第2話

 帝国主義の時代。欧米列強はアジア、アフリカに競って植民地を作った。そのことが原因となって、いくつもの戦争が起こったが、それはあくまで本国同士の争いだった。


 植民地にも各々の軍隊は駐在していたが、それは基本的に領地を守備するためのもので、そこで起こったいさかいの決着は、遠くはなれた母国にて行われた。(第一次世界大戦のときはドイツの植民地が日英軍に攻撃されている。そういう例外もあるにはある)


 それと同じ理屈で『雨の海事件』の五年前には、月の領地争いが元で、地球で戦争が起こっている。


 植民地の統治者が、本国から遠く離れているのをいいことに好き勝手に振る舞い、自分の王国を作り上げてしまうことはたびたびあった。


 隙あらば独立してしまうことを企てた例もいくつも見受けられる。


 十九世紀頃から数百年栄華を誇ったアメリカ合衆国は元々は新大陸に各国の移民が集まることにより生まれた国だった。それがやがて親の手に負えないほど成長し、(ヨーロッパ諸国側から見れば)反旗を翻したのだ。


 合衆国側から見れば対等な力を持っているのにいつまでも子分扱いをするなという思いだったろうし、移民を送っていた側からすれば飼い犬にかまれたような心境であったろう。


 ただそれが成り立ったのは新大陸が資源の豊富な土地であったからであって、なにもかも、地球からの輸送に頼らなければならない月では、その前例はあてはまらないだろう。少なくても当分の間は、というのが開発が始まった頃の大方の予想だった。


 月の移民たちが力を付け過ぎないように、生かさず殺さず。それが地球側のスタンスだった。


 しかし、地球から送られてくる物資から巧妙にへそくりを作り出し、地球が把握しているよりも多くの物資を確保しようという動きは、かなり速い時点で見られた。


 月の大地が持つ唯一と言っていい資源は核融合発電に用いるヘリウム3であり、それこそが人類が月に進出した目的であった。


 これがあるために、電力については自給自足ができる。


 ヘリウム3は月の表面に堆積しているレゴリスに付着している。レゴリスからは酸素と、水素も採取でき、これによって水分の生成ができる。


 森林、農作物の育成には人間の居住しているよりも遥かに広大な面積を費やして、行われていた。


 問題点は、二つあって、一つは、月面上に絶えず降る注ぐ隕石。もう一つは、月では昼と夜の長さが各々約十五日にも及ぶこと、であった。


 人間が作り上げた月の世界は巨大なビニールハウスのような構造になっていた。


 空を覆うガード・ドーム。これが先述した二つの問題点を解決してくれる。


 上空五百メートルに張られたガード・ドームの膜厚は五十メートルにも及び、これが隕石から守ってくれる。


 それでも防ぎきれない大きな隕石については、イージスシステムで事前に察知、撃墜する。


 また、ガード・ドームの膜は光の拡散方向を調節することが出来るため、これによって地球上と同じ朝と夜を人工的に作り出すことが可能になった。


 人間が住んでいない月の裏側にまで日光採取のためのガード・ドームは及んでいた。


 ムーンベースは三つの大きな自治体の連合国家のような状態が長く続いていた。


 僕とユミが暮らすそのうちの一つが「完全なる自給自足」を目論んだことが事件の発端の一つとなった。


 そこには自己顕示欲の強い独裁者がいたわけではない。ただ、地球と対等の立場で話し合い、お互いによき方向へと向かおうとする理性があっただけだ。


 僕らが住んでいた地区は、開拓当初のプロジェクト名から、セレーネ、と名乗っていた。


 セレーネに地球からの定期的な物資輸送が途絶えたのはその年の二月だった。


 地球では、セレーネの悪行の数々が報じられ、国会は経済制裁を迅速に決定した。自分に不利益を与えるものを悪く言うのは個人でも、国家でも昔から変わらない。


 そして言われたほうは、それを受け流すことがどうしてもできない。やられたらやり返す。相手がどんなに卑劣で短絡的であるかをまくしたてる。内容が事実かどうかはとっくの昔に意味を失っている。


「わたしたちは、悪い人なの?」

 ユミが空に浮かぶ地球を見上げていった。


 地球からの物資が途絶えても、僕らの日常生活に支障は出ていなかった。


 セレーネは既に自給自足の体制をほぼ整えつつあったし、どうしても月では手にはいらない物(金属類など)は他の月の自治体から入手するルートができあがっていたのだ。


 地球でもそのことは知っていた。重要なことは、経済制裁の効果があるかどうかではなく、それによって、どちらが立場が上なのかを世間に明示することだった。


 地球は罰する側で、セレーネは罰される側、指導を受ける側だった。


 アルタイルとセレーネは昔から友好的な関係にあり、『自由』が口癖のアルタイルは半ば公然と、セレーネの支援をしていた。


 一方、もう一つの自治体、エルメスは、このセレーネと地球の関係悪化、経済制裁の事態については地球側を支持することを正式に表明していた。


 アルタイルと地球の本国との関係は良好だった。エルメスの母体である欧州連合との国力争いを考えると本国でも、アルタイルはセレーネを支持すべきとの考えが主流で、アルタイルからの物資援助には目を瞑っていた。


 こうして月面世界において対立の図式ができあがった。エルメスと、セレーネ・アルタイル連合。


 アルタイルの本当の思惑はエルメスの弱体化であり、最終的には、エルメスも、セレーネもその傘下に収めることであった。


 それは地球本国の意思であり、セレーネへの義侠心は最初からひとかけらも存在していなかった。僕らはそれに気付いてはいたが、それでもアルタイルを頼るしかなかった。

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