「おまえ、あのとき助けたメスガキじゃないか!?」

七谷こへ

メスガキの恩返し


「メ、メスガキ!? おまえ、もしかしてあのとき助けたメスガキじゃないか!?」

「ざぁ~こ♡」


 会社から帰宅する道すがら、ナンパらしきものを受けていたメスガキは、声をかけると上目遣いでおれを見やって鳴いた。

 ナンパしていた男は、けしからんことにイヤがるメスガキにしつこく声をかけつづけていたらしく、おれとメスガキとのやりとりを目にするや気まずそうにコソコソと逃げていく。


 メスガキは、髪をエキセントリックなピンク色に染め、両サイドをドリルのごとく激しく巻いた髪型をしていた。

 こんな特異とくいな髪型と髪色のメスガキは、なかなか忘れられるものではない。

 おれは、はじめてこのメスガキと会った半年前のことを思い出した――



「だれがザコだコラァ!」


 駅の改札前、出社ラッシュでピークを迎える直前の雑踏ざっとうのなか、そんな怒声どせいがひびいてきたのだった。

 ふと目を向けると、頭がモヒカンで2メートル近くはあろうかという背丈せたけ、肩から無数の金属のトゲをはやすパンクファッションの男が、メスガキに怒鳴っている。


「ざぁ~こ……」


 シュンと顔をうつむけたメスガキは、自分が着たパーカーの裾をもじもじと握りながら、しかしあおっているとしか思えぬ声をもらす。

 その反応にさらに男が怒髪どはつてんこうというところで――


「な、鳴き声なんです! これはメスガキの鳴き声なんです」


 と、おれがメスガキと男とのあいだに割って入ったのだった。

 おそらく両者のあいだに認識の齟齬そごが生じている、と感じ、無心むしんのままにからだが動いていたのだが、しかし男はすでに大きく拳を振りかぶっており、ひ弱の代名詞のような肉体のおれは「ひぃっ」とうめいた。


 岩が飛来ひらいするかと思うような迫力の拳がおれの顔面へと近づき、覚悟とともに目をつぶって身をかたくすると――


 ポン、と肩に手を置かれた。


「鳴き声なら、しょうがねぇな! おれも夜は女王さまの命令でぶひぶひ鳴くし、似たようなモンだったのか!」


 と男がガハハと笑って去っていく。

 話のわかる人でよかった。

 おれがほっとひと息ついていると、メスガキは状況を理解しているのかいないのか、おれを見てニッコリと笑い、舌をチロリと出してこう言った――


「ざぁ~こ♡」



 それが半年ほど前の話で、出社のタイミングでもあったしメスガキとはその場で別れてそれっきりだったのだが、まさかこんなところで再会するとは夢にも思わなかった。

 とはいえ、ややブラック企業に勤務しているおれは、一刻も早く帰ってめし食って眠りたかったので、


「最近このへんもあんま治安ちあんよくないみたいだから、気をつけろよ。じゃあな」


 とピンク髪のメスガキに告げて帰ろうとした。

 するとメスガキは、


「ざぁ~こ♡」


 おれの服をつまんで鳴く。

 つづいて、メスガキのおなかからぐぅぅと空腹を示すサインが鳴って、「よわよわぁ……」とつぶやいた。


 しょうがないなと、おれはサイフをあけてみる。

 ろくに現金は入っていないものの、しかし交通系ICカードに1万円足らずの残高はあったなと思い出す。

 まだこどものころ、母親に、


「人には親切にすんのよ! 道徳とかの話じゃなくて、そういうのが回り回って自分のとこに返ってくんだから。あたしも17のときに気まぐれでやった親切でお父さんとね……」


 と何度も説諭せつゆされたこと(毎回長い思い出話が付随ふずいするのでイヤだった)が脳裏のうりによみがえる。

 まあひとり暮らし、恋人もいない趣味もない自分には有意義といえるお金の使い道がないのもたしかなことだったので、


「まあ、じゃあ、一食だけならいいか。ただ安い店にしか行けないからな!」


 とクギをさしつつ駅方面へもどると、行こうと思っていた激安回転ずしは満員でとても入れず、ならばとファミレスへ足をむけた。

 ファミレスはガラス張りで店内が見え、ふたりなら容易よういに入れそうだ。

 扉をあけると、ふと、お店の名まえの「ガキゼリヤ」というロゴが目にとまる。


 そんな名まえだったか……?


