第14話
※
ジュリは僕が伝えた通りに動いた。
今度は糸ではなく、触手程度の太さで腕をしならせる。その先端が伸びた先にあったのは、運転席のハンドルだった。
「ッ! なんのつもりだ!?」
「運転手さん、合図をしたらブレーキを」
「は、はあ……?」
運転手は何が何やら、という戸惑いを顔に浮かべ、サングラスの向こうからジュリを見つめている。
「だ、だからどういう――」
「カウントダウン開始。五、四、三、二、一!」
ギュルルルルッ、と鋭利な音を立てて、僕たちの車は直角右方向へと回転。
運転手がちゃんとブレーキを踏んでくれて助かった。
直後に左側、すなわち先頭車両が走行していった方向から、強烈な爆光と黒煙が上がった。当然、その爆音たるや凄まじく、防弾ガラスでさえ軽く振動するほどだった。
運転手に、冷静に戻るだけの時間を与えつつ、ジュリは急いでドアを蹴り開けた。
「お、おい! 待てよジュリ!」
「私は大丈夫。凪人、あなたはここで待ってて」
そう言って、ジュリはキッと鋭い目で僕を一瞥し、爆発地点へと駆け出そうとする。
僕は咄嗟にジュリの肩を掴もうと試みた。が、僕の指先を回避するようにして、ジュリは脱走。タンタンタンタン、と軽快な音を立てながら、勢いよく駆けて行った。
「ジュリ! ジュリってば! ああっ、まったく! おい、黒服! 勝手に逃げ出したら容赦しないからな! 優太郎、そいつから目を離さないでくれよ!」
そう言いつけて、僕もまたジュリのあとを追った。
※
僕が先頭車両のそばに駆け寄ると、そこにジュリの姿はなかった。
しかし、酷い悪臭だ。ガソリンによる黒煙が鼻腔を満たし、とても長居できる場所ではない。
炎の勢いがあまりに激しいので、乗員の遺体を見ずに済んだのは幸いだった。さっきの首斬り事件の際に、見慣れてしまったのかもしれないが。
周囲を見渡すと、ジュリは最後尾の車両の運転席に身を乗り出し、なにやら怒鳴りつけている。あまりにひどい言葉なので詳細は伏せるが、とにかく怒りマックスといったところ。
一つだけ語れることがあるとすれば、ジュリがこう何度も言い聞かせていたことだ。
人殺しはするな、させるな、行動不能にさせることはあっても、過度な暴力を振るうな、というような事柄。
さっきはあまりにも簡単に三人を斬殺したものだから、ジュリに伝わっていないと思っていた。だがそれは、僕の勘違いだった。
あの後、叱りつけたのが効果的だったらしい。ジュリは僕のことを信頼してくれているのだな――。そう思って、僕は少しだけ安心した。
と、いうのも束の間だった。
「うあっ!?」
僕は自分の腰に、触手が巻きつくのを感じた。
ジュリ、何をするつもりなんだ? と尋ねられればよかっただろう。だが、僕にはそれができない。言ってみれば『驚き疲れて』いたのだ。
だから、どれだけ振り回されても、縦横に引っ張られても、なんとも思わなかった。
きっとこれは、ジュリが自我を持って、僕のことを思って行っていることなのだ。戦闘はもとより、喧嘩などしたことのない僕は、素直に振り回されるがままだ。
ぼんやりとした視界の中で、殺気を感じたのはそれから数秒後のこと。
左側の細い路地から、三台目の車めがけて何かが発射された。
白煙、爆炎、黒煙、再度爆炎。
戦場のドキュメンタリー番組で観たことがある。これは、歩兵携行用の対戦車ロケット砲だ。三台目の左わきに着弾し、車体そのものをごろん、と引っくり返す。続いて爆発し、黒煙を上げる。爆炎に呑み込まれた車体からガソリンが漏れ出し、再度爆発。
僕のような素人でも、洗練された攻撃だということがよく分かった。
誰が味方で誰が敵なのか。僕はひどく混乱した。分かったのは、ジュリが自分のそばに僕をゆっくりと下ろしたことだ。煙を吸い込んでしまったのだろう、僕はゲホゲホと咳き込んだ。
