第2話 菊の花
――試合終了のベルが鳴る。
小学生の部活で、時間制限のみのお遊びみたいな試合。バトミントンなんてあまり疲れないし楽だろうという甘い考えから選んだが、早速後悔している。
ラケットを床に放り投げ、天を仰ぐ。一応、得点は数えられているが確認するまでもない。完敗だ。
「おつかれさま」
歩み寄ってきて手を差し伸べてきたのは、対戦相手の女子。俺の前にも試合をしてたくせに、息のひとつも吐いていない。機械みてーな女、と心の中で毒吐く。
「疲れてねーし」
「そう? つかれているように見えるけど。ちゃんとこの後水分を摂りなさい。ねっちゅうしょーは危険だから」
「知ってるよ」
本当は何のことか分からないが、知っているふりをする。そう言うと、彼女はそう、よかったと言って笑顔を浮かべる。なにかの真似をしてるかのような、気味の悪い笑み。
「良い試合だったわ」
貼り付けた顔のまま、彼女は真っ直ぐとそう言ってくる。俺ら薄気味悪くて、その顔を見続けられなかった。
「はあ? 何言ってんだよ、お前の勝ちで俺の負けじゃん。なぐさめてんのかよ」
「本音よ」
「勝者のよゆーってやつかよ」
本当に褒めているのだとは受け取らず、俺はバカにされたと苛立つ。そんな俺の様子に困惑したように眉を寄せる。
「勝者敗者に関わらず、良い試合だから健闘を讃える。普通のことだと思うけど?」
「なにがいい試合だよ。俺の完敗じゃん」
俺の投げやりな言葉に、彼女はキッパリと頭を振る。
「違うわ。貴方は最後まで諦めず、バカみたいに動き続けていた。……スポーツに向き合った、情熱のある良いプレーだったわ」
「そんなの当たり前だろ。ってか、今バカって言ったか!? 俺、バカじゃねーし!」
バカにされたのだと分かると、顔を真っ赤にして憤慨する。でも、雛菊はふふっと笑った。さっきとは違う、借り物の表情ではない笑顔で。
「ええ、当たり前ね。……素敵なことだわ。とっても」
俺の抗議を無視して、彼女は楽しそうに笑う。そんなあの子の姿を俺はただただバカみたいに見惚れていた。
――ふと目を覚ます。懐かしい夢を見ていたような気がする。
時間を確認するといつもよりも少しだけ早い時間。まだ寝たいという欲求はあるものの、予定があるため二度寝するわけにもいかない。
俺は眠気を抑えながら起き上がると、今日の予定に向けて準備を始めた。
☆ ☆ ☆
俺は昔から怪我や病気もない健康体なものだから、病院に来たのは友達のお見舞いぐらいだった。そして今回も例に漏れずお見舞いで病院に来ていた。
しかし、俺の経験してきたお見舞いと今回はかなり違う。早鐘の如く鳴る心の音を鎮めながら、こんこんとノックする。少し遅れて「どうぞ」と声がしてから、俺は戸を静かに開けた。
「よく来たわね、歓迎するわ。そこに座りなさい」
病室であってもいつもと変わらない彼女の姿。
その姿を視認して、少しだけだが安堵する。咲太から話は聞いていたとはいえ、実際に様子を見るまで気が気ではなかった。
「こうして話すのは久しぶりだよな」
「何を言ってるの? 昨日話をしたじゃない」
「……会話なんてしたっけ?」
「わたしにまかせなさいって言ったじゃない。もう忘れたの」
「あれ、会話なのか?」
「会って言葉を交わした以上、会話と言って問題ないでしょ」
相も変わらずの自信ありげに断言され、何も言えなくなってしまう。力強いその姿からつい目を逸らしてしまい、彼女の片足に巻かれた真っ白なギブスが目に入った。
「どうかしたのかしら?」
「雛菊、ごめん!」
すぅっと息を吸って、一息に頭を下げる。じっと俺を見てくる雛菊の目を正面から受け止め、口を開く。
「本当にごめん。雛菊に怪我をさせてしまって。あの、これ、全然お詫びにならないだろうけど、お見舞いの品として――」
「要らないわ」
ピシャリと言われて言葉が途切れる。俺は雛菊に渡そうと用意した羊羹の包みを見つめたまま固まってしまった。
だが、いつまでも固まっていてはいけない。何か言わないとと思いながら、口を開こうとして。
「――うん。やっぱりカロリーが多すぎるわ」
「……へ?」
乾いた唇を懸命に動かし、何かを言おうとしたタイミングで思いがけないセリフが頭から降ってくる。
