも……」

佐伯の目が輝く。だが、マスターは手を振って釘を刺す。


「甘い。そんな簡単に会える相手じゃない。まぁ、まずは噂を頼りに足を使って探すんだな。ここまでが俺の提供できる情報だ。」


そう言うと、マスターはチケットを複数枚受け取り、少し満足げな表情を浮かべた。

「こっちの取り分は十分だ。あとは……あんたら、ラーメン食ってからさっさと帰ったほうがいいぞ。ここで長居は無用だ。」


「そうさせてもらうよ。助かった。」


峯岸が軽く礼を言い、弟子たちと共にビールを一気に流し込み始める。その一瞬だけは、ごく普通の飲み会のような空気が漂う。

しかし油断は禁物。いつ誰が背後から襲ってくるとも限らない場所だ。


4.絡んできたチンピラたち

意外にもラーメンはしっかり味が整っており、麺もコシが強い。四人は内心「うまい」と思いながらも、とりあえず腹に流し込んだ。

会計を済ませ、店を出ようとすると、ドアの外に数人の柄の悪い男たちが待ち構えているのが見えた。


「おいおい、せっかくのウラナンバ観光ってのにもう帰るのかい? ちょっと遊んでいきなよ、にーちゃん達。」


煙草をくゆらせながら、ニヤついた顔で近づいてくる。一人は金髪で、もう一人はド派手なジャケットを着ている。

春口が小さく溜息をつく。「ああ、やっぱり来たわね、面倒くさいのが……。」


藤浪が軽く腕を回して、「酔い覚ましにちょうどいいや」とスイッチを入れようとするが、峯岸がそっと手で制する。

「ここはでかい揉め事を起こさないほうがいい。できれば穏便に済ませたいが……」


「ちょっとカッコつけた上等な服着てるけどよ、お前ら、なんでこんな裏通りに来てんだ? 財布の中身、見せてもらおうか?」

金髪が手を出してくる。悪趣味なタトゥーが覗く腕。


「くっだらねえ……。悪いが俺たちも暇じゃねぇんだ。」


峯岸は低く呟き、その手首を一瞬でひねり上げる。金髪の男は悲鳴を上げ、「ぎゃああ!」と叫びながら尻餅をついた。

すると周りのチンピラたちが一斉に顔色を変え、「やんのか、コラ!」と声を荒げる。


「ああ、めんどくせえ……。ま、サクッと片付けるか!」

佐伯が振り返り、仲間たちと軽くアイコンタクト。ほんの数秒後、合図もなくチンピラ連中との乱闘が始まった。


「うおらっ、くたばれ!」

ド派手ジャケットがナイフを抜いたが、春口が素早く腕ごと取り、投げ飛ばす。

「そんなもん持ち歩いてる時点でダサいわよ!」

床に叩きつけられた男は、呻き声を上げる。


藤浪は背後から来た敵を肘打ちで顎へ叩き込む。痺れるような衝撃が伝わり、相手はよろめいて後退。

「へっ、酔いが冷めるにはちょうど良い!」


佐伯は金髪を片手で襟首を掴み、「気安くオレらに手出しなんかするなよ?」と笑みを浮かべて頭突きをかます。どすっ、と鈍い音がして金髪が昏倒する。

それでも数が多いチンピラが襲い掛かるが、弟子三人の連携が乱れることはない。あっという間に4~5人を地面に転がすと、残りは逃げ腰になった。


「ちょ、ちょっと待て! お前らヤバい奴らか?!」

ド派手ジャケットは怯えた目つきで後ずさりする。そこへ峯岸が肩をすくめながら一言。


「ヤバいかどうかはともかく……ナイフなんかちらつかせんな。二度と悪さすんな、分かったか?」

「う、うっす……!」


チンピラどもは全力で逃げ去っていく。

その様子を横目に、三人の弟子は「はあ……」とため息をついた。すると峯岸が苦い顔で呟く。


「こんな程度の連中ならいいが、神戸県にはもっと厄介な怪物がゴロゴロいるだろう。気を引き締めていけよ。」


「はい、師匠。」

春口が気持ちを切り替えるように背筋を伸ばす。藤浪と佐伯も目を合わせ、頷いた。

こうして軽い小競り合いを制圧したものの、得られた情報は「東雲ジュリ」という名。次は彼女(または彼?)を探し出すことが目標だ。


