第13話


         ※


 裏口の階段を下りていくと、広い駐車場の中央に黒塗りの乗用車がぽつん、と停車していた。あれが、優太郎の言っていた車で間違いないだろう。

 周辺には四人のボディーガードのような屈強な男たちが立っている。全員が黒いサングラスに黒いスーツを着用し、ぴくりとも動かない。

 随分と暑そうだが、熱中症などが怖くはないのだろうか? いずれにせよ、僕とジュリは彼らに助けてもらうしかない。

 僕が最寄りの男性に向かって大きく頷くと、男性の方も、承知している、といった具合で軽く片腕を上げた。


「行こう、ジュリ」


 ジュリの手を引いて、僕は残りの階段を駆け足で下りる。

 何とはなしに空を見上げると、視界の片側が妙に薄暗い。今日のこれからの天候は、きっと最悪だ。テレビもラジオも、ネットの情報も受け取っていなかった僕は、それを始めて悟った。

 これから土砂降りになるとして、それは僕たちにとって吉と出るか凶と出るか。


 車に駆け寄ると、さっきの男性が後部座席のドアを開けてくれた。ボディチェックは特になし。何も偽装を疑われていない、なんて能天気な話にはならないだろうが……。

 もしかしたら、僕やジュリに余計な負担をかけないよう、優太郎が配慮してくれたのかもしれない。


 僕が先に後部座席に腰かけて、そのまま奥へ。続いてジュリがさっさと乗り込んできて、自分の身体を座席の上で滑らせ、シートベルトを装着した。


「いやいや二人共、突然の連絡、すまなかったね」

「ゆ、優太郎!」


 驚き慣れてきたつもりだった僕は、しかしまた驚いてしまった。助手席から、見慣れた丸顔がこちらを振り返っていたからだ。


 彼は相良優太郎。中学、高校と同じ学校に通っていた腐れ縁だ。

 大学入学後も親交のあった、数少ない人間である。広い肩幅、屈強な体幹、そして常に穏やかな笑みを浮かべる丸顔。

 しかしながら、今はその丸顔も引っ込んでいる。


「すぐに出発しよう。敵が来る前に――って、マズい! 早速だけど、プランBで行こう」

「はッ。総員乗車、プランBを発動。繰り返す――」


 いつの間にか、黒塗りの高級車は三台になっていた。廃車やらなにやらの陰に入るよう、上手く停めてあったようだ。


「少し揺れるかな……。二人はもうシートベルトは締めたよね。座席の下にヘルメットがあるから、それもかぶっておいてくれ。ここから先は、うちの組織の隠蔽工作でどれだけの人々を騙すことができるかにかかっているね」

「そ、組織?」


 言い返してみたものの、優太郎は『ああ』と中途半端な返答をするばかり。ここでは口にするのがはばかられるような組織なのだろうか。

 名前は伏せておくとして、僕は自分たちが連れられて行く組織、そしてその場所の情報をなんとしても入手したいと思った。

 でも、この車内で手に入れられる情報なんてたかが知れているし――。


 いやいや、なに馬鹿を言っているんだ、僕は。情報なら目の前にあるじゃないか。

 急カーブを半ばドリフトする要領で飛ばす車内で、僕はジュリに耳打ちした。


「ジュリ、優太郎の後頭部から情報を引き出せるか? 僕たちがこれから出向くところについて知りたいんだ」


 ジュリは瞬きだけで巧みに了解の意を示し、自分の腕を助手席の背部にくっつけた。

 優太郎の脳から情報を引き出すのが一番手っ取り早い、というわけだ。

 彼は僕たちが思う以上に事態を知っているだろうから、糸の針を刺すのも隙を見て行わなければならない。


 ちなみに現在、僕たちはプランBという作戦要綱に従って移動している。車列は、この車両とまったく同型の車が二台、合計三台。僕たちが乗っているのは二台目だ。

 こんなド田舎の山中を走るには、どうにも迫力や重量感がありすぎる車列だが、そんなことを気にしてはいられないだろう。


「優太郎、質問してもいいか?」

「もちろんだ。できるだけなんでも答えられるように努めるよう」

「これはプランBだそうだけど、プランAって何だったんだ?」


 優太郎ががくっとするのを、僕は車体の揺れで感知した。

 優太郎はしばし黙考してから顔を上げた。そして、話していいと思ったのだろう、思いの外淡々と語り出した。


「プランAとBの違いは、どんな道を通るか、っていう問題だけなんだ。最初の計画、すなわちプランAでは、高速道路を使う予定だった。この時期、付近の高速道路は混雑しているわけじゃないし、敵襲に遭っても巻き添えを出さずに撃退できそうだからね。しかし――」


