第3話 青の庭
蝉の合唱を聴きながら、俺は鷺ノ宮宅の前にたどり着く。咲太との関係は中学時代も続いていたものの、ここに来るのは小学生以来だった。
「よく来たわね!」
その家の前を門番のように立っていたのは、鷺ノ宮家の娘の雛菊。騒々しい蝉の声にも負けない覇気を感じる声音は朝の住宅街によく響く。
「おはよう。荷物はそれ?」
「ええ。それじゃあ今日からお願いするわね」
「任せて」
荷物を受け取り、いざ学校へと踵を返したものの雛菊は一向に動こうとしない。
「あれ、行かないのか?」
「少し待ってちょうだい。もうすぐ準備が整うわ」
準備ってこれだけでは無いのか?
雛菊に言われるがまま暫しの間待機していると、彼女の背後の扉が不意に開いた。そこから顔を見せるのは、見知ったメガネ姿。
「どうしたんだ姉貴。もう出たものだと思ってたが」
怪訝そうな目で姉を見て、それから少し離れた位置にいる俺の姿を認識する。お互いの服装は制服。これから何処に向かうのか、それは聞くまでもない事だった。
「……まさか、準備って咲太のこと?」
「もちろん。咲太が今日学校に用事があるって言ってたから、この子が出てくるまで待ってたの」
「それなら、俺要らなかったんじゃ――」
「そんな事ないわ。ほら、せっかくの機会なんだから三人で登校しましょう!」
名案だとばかりに手を打ち鳴らし、決定したとばかりに杖をつく。
「雛菊、変わらないな」
「オレとしては早く弟離れして欲しいところだがな」
「……そうだな」
「なんだ、その目は」
「いや、なんでもない」
お前も大概だけどな。喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「何してるの! ほら、早く行きましょう!」
「なんで松葉杖であんなに歩くのが早いんだ?」
「姉貴だからな」
「そうか、雛菊だからか」
妙に説得力ある。昔からどんなに初めてのことでもすぐに上達していった雛菊だ。今回もその才能を遺憾無く発揮しているのだろう。
「早くしなさい! 時間に遅れるわ!」
「早めの時間に出てるから大丈夫だって」
「オレは急ぐ理由ないんだが」
俺らの言葉を無視して雛菊は歩みを早める。そんな彼女の後を俺たちはついて行く。
それは過ぎ去った朝の光景をなぞるようで、ふと幼い頃を思い出した。
☆ ☆ ☆
咲太とは校門前で別れ、俺たちは体育館に訪れていた。
「ここまででいいわ。ありがとう」
「部活は終わるのは確か、12時半ぐらいだっけ?」
「ええ。だからそのぐらいにここに来てちょうだい」
「りょーかい」
さてどこで時間を潰そうかと考えたところで、聞き覚えのある声が耳に入った。
「おっ、菊池じゃないか。来てくれたのか」
「桜庭先輩……」
そういえば月曜日の午前は男子バスケットボール部も練習があったと、今更ながらに思い出す。
桜庭先輩は俺の姿を見ると嬉しそうにニッと笑った。
「それにしても早いな」
「いや、その……」
「今は俺だけだが、今日はあと二人来る予定なんだ。準備始めておくから、部室行って着替えてこいよ」
「すみません。あの俺、今日部活をしに来たわけじゃないんです……」
「そうなのか?」
ならなぜここに? と言わんばかりに首を傾げる桜庭先輩。そんな彼に向けて、声が割って入った。
「彼は今日、わたしの登校の手伝いでここまで来てくれたの」
「……えーと、君は確か鷺ノ宮さん……だよね?」
「はい」
「そうか。菊池は部活しに来たわけじゃなかったか」
そう言って桜庭先輩は残念そうに頭を搔く。
「でも、太陽は女バスの練習が終わるまで暇だそうよ。せっかくだから部活に参加したらどう?」
「そうなのか?」
「え、ああ……まあ、そうっすね」
雛菊の助言によって、俺が部活に参加する流れになって来ている。俺はそっと目を逸らしながら、何とか言い訳を捻り出す。
「ただその、俺スポーツウェアもバッシュも持ってきてないんで……」
「それなら大丈夫よ、すぐに来るわ」
「は? 来るって何が」
次の瞬間、背後から声がした。
「姉貴、どうした」
「来たわね! 体操服とシューズを貸しなさい!」
姿を見せたのは咲太。朝とは少し違い、鞄を持ってる逆の手にはシューズ袋をぶら下げている。
咲太は怪訝そうな顔をしたものの、鞄の中から体操袋を取り出すとシューズと共に突き出してきた。
「使うのか?」
「ええ。太陽がね」
なにやら勝手に話が進んでいっている。止めようとしたが、上手く言葉が出てこない。
「さあ太陽。これで問題ないでしょう?」
「あ……」
『バスケなんてやって楽しけりゃいいだろ。お前のやり方を押し付けんなよな』
思わず受け取ろうとした手が不意に止まる。
「――すみません。俺、やっぱりやめときます。じゃあ、雛菊。時間になったら迎えに来るから」
目を合わせないようにしながら言い切ると、背中を向けて足早に去る。
足早に。早歩きで。決して走らないようにして、去る。三人の誰からも見えない、取り残されたかのような静かな場所まで来てようやく一息ついた。壁にもたれ掛かり、手で顔を覆う。
どこからか吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。陸上部の掛け声が聞こえてくる。バスケのボールをつく音もバッシュが床を滑る音もここからだと微かに聞こえてきた。
「本当に何やってんだよ、俺……」
ここだけ切り取られたかのように、俺の周りでは何の音もしない。あの喧しい蝉の鳴き声でさえ、どこか遠くに感じられた。
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