第3話

「お父さん、戦争になっちゃうのかな?」

 僕とユミは公園を二人で歩きながらそんな話をしていた。


「月で戦闘を行う能力は、どの国も持っていないんだ。少なくても表向きはね。だから、みんなが心配しているのは地球のほうで大きな戦争が起こらないかと言うことだ。地球が戦争になったら、どの国も月のことなど結局は後回しにするだろう。そうなったら、月はいくらある程度独り立ちできるようになったとはいっても、そう長くはもたない。だから月の三国はキリのいいところで話を丸く収めなければならないはずなんだ」


 言うべきことは言わなければならないが、最後はこちらが折れるしかない。


 その公園は植物育成地域と、人間居住区の境目にあって、僕らは休日には路面電車で一時間かけてよくここに遊びに来た。豊かな森に囲まれた公園のなかには大きな池も作られていて、ボート遊びをすることが出来た。


 空にはガード・ドームにより天井一面が暖かい光があふれている。


 ガード・ドームは光の波長の吸収具合を調整することにより、地球の空と同じ理屈で青空や夕焼けを作り出すことが出来た。


 今日は、雲ひとつない青空、だった。


 雲がないのは当たり前だけど、なんとか人工的にそれらしきものを浮かべられないかということを研究している企業があると聞いた。


 日光の調整はドームがしてくれる。植物への水分供給は張り巡られた用水路を使っているし、乾燥を防ぐための降水は地表のあちこちにある巨大なスプリンクラーで行われる。


だから、ドーム内に雲が浮かべる実用的な理由はなにもない。


 それはあくまでも『あったほうが面白いから』という理由だった。


 その研究を金と資源の無駄遣いだと、眉をひそめるものは多かったが僕は、その件に対しては肯定的だった。


 面白いそうだからやってみるという感情を否定することは、愚かだと僕は思う。


 ライト兄弟が飛行機を苦労して発明したのは、物資の輸送をしたり、ゆくゆくは戦争の道具とすることを多少は考えていたかもしれないが、それが第一の理由ではなかったはずだ。


 まずあったのは、空を飛べたら面白そうだから、という理由であったはずだ。


 池の中央には大きな和風の赤い橋が掛けられていた。


 ユミがボートに乗りたいと言うので、僕は管理のおじさんにお金を払い、そして僕が先にボートへ乗り込み、ユミの手を引いてゆっくりと座らせた。少しボートが揺れた。ユミがきゃあと言ってじたばたしながら楽しそうに笑った。


 この木でできたボートは、恐らく地球から持ってきたものだ。以前は地球のどこかの池か湖に浮かんでいたのだろう。黄色いペンキがあちこちはげている。貴重な木材。


 月では、大地の表面に堆積しているレゴリスを使って、コンクリートを精製し、それが建築材料の主力となっているが、やはり、木材は独特の味わいがある。僕らが住むアパートも外枠はコンクリートだが、内装は木材が多く使われていて、中にいると、まるで木造の家にいるようだ。


 家賃はけっこうするけど、僕もユミもそのアパートが一目見て気に入ったのだった。


 僕はゆっくりとボートを漕いだ。ユミは横を向いて、ボートのすぐ側を通り過ぎるカルガモの親子を見ていた。


 大きくて貫禄のある母親カモの後ろから全部で十羽の子ガモがちょこまかと追いかけてくる。この前、公園にきたときよりも子ガモたちは少し大きくなっていた。


 僕はユミに、来週から仕事で泊り込みになることを話した。


 今までも帰りが遅くなることは多かったが、これからしばらくは中々顔を見ることが出来なくなる。


 僕はセレーヌの資材管理の仕事についていた。水や食料まで、担当の範疇であり、それら物資の欠損は月では即命取りとなるし、最近はアルタイルの担当と打ち合わせをする機会も増えて、政治的な判断が求められることがあり、神経を使う仕事だった。


「俺がいない間、隣の仁村さんにお前のことは頼んでおくよ」

「わたしは一人でも平気よ」


 カモの親子を見続けていたユミは、夜更かしして何して遊ぼうかな、と僕に向き直って笑って言った。


 友達を呼んでもいいでしょ? と彼女は言ったが、実際はほとんど一人で過ごしていたらしい。仁村さん夫婦には子供がいなかったこともあり、よくユミを食事に招待してくれて、ユミちゃん今日は泊まっていけばいいじゃない、と言ってくれたらしいのだが彼女は、それを礼儀正しく断って、遅くならないうちに自分の家に戻ってしまった。そして寝るまでの時間はラジオを聴きながら望遠鏡でずっと地球を見ていたようだ。


 月ではメディアの情報は、光ファイバーケーブルを通して配信されていたが、ユミが持っていたラジオは電波を受信するタイプだった。これだと衛星放送で地球にて流れているラジオ放送を受信することができた。


 地球では月のセレーヌ・アルタイル連合を非難するニュースや番組が多く放送されていた。


 それによれば、僕らは地球に戻りたがっている人間を拘束し、エルメスに新入して貴重な物資を掠め取っていく、卑劣な集団だった。


 エルメスでは近頃、家電の盗難が相次いでいて、彼らに言わせればそれはセレーヌの工作員の仕業だそうだ。


 さらに貯水池の水位も不自然な減少を見せていて、それもセレーヌが夜な夜な大きなタンクに詰め込んで自分の家に持ち帰っているのだそうだ。


 エルメスでは、現在はひとかたまりの居住区として直結しているセレーヌとエルメスの国境を遮断してしまうことが本気で検討され始めていた。


 セレーヌでは、市民はなるべくそんな情報を聞かないようにと通達されていたが、僕はそれを聞くべきだと思っていたので、ユミにもそのラジオをあげた。僕は彼女に、それぞれの意見に耳を傾けて、それを自分のなかで噛み砕いて、偏らない自分の考えを作り上げることのできる人間になって欲しいと願っていた。


 人は自分が正しいと思いたがるものだ。自分にも間違っている部分があるかもしれない、と考えることの怖さから逃げてしまっている心の弱い人間はどこにでもいる。


 彼女にはそうなって欲しくなかった。僕もそうなりたくなかった。


 もしかしたら自分が知らないだけで、セレーヌが本当に泥棒の真似事をしているかもしれない。僕はそう考えてしまうことによる不安から逃げたくなかった。

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