第5話

 一日だけやっと休みがとれたある日、丁度セレーヌに打ち合わせに来ていたブランコを我が家に招待したことがある。


 せっかくの休みなので、ユミと二人でのんびり過ごしたいという気持ちもあったけれど、ユミには謝って、準備を手伝ってもらった。


 ユミは行きたい場所がきっとあっただろうに、一言も文句を言わなかった。だからこそ僕はこの埋め合わせはそのうちに必ずしなければと思った。


 ユミにはあらかじめ、かなりデカいからな、と伝えてはいたのだが、黒いタンクトップに仕事の時とは別のサングラスを掛けたブランコが僕のアパートの玄関を窮屈そうにくぐる様子を、ユミはぽかんとして見上げていた。想像以上だったのだろう。


 ブランコも小さいユミを前にしてどうしていいのか分からず、困った顔をしてユミを見下ろしていた。その様子は端から見ていると、とても滑稽だった。


「こんにちは、ボクは、ブランコです」

 ブランコはユミが怖がらないように、ゆっくりと、低い穏やかな声でそう言った。


 普段の打ち合わせの時はお互いに英語で会話をしていたが、ブランコは日本語が上手だった。昔日本人の女の子と付き合っていたことがあって、そのときに覚えたらしい。


「こんにちは。わたしユミです」

 ユミもおそるおそるそう応えた。彼女は重心を低くして、いつでも走って逃げられる体勢だったが、ブランコの大きな手で頭を撫でられてもどうにか我慢していた。ライオンに頬を舐められたような顔をしていた。


 ブランコは日本料理が食べたいといっていたので、地球から以前取り寄せた、とっておきの蕎麦を振舞った。山盛りの蕎麦を黒い漆器の器に盛って、上から長細くきざんだ海苔をまぶした。


 僕とユミとで協力して天ぷらを作った。海老に、白魚、かぼちゃ、たまねぎ、まいたけ。ユミが出来た順に、熱々の天ぷらを片っ端から運んで大きな白皿にのせた。ユミは台所とテーブルを小走りで何往復もした。


 蕎麦は大量に作っておいたし、天ぷらの材料もたくさん準備してあったが、ブランコの巨体は、割り箸を器用に使って凄い勢いでそれらを平らげていった。


 それを見てユミは台所の僕のところに駆け寄って、心配そうに「足りなかったらどうしよう?」と言った。


 僕も途中で、あ、これは足りない、と確信した。少なくとも、僕とユミの食べる分は残りそうにない。


 でもアルタイルで一人暮らしをしているブランコにどうせなら腹いっぱい食べてもらいたかったので、僕はユミに、「俺たちはあとでラーメン屋にでも行こう」と言った。


 ユミも覚悟を決めて力強くうなずき、新たに揚がったまいたけの天ぷらをテーブルへと運んだ。


 準備していた食料を全部食べ尽くしたブランコは、見たところそれでも足りていないようだった。ブランコは遠慮していたが、結局僕らは三人で近所のラーメン屋へと向かい、僕とユミはラーメンと餃子を、ブランコはカツ丼を食べた。


 ユミはいくらでも食べるブランコを面白がって餃子を二つ分けてあげていた。


「ねえ、ぶらんこ。いつもはお腹一杯食べてるの?」

 だいぶ彼に慣れてきたユミが尋ねる。


 セレーヌに住む人々は貴重な食料を普段は大事に少しずつ食べている。大国アルタイルといえども、それほど余裕があるわけではなく食糧事情は僕らと変わらないはずだった。


 だから今日僕は、ブランコに遠慮なんかしないで好きなだけ食べてもらいたかったのだ。


「地球を出るとき、みんなにシンパイされました。お前が月の食料を全部食べちゃうんじゃないかって」


「確かに小食であることは、月で暮らすためには大事な適正だよな。でもそんなこといっても、足りないものは足りないもんなあ」


 僕もブランコも仕事上は、食料の消費が少なくて済むことを願っている立場だが、いつかは自分の子供や、友達に、いつでもたくさん食べさせてあげられる時代が来ればいいと思っていた。


 ラーメン屋を出た後、僕らはアパートの周りを散歩しながら色々な話をした。

 

 とても天気のいい日だった。そういう設定の日だった。


 沿道の木々では小鳥たちが鳴いていた。


 こんな日には仕事の話なんかは一切しない。お互いの生まれ故郷のことや好きな映画の話をした。


 彼はアメリカの田舎町の生まれだった。大学時代に一緒にプレーしたバスケットボールのチームメイトには、現在地球でプロとして大成している選手が何人かいた。


「頼めばチケットが手に入ります。いつかアナタとユミちゃんを招待させてください」

「いいね、楽しみにしているよ」


 ユミも最後にはすっかりブランコに懐いて、手をつないで歩いていた。小さな公園にバスケットのゴールが置かれていて、誰かが忘れていったらしいボールが落ちていた。


「ぶらんこ、ダンクしてよ、ダンク」

 ユミがねだった。


 ブランコはバスケットボールを大きな右手で持つと、一回、二回とボールを弾ませた。そして軽く助走して、はじけるように跳びあがり、ゴールが壊れるのではないかというくらい豪快なダンクシュートを決めた。


 すごい迫力だった。ゴールがしばらくグワングワンと揺れていた。僕は、彼が仕事のときは冷静な人間で本当に良かったと思った。


 ユミが目を丸くしている。

「うわあ、ぶらんこ、すげー!」


「ボク昔、膝を壊しちゃっているから、地球じゃこんなに跳べないケドネ」

 ブランコは肩をすくめて笑った。


 その後、ブランコはユミを肩車して、ユミはダンクシュートの真似ごとをして遊んでいた。


 僕は二人の姿を近くのベンチに腰掛けて眺めていた。


「ぶらんこー、また来てねえ!」


 帰り際、ユミが手を振ると、ブランコはくしゃくしゃの笑顔で応えた。


「ユミ、またね。バイバイ。今日はゴチソウサマ」


 きっとまた遊びに来るからねと、彼は約束した。


 しかしその約束が果たされることはなかった。僕とユミがブランコに招待されて、バスケットボールを観にいくことも、なかった。

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