第7話 陽が当たれば



「バレたら大問題ね」


 わたしがいる場所はそう、廃校の体育館。より詳しく言うのなら、母校の小学校だったという情報を付け加えましょうか。


 一日中歩き回った先の、最後の目的地。鷺ノ宮 雛菊の始点にして終着点がこの場所だった。


「やっぱり特に感じることもないわね」


 子供の頃は広く思えた体育館も、今見ると記憶よりも狭く感じる。広さだけじゃない。スピーカーや扉もかつての日々よりも寂れて見える。

 時が流れ、変わりゆく光景にわたしはいる。姿が変われど中身は変わらず残るこの光景は、わたしと何も変わらない。


 ――想起する。かつての思い出を。わたしにとっての終わりの始まりを。



 ☆ ☆ ☆


 

 ――わたしの勝利を告げるベルが鳴った。

 小学生の部活。お遊びみたいなものだが、わたしは勝つために全力を尽くす。遊びであれど、勝利は勝利。幼少の頃から勝つことだけを目的に生きてきたわたしにとっては、遊びの勝ちでも嬉しいかった。


 今回はちょっと粘られちゃったわね。反省しないと。

 得点を確認する。客観的に見るとわたしの圧勝と呼べる点差だが、わたしの想定よりも数段下だ。

 何故こうなったのか。原因を分析する。今回、わたしはミスが多かったわけでもない。また、相手の巧拙は言うまでもない。なら何故、想定より点を取れていないのか。

 ここで一度思考を途切れさせる。現状にある情報のみでは分析の正確性が低くなる。となれば、今しか出来ないことをするべきね。


 倒れ込んでいる対戦相手に歩み寄り、手を伸ばす。

 

「おつかれさま」

「疲れてねーし」

「そう? つかれているように見えるけど。ちゃんとこの後水分を摂りなさい。ねっちゅうしょーは危険だから」

「知ってるよ」


 ねっちゅうしょーは危険なのだそうだ。弟が言っていた。しっかり水分を摂れよ、って。ニュースで何かやってたのだろう。まったく、可愛い子ね。


「良い試合だったわ」


 少なくともわたしにとって得るものはあった。今回の試合は思わぬ収穫だったと分析する。


「はあ? 何言ってんだよ、お前の勝ちで俺の負けじゃん。なぐさめてんのかよ」

「本音よ」

「勝者のよゆーってやつかよ」

「勝者敗者に関わらず、良い試合だから健闘を讃える。普通のことだと思うけど?」

「なにがいい試合だよ。俺の完敗じゃん」


 拗ねたように投げやりに答えてくる男子。わたしが二番目に嫌いなタイプだ。負けを負けとして受け止められない人間には成長は無い。ちなみに一番は負けて笑うような人間。


 普段であれば、呆れるか軽蔑するかしてすぐに相手から離れていただろう。でも、わたしはキッパリと頭を振る。


「違うわ。貴方は最後まで諦めず、バカみたいに動き続けていた。……スポーツに向き合った、情熱のある良いプレーだったわ」

「そんなの当たり前だろ。ってか、今バカって言ったか!? 俺、バカじゃねーし!」


 おかしい。わたしがわざわざこんなことを言うなんて。けれど、わたしは無意識のうちに彼のプレーを分析し、褒めていた。

 しかも、それどころでは無い。わたしは笑ったのだ。聞くに絶えない戯言であるにも関わらず。


「ええ、当たり前ね。……素敵なことだわ。とっても」

 


 今ならわかる。なぜ笑ったのか。


 ☆ □ ☆ □ ☆


 

 幻影を振り払い、わたしは母校に背を向ける。


『雛菊! 来年も私が勝つから!』


 笑った理由がわかったのは、バトミントンを辞めたあの日だった。わたしがあの子に負けた日。技術では彼女に勝っていたはずだったのに、わたしは負けた。

 何故なのか、といつものように分析しようとした。その時に見たのだ。あの日の彼と同じ目を。


 あの二人にはわたしが持っていないものを持っていた。――熱を持っていた。スポーツに真摯に向き合った人だけが持つその熱を、わたしは持っていない。

 だから、笑ったのだ。悔しいのを悟られないように。羨ましいという思いに蓋をするために。彼や彼女の中で作り上げられた、わたしという虚像を守るために。


 勝つことが好きだった。相手を捩じ伏せ、圧倒することが生き甲斐だった。だから、バトミントンは勝つための手段で、道具で、好きなものではなかった。


「結局、何も得られなかったわね」


 どうしてわたしがこのタイミングで、思い出巡りを始めたのかと言えば、それはわたしにとって今が分岐点であると悟ったからだ。バトミントンを辞めた時と同じように。わたしはこれ以上、バスケで成長することはない。限界が来たのだと、気づいた。


「さて、と。これからどうしましょうか。別のスポーツを始めるか、或いはマネージャーをすることにしてもいいかもしれないわね」


 わたしならマネージャーでも上手くやれる自信があった。実際、この夏休み出来ることは限られていたが、上手くやれてたと思う。

 今までの生き方を変えて、生き甲斐を差し替えて、生きていくのもありかもしれない。自分が勝つために、ではなく誰かを勝たせるために生きる道もあるかもしれない。でも、それは――。


「雛菊!」


 声が聞こえた。

 彼は息も絶え絶えになりながら、わたしの近くまで走り寄ってくる。


「はぁ……はぁ、探し、……たよ。まさか、ここに来てるなんて……」

「ええ。ちょっと思うところがあってね」


 心配し過ぎないように手を回していたのだけど、失敗してしまったようね。もしかしたら弟も探してくれているのかもしれない。

 わたしは後ろ手で弟に自分は無事であるから心配しないようにとメッセージを送る。


「どうしてわざわざこんなところまで……やっぱり、大会に出たかった、のか?」

「……そうね。それも理由のひとつかもしれないわね」

「……ごめん」

「責めるつもりはないわ。別に、大会に出れなかったこと自体に思うところがあるわけではないもの」


 大会に出れなかったことは、自分を見つめ直す契機だったというだけ。ある意味、そこで悔しがらないのがわたしの悪いところなのかもしれない。


「ねぇ太陽。貴方はどうしてバスケをするの?」

「それはもちろん勝つためだよ」

「そう。当然のように言うのね」

「ああ。この前のことで自分がどうしたいのかわかったから。雛菊のおかげだよ」

「わたしは何もしてないわよ」


 当然のように言うその目的は、わたしと同じように聞こえる。だけどわたしは知っている。彼の言う勝ちたいという欲求は、バスケが好きだからこそなのだ。だからこそ、彼は勝てなくてもバスケを続ける。これからも、ずっと。


「帰りましょうか」


 わたしは勝つためだけにスポーツをしている。そして、バスケにおいてわたしの限界はここだ。限界という壁を超える可能性に掛けて、負け続ける気は無い。負けから逃げて、勝ちだけを求める。そんな存在がわたしだ。


 ――わたしは勝つこと以外に目的がない。

 そのことに対して昔は何も思わなかった。けど、最近気づいた。わたしはいずれ、勝てなくなると。勝てなくなって、打ち込む理由を失うと。

 その結果、わたしに残るのは虚無だ。目的を失った抜け殻だ。


 だから彼らが羨ましかった。当然のように勝つこと以外にも目的を持てる彼らに憧れた。ああやって笑えるようになりたいと願った。


 ひぐらしの鳴き声が聞こえる。

 必死に何かを残そうとするかのように切々と響く声。もうすぐ命が尽きるというのに、木にしがみついて鳴いている。


 ――その姿が鮮明に頭の中に焼き付いた。

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