 と思ったものの、すぐに店員さんが来てくれたので、2本の指をあげつつ「2名で」と伝えると、


「ざぁ~こ♡」


 とメスガキ店員さんが席へと案内してくれた。

 連れてきたピンクメスガキは、安くて量もそこそこあるドリアを「ざぁ~こ♡」と遠慮がちに指さすものだから、ハンバーグを自分の分も含めて2つ頼むことにする。

 店員さんを呼ぶボタンを押すと、以前はたしかピンポーンと鳴ったような気がするのだが、「ざぁ~こ♡」という機械音声が店内にひびいて「ざぁ~こ♡」とあおりながらメスガキ店員さんが注文をとりにくる。


 なんだか不穏ふおん気配けはいがして、注文後に周囲を見まわすと、おれたちのテーブル以外はみんな多種多様なメスガキが座っている。

 ひびく会話もまるで「ざぁ~こ♡」の荘重そうちょうなオーケストラだ。


 その音の重なりや、蓄積された疲労を材料におれがウトウトしてしまっていると、「ざぁ~こ♡」という声とともにハンバーグやドリアがテーブルに運ばれた。

 それらを前にして、ピンクメスガキは手をあわせて「ざぁ~こ♡」と謝意しゃいを示しつつ、しごくおいしそうに食べる。


「よわぁ♡」


 そのさまがあまりにも幸福感に満ちていたので、おれもおなかが減ってきた。

 食べると、口のなかで「しあわせ」というものがパチパチとラムネわたがしのようにはじけ、これまで感じたことがないほどのうまみを感じる。

 食事というのは、そのときの心がまえ次第で、これほどにおいしくなるものなのだなと学びになった。

 思えば、社会人になってからというもの、忙しさにとりまぎれて食事が「最低限の栄養をとる手段」になりさがっていたのではないかと、これまでの自分の生活を反省するおれ。


 そうしていると、早くもたいらげたピンクメスガキが、けぷりと小さなげっぷをして満足そうにテーブルにもたれながら、チラチラとほかのテーブルを見やっている。

 そこのテーブルではデザートのティラミスを、緑髪のメスガキがおいしそうに食べていた。

 なるほどあれが食べたいんだなと、やはり自分の分も含めて2つティラミスを追加注文してやる。


「ざ、ざぁ~こ……!」


 ピンクメスガキはおどろいていたが、すぐに来たティラミスをさし出すと、「よわよわぁ♡」「ざこざこざぁ~こ♡」と天国にのぼるようにはしゃぎながら食べるので、おれは思わず笑ってしまった。

 しかし笑えていたのはそれまでで、テーブルに置いたスマホに着信が入り〈会社〉という表示が出たことでとたんにどん底へと突き落とされた。


 なんだろう、出した資料の説明をしろとかかな。

 へたしたら「会社にもどって修正しろ」って言われるのかも……。


 と胃が痛くなりながらも、無視するほうがあとあとおそろしいことになるので、深く息を吐き出してからしぶしぶ電話に出る。


「はい、もしもし……」

『ざぁ~こ♡』


 開口一番、部長から「キミはクビだから。明日から来なくていいよ」とかわいらしい声で言われるので、おれはおどろいて絶叫する。


「えっ、えっ、クビってどういうことですか!?」

『ざぁ~こ♡』


 なんでも、会社で横領が発覚し、その責任をとってクビとのことらしい。

 あのメスガキ上司……!

 おれは、直属の上司のかわいい顔を思い出す。アイツが、横領をしていることに、実はおれはうすうす勘づいていた。

 しかしヘタに告発すれば逆上ぎゃくじょうしてくる性質なので、どうすべきかと思案しあんしていたところ、こんなすぐに発覚してまさかおれに罪をなすりつけてくるとは……


「ぼく、真犯人を知ってます。横領していたのはメスガキ上司で……」

『ざこ、ざこ、ざぁ~こ♡』


 おれの弁明は、部長にまったく聞き入れられず、ブツリと電話が切れた。

 おれは頭をかかえて絶望する。


「よわぁ……?」


 ピンクメスガキが、テーブルの向かいから頭をなでてくれた。

 ひとりだったら発狂して憤死ふんししていたかもしれないことを思うと、母が言った「回り回って自分のとこに返ってくる」というのは、こういうことなのかもしれないとうすぼんやり考えた。


 ふたたび、スマホが鳴る。

 今度はアプリのメッセージで、父から〈ざぁ~こ♡〉という別れの挨拶あいさつが来ていた……。

 正直それほど夫婦仲がうまくいっているとは思っていなかったが、まさかメスガキと不倫のすえに出奔しゅっぽんするとは……。

 わが父ながらろくでもないメスガキだ。


 さらに母からも電話が来て、新興宗教メスガキにのめりこみはじめているのは知っていたが、その教団が運営するメスガキ村に移住する、家は売った、という信じがたいむねを『ざぁ~こ♡』という電話ごしのひとことからみとった。


「なにが、どうなっているんだ!」


 おれは髪をかきむしってとり乱す。

 とりあえず一旦実家へ帰ってちゃんと話を聞こうと、「ざぁ~こ♡」と笑うレジメスガキに伝票を渡し、交通系ICカード〈ザコガ〉をかざすと「ざぁ~こ♡」という決済音がひびく。


