第4話 雛が来る
「それじゃあ、いつも通りの時間になったら来るから」
「ええ! ここまでありがとう」
体育館前で雛菊と別れる。もう何度目かも分からない、すっかり慣れてしまったやり取り。いつもの流れなら俺は何周もした校内散策でもして時間を潰すことになるのだが、今日は少し違った。
「あれ、咲太じゃん。どうしたんだ?」
何とはなしに正門辺りを歩いていると、見知ったメガネが目に入る。咲太は俺に気づいたのか、よっと軽く手を挙げてきた。
「ちょっと用事があってな。太陽は姉貴の送迎か?」
「おう。これから暇だから、咲太の用事について行っていい?」
「あー。オレは問題ないが……」
歯切れの悪い返答に首を傾げる。どんな用事なのか詳細を問い詰めようと口を開いたところで、朝から元気な声が割って入ってきた。
「お、菊池に鷺ノ宮じゃないか。相変わらず朝から仲良いな」
その声に夏休み最初の日を思い出し、一瞬動きが固まる。だが、すぐに動き出して先輩に挨拶をしようと顔を向けた。
「桜庭先輩、おはようござ……いま……す」
桜庭先輩のさらに向こうにいる青年の姿が目に入って、今度こそ停止する。青年はこっちを怪訝そうにじろじろと見てきた。
「ん? なあショーマ。こいつ、一年だっけか」
「そうです。ほら、一年の菊池 太陽」
「あー……あの時の」
あの日の光景がフラッシュバックしてきて、ギリっと奥歯を噛み締める。
「す、みません。ちょっと俺、用事があるんで行きますね」
「あ、おい!」
何やってるんだろう、俺は。
「はあ」
屋上から校庭を見下ろしてため息を吐く。校庭では大会が近いらしい陸上部がストレッチを始めていた。
『うちの部活は前からずっと優勝とか目指さない緩い部活なんだよ。そんな事も知らないで入ったのか?』
気にしないと決めたのに。部長の顔を見ると、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。
まったく。俺はいつまで気にして――、
「――こんなところにいたのね! まったく、探したじゃない」
「……雛菊。どうして」
不意に扉が開いたかと思ったら、カツンと杖をついて雛菊が屋上に入ってきた。
「どうしてって、貴方が居なくなるからじゃない」
「ごめん。でも、大丈夫だったか? ここまでエレベーターとかなかっただろ」
最初と比べて良くなっているらしいのだが、彼女の足には未だ白いギブスが巻かれている。ここまで来るのは大変だっただろうが、それでも雛菊は何でもないことのように胸を張った。
「問題ないわ。このくらい、リハビリにもならないもの」
「そ、そうか」
相変わらずの言い草に俺はちょっと怯んでしまう。
「というか、部活はいいのか? 俺は大丈夫だから、気にしないで――」
「いいわよ。今は太陽と話をしに来たんだもの」
真っ直ぐ、俺を視線で射抜いてくる。そんな視線で見られるのが居心地が悪くて、俺は何でもないようなフリをして再び校庭へ目先を落とす。
「本当になんでもないから。咲太に何言われたか知らないけど、本当に用事があったから慌てて移動しただけで」
「あの子に聞いたわけじゃないわ。ちゃんと見てたわよ」
「見てたんだ。……なんで?」
俺が逃げ出したのは正門前。体育館はそこから少し離れた位置にある。部活に行っていたはずの雛菊がいるはずのない場所なのだが。
「わたしはそこに居るべきだと感じたからそこに居たの。で、話を聞いたってわけ」
「なるほど……?」
よく分からないが、虫の知らせのようなものか。昔から彼女は感の鋭いところはあったのでそこまで驚かなかった。
「それで、どうしたの?」
「だからなんでもないって。本当に用事があっただけ」
「貴方が今、バスケをやっていない理由に関係があるの?」
「だから――!」
俺は振り返り、言葉を続けようとした。しかし、声は出てこなかった。揺らぐことの無い眼光が俺に突き刺さる。その光は有無を言わさぬ力を持っていた。
「理由がない、なんてことは無いはずよ。何かをやめる時、そこには何かしらの理由はあるものだから」
「……雛菊がそうだったように?」
「ええそうよ。だからこそ、わたし以上に情熱を持っていた貴方が意味もなくバスケをやめるとは到底思えない」
彼女は中学二年までバトミントンをしていたらしい。だが、突然やめたそうだ。全国トップクラスの実力を持っていたにも関わらず。
「雛菊ほど情熱を持っていたとは言えないよ。それにそんなに大層な理由じゃないから」
「そう。その理由、聞かせてもらえる?」
