煙雲立つ都市にて

菜種油

第1話

遠くの方に、煙に混じった黒雲が見える。一日中振り続けた雨はようやく流れ、今度は雨上がりの弱気な日差しが都市全体に降りかかっていた。樋を過ぎた雨水は行く当てもなく重力のままに落ちていく。いくつか屋根を伝った先、やがてそのうち一滴は青々とした葉に辿り着く。


一枚の葉に雫が垂れている。助けを願うかのように、必死にしがみついているのか、はたまた、全てを諦めた脱力の末なのか。指先が近づいた、白く、すらりと細い指だ。葉をなでるように葉脈をなぞり、やがて指の主は雫をすくい上げる。じっと見つめた後には、窓辺に落としてしまった。


「ほんと、雨って嫌いだな、私。」

イスに座り、気だるげな声で呟く少女は、そう言いながら窓辺に顎を乗せた。その指先は少し濡れている。丸まる少女の後ろからまた別の声がする。

「リミネ、雨が降る度言ってるね、それ。僕は好きなんだけどな。なんか、悪いものが流れていってくれるような気がしない?」

何かの作業中らしき青年はそう答えた。

「そんなこと言われてもわかんないよ〜。私は明るいのが好きなの、雨はずーーっと暗いじゃん。」

リミネと呼ばれた少女が少しの反抗心を込めた反論をしてから、こう続ける。

「ウェグはウェグで、朝からなにしてるの?こんな、例えるなら太陽のような少女がさ、窓辺で物思いに耽っているっていうのに、こんな喧騒の中じゃ台無しでしょ。」

喋っている最中にも脚をパタパタさせながら落ち着かない様子だ。それも仕方なく、今彼らがいる空間は金属を叩く音、擦れる音、触れ合う音、様々な音が鳴っては反響しており、さながら金属音の泉となっていた。到底、落ち着いてなどいられない。

そんな中、ウェグと呼ばれた青年が作業を止め、一呼吸置いてから話し始める。

「リミネ、僕たちがなんでも屋だってこと忘れてないだろうね。」

「でも、ここ数日は依頼が来てないよ〜?」

「…まぁ、それはそうだけど…。とにかく、いつ依頼が来てもすぐに対応するために、腕を鈍らせるわけには行かないんだ。リミネだって、魔法の試用は毎日やってるだろ。」

「分かったってば。でもウェグの仕事は朝からやるにはちょっとうるさいっていうかさ。1日ぶりの晴天なんだから今日はのんびり過ごそうよ〜。」

しばらく、引けを取らない言い合いが続いた。この間、リミネは窓から外を眺め、ウェグは気を使ってか音の無い作業を続けているため、互いに顔を合わせることはなかった。


「分かったよ僕の負けだ。今日の作業は夕方に持ち越すことにする。」

やがて終わった言い合いの末、根負けしたウェグが手にしていた工具をしまいはじめた。一つ、二つと半ば呆れたように。その途中、彼は自分の手元に微小な赤い光の粒が集まってきていることに気付く。

ふとリミネの方へ顔を見やってみると

「ありがとねウェグ。おかげでゆっくりできる。それ、感謝の印だよ。」

最終的に掌に集まった粒子は、やがてほのかな熱を持ち始め、一つがシャボン玉のように割れた。内側から噴き出る小さな火がまた他の粒子を割り、そこから出た火がまた別の粒子を割り…。波紋のように移ろう粒子の破裂は目では追えない速度に達し、瞬く間に全ての粒子が火に変わった。粒子の跡にできていたのは、小さな光焔だった。朝の薄暗い部屋の中で燃える炎は、幽かな明暗の波を生み出している。

「…これが感謝の印、か…。」

冷静な口調を保つウェグは、掌に浮かぶ炎とは対照的な冷ややかな視線をそれに向けた。

「この都市で魔法を使える人なんて半分もいないんだからさ。珍しいものが見れた、って喜ぶべきじゃない?」

いつの間にかウェグに隣り合うようにして屈んでいたリミネは、ふふんと鼻を鳴らして得意気に言ってみせる。

「珍しいって…、このくらいの炎魔法なら、ちょっと外を探せば街灯に使われてるのが見れるじゃないか。」

「バレたか…。」

「隠す気無いだろ、お前。あと、そろそろこれ消してくれないかな。一応ちょっと熱いんだからさ。」

もう一方の手を使い、パタパタと仰ぐようなジェスチャーで、消火して、と促す。

「もぉ、しょうがないな〜。」


リミネはそういうと、ゆらゆら燃える炎の方にピッと人差し指を差し出した。炎と指先が直線に重なった。その状態で彼女は、人差し指を折ってみせると

「はい。」

ウェグの掌から炎は消えてしまっていた。代わりに、素となった赤い粒子が、晴れ間の霧雨のように辺りに離散していった。

その様を見届けた彼は膝に手をつきのそっと立ち上がると、

「さ、作業を持ち越すとなれば今ここでやることはないかな。どうするリミネ。出かけようか?」

とリミネに告げた。彼女はいいねぇ、と小さく頷き、ウェグに続いてすくっと立ち上がる。

「さ〜てっ、なにしよっかなぁ〜っ。」

背を反らせた大きな伸び。ウェグもつられて同じ動作をする。

「こうしてると、楽しむ準備をしてるみたいだ。」

一連を済ませ、二人は歩き出し扉に向かう。


「そういえば、リミネはさっき自分を太陽に例えていたけど、太陽というよりシリウスだね。なんたって眩しすぎるから。」

ドアの前で、一応の補足を付け足した。なにそれ、と、ウェグの肩を軽く叩くリミネ。


2人の間に少しばかりの笑いが起きた後、ドアは開かれた。

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煙雲立つ都市にて 菜種油 @takesonpo

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