「あら知らなかったかしら。わたし、最適な身体を作るためにちゃんと栄養素やカロリーを計算してるの。もちろん、貴方の厚意を無為にするつもりはないけど、羊羹を一つはちょっと計算外ね……」
「あ、ああ、そういう」
それは悪いことをしてしまった。一応、咲太に確認を取った時は何も言われなかったがバナナとかにしておいた方が良かったかもしれない。そう思っていると、彼女はいい事を思いついたとばかりに手を打った。
「そうだ! 一緒に食べて貰えないかしら」
「良いのか?」
「もちろん。甘いものでも食べて元気出しなさい」
心の中を見透かされたかのような言葉に声が詰まる。
「……本当にごめん。足、怪我させてしまって」
「貴方が気にすることではないわ。責任もない。大した怪我ではないし、明日にでも退院出来るわ」
「でも、すぐに治るわけじゃない。……部活とか、あるだろ」
「……はい? …………まあ、あるわね。確かに約一ヶ月ぐらい足のトレーニングが出来ないのは痛いけど、その分上半身とルールやフォーメーションを勉強する時間にあてればいいだけだから気にしてないわ」
なんでもないことのように言う彼女の素振りに俺の心はさざ波立つ。
「……試合、あるだろ。しかも全国。それはいいのか」
「強い敵と戦う機会を失うのは残念だけど、別に問題ないわ。敵と分析なら見るだけでも出来るもの」
「そうじゃなくて! もっと悔しいとか、そういうのは――!」
「太陽、静かにしなさい。ここは病院よ」
激情の波が阻まれて、次第に勢いが萎んでいく。そんな俺の腕を雛菊は掴むと、グイッと自分の方へ寄せて俺を真正面に向き直させた。
「言いたいことはわかったわ。試合に出れなくて、悔しくないのかって意味ね。それなら答えは決まっている。まったく悔しくない」
「……そっか」
「わたしは勝負に負けた時しか悔しいと思えないの。バスケットボールはチームスポーツ。まだ戦ってないのだから悔しくない。そして、わたしのチームが負けることはない」
そう言って彼女は、威風堂々と当然のことかのように宣言した。
「だってこのわたしが、これから全力でサポートに回るのだから!」
「は?」
「バスケットボールはチームスポーツ。チームメイトの実力を正確に把握しておくことも重要。そう、わたしはこの機会にマネージャーをやってみようかと思ってるの」
「それは、どうなんだろ。出来るのか?」
「もちろん、通常のマネージャーとは出来ることは制限されるけどね。既に各チームメイトの武器、弱点、癖をリストアップして最適な練習を組むことを始めてるわ」
それはコーチや監督の仕事では。
そう言いかけたがグッと堪える。事実、雛菊には有言実行するだけの実力がある。顧問といった大人たちが許可するかは別として、確実に今言ったマネージャー業を彼女は成し遂げるだろう。
「……それなら、俺に少し手伝わせて欲しい」
「手伝うって何を?」
「送迎を。マネージャーするなら、夏休みも毎日学校に行くだろ。その怪我で荷物を持って登校するのは大変だろうから、俺に持たせて欲しい」
もちろん、両親が送迎してくれるだとか、咲太に頼るだとかを決めているのなら気を遣わなくていいと付け加える。
「貴方が?」
「ああ」
「毎日?」
「部活があるなら毎日」
「ふーん……」
彼女からじっと見つめられ、気恥ずかしくて目を逸らす。すると、雛菊の方から変な笑い声が聞こえてきた。
「……何笑ってんだよ」
「べっつにー。ただ、貴方って昔からわたしのこと好き過ぎるわよねーって思ってね」
「違うからな!? そういう意味じゃなくて、単純に罪悪感からで……!」
「はいはい。わかってるわよー」
絶対に分かってない!
羞恥心から顔が赤くなり、さらに勘違いが加速していく。
「でもね、女の子をデートに誘うなら今のは甘く見て及第点だから気をつけなさいよー」
「だからそういうのじゃないって!」
「それにしてもまさか夏休みに毎日会いたいだなんてねぇー」
ダメだこいつ全然話聞いてない!
それからも必死に弁明するも、上機嫌になった雛菊の耳に届くことは無かった。
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