5.一服の息抜きとコメディシーン

ウラナンバを離れ、深夜の商店街へ抜けたところで、三人の弟子は少し脱力したように笑い合う。

「なあ、師匠。さっきのチンピラ、やっぱここの人種はパンチが効いてるっていうか……でも思ったより弱かった。」

佐伯がケタケタと笑うと、藤浪も「確かにな。ダンスのように避けられたわ」と得意気に肩を回す。


春口は髪を直しながら、「あんまりケガさせなくて済んでよかった」とホッとした顔をする。

すると峯岸が、「お前ら、ちょっとは緊張感持てよ……」と呆れながらも微妙に笑っている。

「まあ、こうして笑ってられるうちが華だな。あとは東雲ジュリってのを探し出す……。どこに行けば会えるんだ?」


「いくつか当たりをつけるしかないですね。噂じゃ“興行師”だから、イベントがあるような場所を狙ってみる?」

「うむ。それから、さっき渡したファイトクラブのチケット先にも、そういう興行師が来るかもな。とにかく、あちこち回るしかねえ。」


夜風が肌を撫でる。街の喧騒の中にも、微かな緊張と不安が混ざり合う。

「しかしまあ、こんな深夜に道場やぶりとか情報収集とか、オレたちってほんと忙しいな。」


佐伯が冗談めかして言うと、春口が「昼間は昼間で神戸県の追っ手がくるかもしれないし、夜でも明け方でも油断できないわね」と吐き捨てる。

藤浪は「あー、温泉にでも入りたいなあ。マッサージチェアとかでグダーっとさ」と冗談を重ねる。そんな軽口にも、どこか和やかな空気が漂う。


峯岸は苦笑しながらも、「お前ら、気を抜くと死ぬぞ?」と釘を刺すが、その声色はやや優しい。弟子の団結力を頼もしく思っているのだろう。


「まあ、次は何から始めるかな。いったんアパートに戻って休むとするか。明日からまた街で手がかりを探すぞ!」

師弟四人はそう決めると、眠らぬ街のネオンを背にして歩き出した。ここから先、さらに奇妙な運命が巡り始める──そんな予感を抱えつつ。


【第2章・パートC】

6.新たな出会い:笑顔の“自称・協力者”

翌日、午前中。

四人はアパートで仮眠を取った後、神戸方面に足を伸ばしてみることにした。東雲ジュリが大阪と神戸を行き来しているならば、神戸側にもツテがあるはずだと考えたからだ。


「神戸県って言っても、もとは神戸市だろ? 今は行政がいびつに再編されてるって話だけど。」

佐伯は電車の車窓を眺めながらつぶやく。JRを使って三ノ宮(さんのみや)駅へと向かい、そこから目的地を探る腹づもりだ。


峯岸は腕を組んで窓外を睨む。

「表向きはまだ“兵庫県”も残っているが、“神戸県”がその中枢をほぼ乗っ取った状態らしい。大阪府を飲み込んだってのも、法的にどうなってるか全然わからん。」


藤浪がスマホをいじりながら、「ネットにも変な陰謀論とか散乱してますけど、どれが本当か分かんないですね。『神戸県知事は謎のカリスマ』とか『実質的なクーデター』とか……。」


春口は少し不安そうに眉を寄せる。

「私たちだけで本当に立ち向かえるのかな……いくら強くても、向こうは政治や裏社会まで掌握してるかもしれないし……。」


「だからこそ、こうして一歩ずつ情報を集めるんだろ?」

峯岸が言葉を切り、再び窓外へ視線を落とす。無防備に正面から突っ込んでも意味がない。 その程度のことは、この歳になるまでに身に染みている。


7.三ノ宮駅での小事件

三ノ宮駅に降り立った瞬間、まず目についたのは街頭の大型ディスプレイ。そこには「神戸県・推進協議会」なる広告が映し出され、“新時代の関西を築く”などと謳っている。

市街地は普段とあまり変わらない賑わいを見せているようだが、よく見るといたるところに「神戸県公認ショップ」の看板があったり、警備員のような人間が巡回していたりと、何か異質な空気を感じる。