本当に胸を張って言えるような理由じゃない。それでも、何でもないと言って逃げることは許さないと、彼女の瞳は言っている。
「俺さ、バスケって当然勝つためにやるもんだと思ってたんだよ」
「違うの?」
「それだけじゃないみたい。楽しむためだけにやる人もいるって、知ったんだ」
試合に負けても、ヘラヘラと笑っていられる部長たちが理解できなかった。だから俺は抗議した。勝ちたくはないのかと。もっと悔しがるべきだと。
「俺、自分のことしか考えてなかった。みんながどうしたいかとか、勝手に決めていた」
『バスケなんてやって楽しけりゃいいだろ。お前のやり方を押し付けんなよな』
考えたこともなかった。勝つことを目的としていない人がいるなんて。
『うちの部活は前からずっと優勝だとか目指さない緩い部活なんだよ。そんな事も知らないで入ったのか?』
近いから、という理由だけで決めた。オープンスクールだとか、部活動見学とかには参加していない。面倒くさいからいいやと、思ったから。
でも、するべきだった。本気でバスケをしたいなら、するはずだったことなのだ。それをしなかった。俺は、しなかった。
「だから部活に行くのをやめたんだ。行って、他の人に迷惑かけたくないからさ。楽しむためにバスケをやってる中で、俺みたいなやついたら邪魔だろ」
楽しむ為だけにバスケをやること自体悪いことじゃない。尊重されるべき意見だ。だから、所属している人たちがそれを良しとしている以上、俺は主張し続けるべきでは無い。
「それだけなんだ。本当に、それだけなんだよ」
「そう。事情はわかったわ。では次の質問。貴方は本当にそれでいいの?」
「は?」
「そうやって逃げ出したままでいいの?」
「いいのかって、いいに決まってる。別にバスケは部活でしなくても、趣味でしたっていいわけだから」
「なら、なんで退部してないの? 今の貴方、部活をやめてはいないわよね」
「それは……」
俺は退部届を出したわけじゃない。部活にはまだ所属しているし、だからこそ桜庭先輩は部活に誘ってくれたのだ。
「退部届を出してないのはやめるって言いに行くのが気まずかったからで……。本当に部活でバスケをするつもりは無いよ」
「本当に?」
「ああ」
「そう。なら、なんで目を背けているのかしら?」
一歩。踏み込んできた。俺はその歩幅だけ後退る。
「本音を話す時は目を見て話しなさい。そうやって逃げながら言い続けたら、その言葉はいずれ嘘になってしまうわ」
彼女は逃がさない。中途半端を許さない。だから、俺は言い訳も言い逃れも、する暇を与えられなかった。
「お、れは……」
「貴方がきちんと私の目を見て言ったのであれば、どんな言葉だとしてもわたしは受け入れるわ」
俺が、どうしたいのか。そんなことは決まっていた。でも、言い出すことが出来なかった。傷つきたくないから。主張しなければ、傷つかないから。だから俺は逃げ出した。逃げて逃げて、耳を塞いで、口を閉じた。
しかし彼女は逃げを許さない。耳を覆う手を引き剥がして、閉じた口をこじ開ける。
「……俺は、勝ちたい」
負けたら悔しくて。だから勝ちたくて。必死になってボールを追いかける。でも、ボールを追いかけた先には仲間は誰もいないかもしれない。それが、怖い。
――でも、それでも。俺は勝ちたい。
「負けるのは悔しいから。絶対に勝ちたい。好きなことで負けたくない。仕方がないって諦めたくない。俺は、俺は、――バスケをしたい!」
「――そう」
引き締まった唇がふっと綻ぶ。真正面から受止めた雛菊の瞳には、慈愛の色が彩っている。
俺はふっと軽く息を整えた。そして再び正面から彼女の目を見据える。
「俺、部長と話してくるよ。俺の意見を伝えてくる」
「それは必要なこと?」
「楽しむためだけって理由も、間違いじゃないから。だから俺の気持ちを伝えて、ぶつかって、納得したい」
「……納得できるの?」
「わからない。でも、お互いがどうしてバスケをするのかを分かり合えたら、何かは変わると思うから」
話し合えば分かり合えるとは限らない。でも、歩み寄るためには話し合わなければならない。たったそれだけのことにようやく気づいた。
「俺、楽しみながら勝ちたい派だからさ。勝った時に一人だったら楽しくないから。だから、勝ちたいって気持ちを共有するために話してくるよ」
「…………そう。良いんじゃないかしら」
そう言って、ふふっと笑う。いつの日か見た、俺の好きな顔で。
「そういうバカみたいに動くところが、貴方の良いところだったわね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます