第5話 池に落ちる
「――部長! ……ちょっと時間いいですか、話があります」
体育館の外で何やらぼーっとしている青年に声をかける。彼は周囲をぐるりと見回すと、はてと首を傾げて自らの顔を指さした。
「おれ?」
「はい、そうです」
「まあ、時間はあるぜ。暇してたからなぁ」
壁にもたれかかってた体を起こすと、こちらに視線を向けてきた。
「んで、何の用だ。一年がおれと話すような事なんてないような気がするんだが」
「部活の、バスケ部の方針について話があります」
「あん?」
部長は首に手を当て眉根を寄せる。俺はそっと息を吸うと、真っ直ぐと彼の目を見た。
「前、言ってましたよね。うちの部活は楽しむことを優先してる部活だって」
「……そういや言ったな。そんなことも」
「でも俺、やっぱり勝ちたいんです。全国で優勝を目指したいんです。……どうかお願いします。俺と一緒に勝つことを目指してください……! お願いします!」
そう言って頭を下げる。今の俺には正直に気持ちを伝えることしか出来ない。正面からぶつかってみることしか出来ない。
「……つーってもよ、本気で目指したところでうちは弱小チームだから徒労に終わるだけかもだぜ。普通に負けて、時間と労力を費やした甲斐もねぇ。それでもいいのかよ?」
「はい。本気だったと胸を張って言えるのなら、俺は負けても後悔はないです」
「俺は、ねぇ」
部長はふっと目を細める。
「それは自分勝手なんじゃねぇの。お前のやり方を他人に押付けてるようにしか見えねぇけどな」
「わかっています。でも、今のやり方では俺の好きなバスケが出来ないから。だから俺の気持ちを伝えて、納得してもらえるまで説得するつもりです」
「そりゃあまた頑固な考えだな」
そうとだけ言うと、部長は呆れたように肩を竦めて見せた。
「ま、いいんじゃねぇの。勝手に目指す分にゃあ好きにすればいいし、自分で説得するなら文句はねぇよ。それにおれにはもう関係ねぇことだしな」
「はい?」
関係がない、って……。
困惑する俺の背後を見て、部長は面白そうに口元を歪ませた。
「おう、新部長。ようやく来たか。こっちはもう話が終わっちまったぜ」
「先輩と、……菊池。どうしたんだ二人して。というか、話ってなんだ?」
「え、え!?」
前に聞いた話では、この学校では世代交代はまだのはず。確か、基本は夏休みいっぱいらしい。しかし、部長――元部長はまるで、もう既に引退したかのような口ぶりだ。
「おれ、追い出されちまったんだよ。ショーマ新部長によ」
「先輩、人聞きの悪いことはやめて欲しいんすけど。ちゃんと同意を得ましたよね?」
「新体制を目指す上でおれは邪魔だっつってたろ」
「意味合いとしてはそうだが、言い方がまるで違う……」
新部長こと桜庭先輩は疲れたようにため息を吐く。
「新体制って……」
「楽しむだけじゃなくて、勝つためにバスケをやる方針にしようと思ってな」
「こいつ、ずっとおれらの方針に付いてきてたくせに急に心変わりしやがったんだぜ」
「俺はバスケが出来ればどっちだって良かったですから」
そう言って桜庭先輩は俺をちらりと見てニッと笑む。
「ただ、勝ちたいって言うやつが入ってきたんで、変わるべきだと思っただけです」
「そーいうわけだとよ。んじゃあ、おれはもう行くぜ。三年は受験が控えてるんでな」
「はい。わざわざありがとうございました」
ひらひらと手を振りながら去っていく元部長。元部長が見えなくなると、新部長は俺に視線を向けてきた。
「一つ言っておくが、お前のためだけじゃないからな。部員も減ってきていたし、結局、いつかは方針を変える必要があっただけだ」
「そんなに部員、少なかったですか?」
多くはないが試合をできる程度には部員がいたような気がする。
「あれはほとんど三年の先輩方だぞ。二年は俺と、幽霊じゃないのはあと二人。一年はお前入れて二人しかいない」
「二人?」
新しく入ってきたのか、以前幽霊部員だった人が来るようになったのか。少なくとも、俺が部活に行っていた頃には一年は俺だけだったはずだ。
「ほら、あいつだよあいつ」
「いや、あいつだけじゃわからないですって」
「お前といつも一緒にいるやつだよ」
頑なに名前を言おうとしない桜庭先輩。