「ふーん……普通の人たちは、神戸県に違和感を抱かないのかな?」

佐伯が首を傾げながらも、一行は駅前の商店街へと進む。すると突然、どこからか笑い声が聞こえてきた。


「あははっ! やだわ、またダンサーたちが踊り出してるわよ~!」

「本当だ! 昨日も見たよ、あの人たち!」


通りの一角に、派手な衣装を纏ったパフォーマー集団が何やらショーをしている。音楽に合わせてダンスを披露し、見物人を楽しませているようだ。

その中で、一際目立つ女性がいた。身長は高め、ロングヘアで艶やか。東雲ジュリと噂される人物……ではないかと、三人は直感的に思った。


「ねえ、師匠。あれ、何か怪しくない? 興行師っぽいんだけど……」

春口が指差す先で、その女性は笑顔を振りまきながら観客に声を掛けている。耳にはヘッドセットマイクを装着し、パフォーマーを紹介しているようだ。


「“東雲ジュリ”かどうかは分からんが、ああいう華のある人物なら、すぐ分かりそうだな。行ってみるか?」

峯岸が頷き、四人は観客に紛れてその女性に近づく。


「ようこそ皆さん、街角ダンスバトルへ! 今日は神戸県公認のパフォーマンスとして、自由に楽しんでいってくださいね~!」


あまりにも陽気で楽しげな声が響くが、その瞳の奥にどこか計算高い光があるように見えるのは気のせいだろうか。

観客の一人が「へぇ、神戸県公認なんだ!」と嬉しそうに拍手している。


「公認さえ取れば、こういう派手なイベントも自由にできるんですね?」

藤浪が野次馬に扮してそれとなく尋ねると、彼女は軽いステップでこちらへ寄ってきた。


「そうなんです! 今の神戸県は、芸術やパフォーマンスへの支援が厚いんですよ~。あなた方も、もし何か特技があれば、私の“興行プロデュース”に参加してみませんかぁ?」


キラキラした笑顔に、弟子たちは一瞬引き込みそうになる。

「興行プロデュース……ってことは、あなたが“東雲ジュリ”さん?」

春口が単刀直入に尋ねると、女性は目を丸くして驚く。


「わっ、私の名前を知ってるんですか? もしかして業界の方? いやー、ちょっと嬉しいわぁ~!」

そう言って屈託のない笑みを浮かべる。周りの観客には「後でまたダンスショーがありますから、楽しんでいってくださいね!」と声をかけつつ、こちらへ注意を向けてくる。


「ええ、ちょっと噂を聞きまして……。実はお話を伺いたいことがあるんですよ。ちょっと、場所を変えてもよろしいですか?」


峯岸が静かに言うと、ジュリは「まあ、そんなに急いでどうしたの?」と不思議そうに笑う。

このとき、彼女の背後に控えるダンサーたちがチラリとこちらを伺う。やや険のある視線が光っていた。


「そうね……いいわ、少しだけなら時間を作ってあげる。そこのカフェででも話しましょう?」


8.ジュリのカフェトーク

駅前のカフェ。テラス席に腰かけたジュリは、ハーブティーを頼み、優雅な仕草でカップを傾ける。峯岸たちはアイスコーヒーやソフトドリンクを注文し、対峙する形になった。


「で、お話って何かしら? あ、私にサインをねだるのは大歓迎だけど、料金はいただくわよ?」

ジュリは茶化すようにウィンクを飛ばすが、峯岸は苦笑して首を横に振る。


「サインは要らん。俺たちは“神戸県道場塔”ってもんを調べてる。あんたが、そこに何らかの形で関わってるらしいと聞いたんだが、心当たりは?」


“道場塔”という単語に反応したのか、ジュリの瞳が一瞬だけ鋭くなる。その変化を見逃さなかった春口が「やっぱり……」と心の中で呟く。

だがジュリはすぐに表情を戻し、穏やかに笑う。


「あら、“道場塔”ね。私も噂程度には聞いてるわ。神戸県が新たに建設している巨大施設、武道とか研究とか、いろんな目的があるって……。」


「噂程度、ね。あんたほどのプロデューサーが、その程度の認識なわけないだろう?」

藤浪が少し強めに突っ込む。


「まあまあ、落ち着いて。私だって何でも知ってるわけじゃないの。むしろ皆さんのほうこそ、それをどうするつもりなの?」

ジュリは逆に問い返してくる。


そこで佐伯が拳を握りしめ、ほとんど無意識に「壊す」と言いかけた。その言葉を峯岸が制止するかのように手で合図を送る。

「そこに人を閉じ込めて兵器を作るなんだとか、いろんな黒い噂がある。もし事実なら、放置できん。俺たちはそれを確かめたいだけだ。」


「へえ……正義のヒーロー気取り? 道場破りでもして回ってるのかしら?」

ジュリの声音にはどこか挑発めいたトーンが混じる。彼女のバックには神戸県の組織がついている可能性が高い。下手に挑発に乗れば、こちらが危ない。


「いえ、そんな大それたものじゃない。ただ、俺たちは仲間を傷つけた連中を許せない。神戸県が仕掛けてきた以上、対抗してやるまでさ。」

峯岸はあくまで冷静に対応する。ジュリはそれを見て、少し興味をそそられたように目を細める。


「面白いわね。じゃあこうしましょう。私が次に関わるイベントで、もしあなた達が活躍してくれたら、私の知ってる限りの情報を教えてあげる。どう?」


「イベント……? 何のイベントだ?」

「“KOBE-1 Graffiti”っていう格闘技とパフォーマンスを掛け合わせた新感覚ショーよ。神戸県が後援してる大規模なもの。私がプロデュースに関わってるの。そこに出場すれば、何か見えてくるかもしれないわよ?」