 まずはスーツから着がえようと家へ帰ったのだが、おれは家の真ん前で愕然として道路にひざをつくこととなった。

 おれの家は二階建ての古いアパートの二階にあるのだが、一階からわらわらと「ざぁ~こ♡」「ざぁ~こ♡」と鳴き声をあげながら大量のメスガキが出てきて、家を焼いているのだ。

 すでにアパート全体が炎につつまれており、おれの家財かざいはもはや絶望的であろう。


 もういい、入社時に「会社の業務で使うから提携の車屋から個人購入しろ」と会社からせまられて取得した軽自動車に乗ってこのまま実家へ向かおうと近くの駐車場へ行くと、おれの車にわらわらと20人ほどのメスガキがむらがっていて、車の影さえ見えない。


「こら、なにをしてるんだ!」


 と叱ると、メスガキたちは「ざぁ~こ♡」と鳴きながらクモの子を散らすように逃げていった。

 そのあとには、車内のイスもタイヤもすべてをむさぼられつくし残骸ざんがいとなったおれの車だけが残っている……


 つぎつぎとおそいくる不運なできごとに、おれの思考はすでに停止寸前であったが、新幹線で向かうにはともかくも現金をおろしておこうと駅前のATMへふらふらと入ると、「ざぁ~こ♡」という音声・文字とともに、多少はあったはずの預金残高がゼロだと表示される。

 そとへ出て、うつろに駅前の大型ビジョンを見あげると、アノニマスメスガキがすべての銀行へクラッキングし大規模なシステム障害を起こしたことを「ざぁ~こ♡」とメスガキニュースキャスターが迫真のあおりで伝えている。


「もう、すべてがおしまいだ……」


 駅前の広場で、ひざをつき、手をついて絶望していると、「ざぁ~こ♡」という声がきこえる。

 なんだろうと顔をあげると、数十人はいようかという暴漢メスガキが口々にあおりながらニヤニヤとおれをとりかこんでいることに気がついた。


 ああ、おれは、このままメスガキにとり殺されて死ぬんだ……

 まあ、もう、こんな世界に生きていたくはない……


 そんなあきらめの気もちに身をひたし、おれを中心に山のようにメスガキが積もっていくのをひとごとのように眺めていた。

 どんどん圧が強まり、肺がつぶされ、呼吸できなくなっていく……

 上下左右からささやかれる「ざぁ~こ♡」は、さながら死へのASMR「ざぁ~こ♡」である。


 永眠にむけて意識が遠のきはじめた、そんなときだった。

 ピンク色の光が、おれの視界すべてをおおって――


「ざぁ~こ♡」


 そんな、どこかで聞いたはずの鳴き声とともに、一本のかぼそい手がのびてくる。

 おれはわけもわからず、その手にすがりついた――


「ざこ、ざこ、ざぁぁぁ~こ♡」


 山からずるりと引っ張り出されると、ずっとついてきてくれていたらしい、ピンク髪のメスガキが涙を浮かべている。

 「ざこ♡」「ざこ♡」「よわよわぁ♡」とおれの胸をぽかぽかとたたくので、おれは「ごめんな」と言った。

 涙をぬぐいながら笑ったピンクメスガキは、そのまま手と手を重ね、くいっとおれを暴漢メスガキたちのほうへ向けさせた。

 なにも言わないが、ふしぎと、おれはピンクメスガキがなにをさせたいのかがわかった気がした。


「人をおそっては、いけません!」


 そう暴漢メスガキたちへ叱ると、ぐわんぐわんと謎の機械音がして、ピンクメスガキの両サイドのドリルのごとき髪型が、縦から横へと回転していく。

 そして――


『ざぁ~こ♡』


 という効果音とともに、レーザーのごとき太い光の束がドリルから射出しゃしゅつされた。

 その光につつまれた暴漢メスガキたちは、浄化され、もとのあるべき姿へと戻っていく――


「クラッキングは犯罪です!」

「ものを盗んではいけません!」

「火を放ってはいけません!」


 ピンクメスガキの手をとり、対象のメスガキを叱ると、ドリルから光が放たれつぎつぎとメスガキたちは浄化されていく。

 こうして街の混乱をおさめたおれたちは、その後「株式会社メスガキわからせます」を設立すると、つぎつぎと仕事が舞いこみそれなりに裕福に暮らせるようになった。

 ピンクメスガキは、食うのに困らなくなったいまでも、ごはんを食べるたびに最高の食事と出会えたかのような至福しふくの表情をする。

 そうしておれを見て、しあわせそうに、やわらかに「ざぁ~こ♡」と笑う。



 ――おれは今日もオフィスへと出社する。

 そんなある日、ふと、駅で男の太い怒声どせいがきこえた。

 おれは、そちらのほうへと目を向けて……



〈完〉

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