一緒にいるやつって……。俺の頭に一つの顔が浮かび上がる。いやまさか。部活に入ったなんて一言も……。
「部長、顧問との話は終わりまし――あ」
「……咲太」
「よう、お疲れ」
「いつからこの部活に?」
「一、二週間ぐらい前だな」
「俺、何も聞いてないんだけど」
「言うわけないだろ。こっそり練習して負かしてやるつもりだったんだからよ」
負かそうと思ってたのか。この野郎。
「残念だ。太陽の悔しそうな顔、見れると思ってたんだが」
「何言ってんだ」
「戻ってくるんだろ。ま、鈍ってるようなら余裕で勝てるが」
彼はそう言って挑発的な笑みを見せてくる。
「ははっ。ぜってー負けないから」
受けて立つとばかりに笑い返す。たったそれだけで。俺はどこか救われた気がした。
「なら今からやるか。始めて二週間のオレが相手になるぜ」
「威張るようなことじゃないでしょ」
部員とか色々と考えないといけないけれど、とりあえず今からすることは決まった。この調子に乗った、友人に勝ってやる。
そんな勝手に盛り上がる俺らを見て、桜庭先輩は呆れたように口を挟んできた。
「菊池はバッシュも何も持ってきていないんだから出来ないぞ」
あ。
☆ ☆ ☆
見学だけで終わってしまった。
「菊池、次は木曜の午前からだからな」
「うっす。……あれ、木曜も練習あるんですか」
「顧問に相談して増やしてもらうことになったんだよ。顧問への説得は先輩に手伝ってもらってな」
ああ、それで。引退したらしい元部長が体育館まで来ていた理由に合点がいく。
一人で納得していると、桜庭先輩は荷物を肩に掛けて軽く手を挙げてきた。
「それじゃあな。また今度」
「はい!」
去っていく背中を見送って、ふうと息を吐き出す。
咲太は用事があるとかですでに帰ってしまい、今は一人だ。俺はぼんやりと空を眺めながら雛菊が出てくるのを待つ。
……ちゃんとお礼を言わないとな。俺はふと考える。今、こうしてバスケ部に戻ってこれたの彼女が発破をかけてくれたおかげだ。雛菊がいなかったら、俺は今も、これからも逃げ続けていただろう。
『本音を話す時は目を見て話しなさい』
「本当、格好いいな」
自信に満ちたその性格に、ほんの少しだけ羨ましいと感じてしまう。彼女の声を思い浮かべていると、ちょうど想像通りの声音が聞こえてきた。
「待たせたわね!」
「いや。そんなことはな――」
ようやく来たかと振り返る。
華奢な体で杖をつき、彼女は現れた。あどけなさを残した瞳が俺を捉える。
「……? どうしたの、ぼうっとして」
「い、いや、何でもない! それより荷物持つよ」
「そう? ありがとう」
荷物を受け取ろうと近づくと、ふわりとフリージアの香りが鼻をくすぐる。
俺はドキリと高まる心音を感じながらも平静を装う。
「そ、れじゃあ帰ろうか」
「そうね」
そうして、俺たちは帰り道をゆるゆると帰る。昼間だというのに人どころか車も通らない、静かな道。俺は必死に心を落ち着かせながら声を絞り出す。
「……雛菊、さっきはありがとう」
「わたしは何もしてないわよ」
「そんなことない。雛菊のおかげで俺はちゃんと向き合うことができたから」
「そ。よかったわね」
「ああ」
――ああ、そうか。
「頑張りなさいよ。あの子も部活に入ったそうだから、簡単に負けないようにね」
「咲太が部活に入ったの知ってたんだ」
「当たり前でしょう。お姉ちゃんだもの」
ふふんと笑う得意げな顔も、体と一緒に跳ねる短く切りそろえられた綺麗な髪も。
「ねえ、太陽」
「なんだ?」
その暖かい微笑みも、慈愛に満ちた瞳も。
「えっとね……」
――そのどれもが好きになったんだ。
「……ううん。何でもないわ」
彼女はゆっくり頭を振って半歩前に出る。
「ほら、早く帰りましょう」
楽し気に笑顔を象るその目に、俺は惹き付けられてしまう。
ああ、そうだ。そうなのか。
浮かび上がってきた、その感情の名前を心の中で口に出す。
「どうしたの?」
「なんでもない!」
俺はいつも通りを装いながら彼女のあとを追いかける。
――俺はこのとき確かに恋に落ちる音を聞いた。
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