一瞬、弟子たちは顔を見合わせる。神戸県後援ということは、敵陣のど真ん中に飛び込むようなものだ。しかし、そこには情報や裏の事情が集まるはず。

峯岸も迷っている様子だが、やがて静かに頷いた。


「分かった。乗ってやる。ただし、その場で俺たちをハメるような真似をしたら……」


「怖いこと言わないでよ。私だってまだ大きいスポンサー様には頭が上がらないの。余計なトラブルは望まないわ。」

ジュリは猫のような微笑を浮かべてカップを置く。


「イベントは来週末。場所は神戸ポートタワー近辺の特設会場。よければ私に連絡ちょうだい。」

そう言って連絡先の入った名刺を渡す。そこには「East Cloud Production 代表 東雲ジュリ」とあり、洒落たロゴが添えられている。


「ところで、ちょっと気になってたんだけど……あなた達、どこかで見た顔よね?」

ジュリが急に問いかけてくる。佐伯や藤浪、春口が顔を強張らせるが、峯岸がさりげなく笑う。


「俺たちは全国を渡り歩いてる武術家だ。強いやつを求めるなら、どこにでも顔を出すさ。偶然、どこかで見かけただけじゃないのか?」


「ふーん……ま、いっか。じゃあ、また連絡してね。」

ジュリは妖艶な笑みを残し、先に席を立つ。カフェのドアを開けると、外で待っていたダンサー数名を従えてスタスタと歩き去っていった。


9.次なるステージへの準備

ジュリの姿が見えなくなると、藤浪が「どうします、師匠? 罠かもしれませんよ?」と不安げに尋ねる。

峯岸はポケットにしまった名刺を取り出し、しばらく眺めてから言う。


「罠だろうと何だろうと、踏み込まなきゃ分からんこともある。神戸県の連中が動いてる大規模ショーなら、やつらの上層部にも近づけるだろう。」


「まさか、オレたちが大会に“出場”するんですか……? でも、舞台に立っちゃったら顔も割れるし、神戸県に狙われるリスクも……。」

佐伯が弱音を吐きかけるが、春口がその肩をポンと叩く。


「顔はとっくに割れてるでしょ、道場破りなんて派手な真似したんだから。今さら隠れても無駄よ。」

「そ、そうかも……。じゃあやるしかないか。」


藤浪はすでに気合十分な様子だ。

「ショーとはいえ、格闘要素が強いならオレたちの土俵だしな。何かしらの見せ場を作れば、ジュリが喜んで情報をくれるかもしれない。問題は、そこで出会う敵だ……。」


「敵といえば……あのスタンロッドを使ってた玄虎みたいな輩がいるかもしれないし、更にはもっと上位の連中が控えてるかもしれないわね。」

春口も気を引き締める。


峯岸は静かに立ち上がり、テーブルに勘定を置く。

「よし、決まりだ。来週末までに練習しておこう。どうせショーなら派手に暴れてやろうじゃねえか。」


彼の瞳には揺るぎない闘志が宿っている。弟子三人も同じ思いだ。

「神戸県道場塔」という謎の核心に近づくための格闘ショー。これが次なる戦いの舞台となる。


10.第2章の締め:暗躍する影と決意

夕暮れ時。大阪へ戻る電車に揺られる四人。

駅を出た後、アパートへ帰ろうとしたところで、峯岸のスマホが震える。非通知の着信。出てみると、低い声が聞こえてくる。


「……お前ら、気をつけろ。“彼女”には近づかないほうがいい。道場塔に手を出すことは死を意味するぞ……」


「誰だ?」


「さあな。ただの忠告だ。俺はお前らに借りがあるから言っとくが……これ以上踏み込むなら、誰も助けられないぞ。」


ピッ……通話が切れる。

「借りがある……? 一体誰だ……?」

峯岸は疑心暗鬼になりながらも、にやりと笑う。


「借りがあるって言うなら、おせっかい焼かないで欲しいもんだがな。……よし、ますます面白くなってきた。お前ら、覚悟しろよ?」


佐伯が「はい、師匠……!」と拳を握り、藤浪と春口も無言で気合を入れる。

こうして、“KOBE-1 Graffiti”への出場という形で、彼らはさらに深い戦いの渦へ足を踏み入れることになる。敵はどんな刺客を用意してくるのか、東雲ジュリの本性とは何か。そして“神戸県道場塔”へ繋がる鍵は見つかるのか――。


四人の影は夕陽の中で伸びていた。

第2章は、表のショーと裏の計略が交錯する予感を残し、幕を引く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る