 唇を湿らせながら、優太郎は目を逸らした。そのまま説明を続ける。


「俺たちは嵌められたんだ。プランBは、高速道路を使わずに、通常の道路を使って逃げる作戦」

「なんだ、そういうことか」


 僕はほっと胸を撫でおろした。高速道路上とは違い、人口密集地を含む道路を使って逃走するとなると、迂闊に銃器は使えない。敵も味方も、互いに死傷者は少なくて済むだろう。


「話はそう単純じゃないんだ。残念ながらね」

「え?」


 僕の思考を読んでいたかのように、優太郎はぴしゃりと言い放った。僕の楽観視した見方を叩き潰すように。


「俺たちも敵も、ジュリちゃんのデータを取るべく必至なんだ。市街地でもカーチェイスや銃撃戦を躊躇ってはいられない。恐らく、二十名前後が犠牲になると推定されている」

「ぎ、犠牲って……?」

「一般人を巻き込まざるを得ない、ってことだよ」


 さっきまで煮えたぎっていた僕の心。それが急速冷凍されていくような感覚を、僕は味わった。


「優太郎、まさか民間人に犠牲が出ても仕方ない、なんて思ってるのか!?」

「それほどの犠牲をくつがえせるだけの技術的発展を、ジュリちゃんは我々にもたらす可能性がある。彼女は希望なんだよ、凪人。我々地球の人類が授かった、進化のための重要な一ページなんだ。ここで数十人の犠牲が出るからといって、ジュリちゃんの奪還という選択肢を捨てては駄目なんだ!」


 僕は奥歯をギリッと鳴らした。


「じゃ、じゃあ、プランBとやらで死者が出たら、お前は責任を取れるのか? もし誰か亡くなったら……!」

「それは可能性の問題だよ、凪人。言ったばかりだろう? この『ジュリちゃん争奪戦』で、彼女の力を実社会で適切に運用することができるのは我々だ、ということを世間に知らしめなければならない。勝った方が正義なんだ。たとえ、君の言う通り、多少の犠牲が出たとしてもね」


 そんな馬鹿な。優太郎がそんな冷酷な人間だったなんて、俄かに信じられることではない。

 かといって、今の優太郎がかつての優太郎と同じだ、などと考えるのは、あまりにも僕の勝手すぎる。

 じゃあ、僕はどうすればいいんだ? 優太郎を信じることと、ジュリを救うこと。その両方を達成する方法は……?


 無謀なことを考えていたためだろう、唐突に雨が降り出した。僕はまた歯噛みしそうになったが、しかしむしろこの方が理に適っていると判断した。

 というより、豪雨という環境を活かした戦い方がないかと、脳内で改めて作戦を練り始めた。


 車が蛇行して、僕はドアに頭をぶっつけた。


「いてっ! カーチェイスってこんなに激しいもんだったのか……」


 と口にしたその拍子に、ぽん、と一つのアイディアが浮かんできた。最上策ではないし、下手をするとこのまま走っているよりも多くの死傷者が出るかもしれない。

 しかし、ジュリを守るためには……!


「ジュリ、僕の考えを読んでくれ!」


 目を丸くして、こちらに振り返るジュリ。だがすぐさま糸を展開し、僕の額に当ててくれた。この作戦、ジュリはどう思うのだろう?

 

 ジュリはすぐさま行動に出た。僕のシートベルトを確認し、自分の方もしっかり締められていることを確認。大きく頷いて見せる。

 僕は前方の座席を注視した。優太郎は頭を下げながら上手く運転している。だが、助手席のボディガードの黒服は別だ。

 窓から乗り出して、拳銃を撃っている。


 僕は自分自身に、これは実弾ではないと、虚偽の情報を流入させてどうにか耐えきろうとする。

 まさかこの道路の先で、彼らに出会うことになろうとは。

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