「ジュ、ジュリ、君はあの攻撃から僕を守るために――」
「黙って」
戦闘体勢を崩さないジュリ。その表情は、麦藁帽子に隠れてよく見えない。
そんな僕の心配など気にもかけずに、ジュリは左腕を肩の高さに掲げた。金粉が舞い散るように、光がぱらぱらと空中を流れていく。
直後、ビシッ、という音と共にジュリの左腕が糸状の太さにまで分裂。そのあたりの地面や壁面を這い回り始めた。
僕が説明を求める間もなく、ジュリは語った。
「現在索敵中。私の腕の及ぶ範囲に入れば、すぐに刺殺できる」
「し、刺殺って……。どうしちゃったんだよ、ジュリ!」
僕はようやく、ジュリの肩を掴むことができた。彼女の右肩に自分の両手を載せて。
しかし、今更懇願しても、ジュリの殺意を押さえることなど不可能だった。
「そこか」
言うが早いか、ジュリの視線の先で血飛沫が上がった。次は電信柱の上方、その次は焼けた先頭車両の残骸、挙句、マンホールの内部まで。
駄目だ、これじゃあ駄目だ。今のジュリは、自分の戦闘能力を誇示しているといっても過言ではない。それでは自分の有能性を喧伝しているようなものだ。
彼女を捕縛し、実験材料にしようとする組織は増えてしまうだろうし、何より僕が、易々と殺人を行うことのできるジュリのことが許せない。
――いや、一番許せないのは、ジュリを止めることのできない自分の無力さか。
「ジュリ、敵は総崩れだ! もう戦いは止めるんだ!」
「そう?」
「そ、そう? って訊かれても……。でも君のお陰で、脱出口が開けたのは事実なんだ」
僕はさっと手を伸ばし、ジュリの空いている腕をぐっと掴んだ。すると、ジュリははっとした様子でこちらに向き直った。
僕が、何としてでもジュリを止めようとした理由。それは簡単で、優太郎までをも殺傷されたくはなかったからだ。彼は数少ない、僕の友人なのだから。
僕がそれを説明しようとしたら、今度はジュリが衝撃を受ける番だった。
「凪人、どうしてそんなことを言うの?」
「そ、そんなこと、って……?」
「私はあなたを守りたい! だから身体を変化させてでも戦ってる! それなのに、どうして分かってくれないの? こんなに、私は……私はこんなに、あなたのことが好きなのに!!」
時間が止まったかと思った。ジュリが僕のことを好きだ、だって?
僕のような朴念仁でも、誰かに告白された経験がないわけではない。
だが、ここまで鬼気迫った告白を受けたのは初めてだ。しかも、地球外生命体(と予想される生物)に、だなんて。
確かに、ジュリの姿は美しい。仮に僕が同年代の男子だったら、少なからざる恋心を抱いていただろう。
しかし今は、状況がまるっきり違う。子供の恋愛遊びではないのだ。
僕の目の前にいるのは、初恋の相手ではない。ましてや『あの人』ですらない。
僕を救ってくれた、『あの人』とは。
ジュリは僕の襟元を掴み、がくがくと揺さぶった。ミシッ、というシャツの繊維が千切れる音がする。だが、今の僕にはさしたる問題ではなかったし、ジュリにとってもそうだろう。
揺さぶられる度に、ジュリの目元からは涙が流れ、振り切られていく。
それに対し、僕はその場に突っ立っていることしかできない。
僕は本気で彼女を守りたいのだろうか? それともこの感情はただの偽善で、ジュリにとっての大切な感情を踏みにじっているのではないか?
静かに、しかし強く、ジュリは僕の胸に自分の額を押しつけてきた。それでも僕は、彼女を抱きしめることさえできやしない。
僕とジュリが完全に戦意を喪失した、この機に乗じて知人に襲われることになるとは、僕もジュリも予想だにしなかった。
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