第6話
九月になると、欧州連合を母体に持つエルメスとアルタイルの間で関係の改善が見られるようになった。
地球では五年前にヨーロッパで起きた戦争の後、比較的平穏な時期が続いていた。
元々エルメスは、当時のヨーロッパの情勢をそのまま反映して、二つの勢力が便宜的に同盟を結ぶことにより成り立つ国家だった。そのため内部では反発と緊張が常在していたのだ。
それが五年前、ヨーロッパで遂に戦争が起こったとき、エルメス内の二つの勢力は、母体とは逆に今までのわだかまりを排して、真のパートナーとして手を取り合って協力する道を選んだ。
月での覇権争いが発端であったはずの戦争にのめりこむうちに、地球は月に構っている場合ではなくなってしまった。その為共倒れの危険にさらされたエルメスは、力を合わせる必要がどうしてもあった。このときはセレーヌとアルタイルも随分彼らを支援した。
この一件は、月面世界に多くの教訓を残した。
地球はいざとなれば簡単に月を切り捨てる。
月の国同士は、最終的にはお互いのためにお互いを助けるしかない。最終的には、本当に助けとなるのは地球の母体よりも月の隣国である。
セレーヌの首脳たちは、この過去の教訓を拠り所として、事態はやがて打開の方向に向かうと考えていたようだ。
彼らが描いていた今後の展開は、やがては地球からの支援が一切なくても、月だけの力でやっていけるときがくるというものだった。
月での家畜の繁殖、植物の育成は日に日に成果を上げつつあり、食料の完全な自給自足が、現実味を帯びてきていた。
水や金属類はリサイクルを徹底し、建築材料は木材中心に回帰する。技術的には可能でも、政治的な、心情的な理由で地球との関係を絶ち難い今の状況を打破し、月は地球に対して貴重なヘリウム3を輸出する対等な貿易相手となるのだ。
この緊張状態は、そうなるための、月の三国が覚悟を決めるための良ききっかけとなるのだ。
結果を見ればその考えは楽観的過ぎたということになるのだが、エルメスとアルタイルの間で貿易が再開されたというニュースが流れた時、セレーヌの多くの人は、それを自分たちにとっての吉報であると受け取った。
しかしアルタイルからセレーヌへの援助がその後またたくまに減少し、僕らは三国の力関係が急激に変化しつつあることに気付く。
「アルタイルは次の段階に入ったようですね」
僕はブランコとの打ち合わせの終わりにそう言った。つい皮肉めいた口調になってしまった。
その日、僕は来月アルタイルから納められる食料の最終的な納期確認をしなければならなかったのだが、二時間も粘ったにも関わらず、ブランコから回答を得ることが出来なかった。
地球からの物資が滞りがちになってきている、というのがその理由だったが、セレーヌがつかんでいる情報では、それはむしろ逆のはずだった。
いつも理論的なブランコがどこか歯切れが悪い。
地球の欧州連合も、月のエルメスも、対立から協調へと態度を変えた。そのほうが得策であることをアルタイルから具体的に示されたのだろう。
アルタイルはヘリウム3の搾取能力が月の三国の中ではずば抜けていて、その気になれば甘いえさをいつでも突きつけられる状態だった。
そしてセレーヌは、すっかりアルタイルに依存しなければならない状態に追い込まれてしまっていた。
僕はこの数ヶ月精一杯働いた。その成果として、アルタイルから豊富な物資を定期的に買い取ることが出来る仕組みを作り上げたつもりでいたが、どうやらアルタイルの手のひらの上で踊らされていたに過ぎなかったようだ。
そしてアルタイルはセレーヌにもうひと踊りさせるつもりのようだった。
セレーヌ国営放送の論調はあっというまにアルタイルに対する不満で満ち溢れたものへと変貌した。
これは国として世論を操作しようという意思を持って行っていることなのだろうか。それとも追い詰められて怒りの感情で周りが見えなくなってしまっているのだろうか。
誰もがこれからの展開を思うと心が暗く沈んでいった。ブランコを連れて行ったラーメン屋が休業になった。もう材料が手に入らないのだ。
ユミの通う小学校から連絡があった。
回りくどい、何かを避けるようになかなか本題に入らない教師の話し方にいらいらさせられたが、要するにユミのことで話があるので学校に来てもらいたいとのことだった。
それならそうとはっきり言えばいいのにどうも歯切れが悪い。あくまでも学校が呼びつけるのではなく、保護者である僕が自発的に学校を訪れる、ということにする必要が彼らにはあるようだった。
ユミは今までなにも問題など起こしたことがない。その日学校から帰ってきたユミがひどく落ち込んでいたので、僕は食事の時に、どうした? と聞いてみた。
「学校でね、体育の授業の時にバスケットボールをやったの。それでわたしみんなにぶらんこのことを話したの。すごくバスケが上手で、大きくて、やさしくて、考えられないくらい一杯食べて、わたしとお父さんの友達なのよって」
その通りだ。なにひとつ間違っていない。
「そしたら怒られたっていうのか?」
「先生に職員室に呼ばれて、そんな話をしちゃいけないって言われた」
そんな話というのはつまり、アルタイルの人間を誉めることだ。
「その上、俺にも学校に出てこいってか」
「ごめんなさい、お父さん」
「どうして謝る? ユミは自分で悪いことをしたと思っているのか?」
ユミはうつむいて少し考える。そして「思っていない」と言った。
「じゃあ謝らなくていい。俺は教師に呼びつけられることなんて慣れっこだ。悪ガキだったからな。そんなことでいちいちうろたえるほど単純な人間じゃない」
しかし、ユミにとってはとてもショックな出来事だったろう。この子は僕なんかと違って本当に良い子なのだ。自分のせいで他人が傷つけば、自分はそれ以上に傷ついてしまう、そんなまっとうな人間なのだ。
そんなことも分からないで。
いいとも、行ってやろうじゃないか。ぜひ話がしてみたくなったよ。僕は彼らの望む通り、自分の意思でその翌日、学校に出向くことにした。
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