さきさんはいかにして家に伝わる信仰を示す火光天女の姿を背中に彫ったか、語られたのは以下のような話だった。


 お父さんが死んだって、看病もできないでいる内の話です。


 母が入院して、その当時会う事もできませんでした。メールがきて「早子もそろそろ神様に会うから」って……なんの事かなと思いながら、実家の方に帰ろうと思っていたんです。一度、ですけど。


 時期的には梅雨頃で、大学が神奈川だったんですけど、そこから当時は車を持っていなかったので、電車で帰ろうと思って。


 当時住んでいた所の近くに、美味しい洋食屋さんがあったんです。帰る前に腹ごしらえしていこうと思って入って……そこで不思議な事があったんです。


 今の私も似たような物かも知れませんけど、その洋食屋さんで立派な彫り物をした男の人達が店で午前中からパーティーみたいな事をしているんです。なんの話をしていたのか分かりません。ただ、その頃の私は自分が入れ墨を彫るなんて考えもしなかったので、嫌なタイミングできたなあ、なんて思っていました。


 こっそりオムライスを食べていると、人目を感じたんです。


 誰だろう……視線を上げると、そこにいた人が懐かしくて、けれど名前が思い出せなくて、目鼻立ちがクッキリしている日本風の美人さんで、髪の毛を綺麗に結って、けれど洋服を着て私の席を見下ろしていたんです。


 その人は私と目が合うと、目で微笑みました。優しい顔で「あなたはここにいてはいけない」と言って、私の頭の中に、苦しそうな母の顔が浮かんだんです。


「ありがとうございます」って返した……と思います。大急ぎでお会計を済ませて、すぐにお店を出て……窓に映った自分の口が血を流しているみたいに思って、ケチャップが少しついていた時の恥ずかしさまでは覚えているんです。


 電車に乗って病院にいって、けれど面会もできず……どうしようか思ってこの家に帰ってきたんです。


 今は一人暮らしなので好きにしていますが、その頃にはもう祖父母も父もいなくて、母は検査からすぐに入院になったので家もなんだか「母も突然だったんだな」っていうくらい、雑然としていました。母が一人だったので、食べ物が痛みかけていたりして。


 お祖父ちゃんが遺した絵は一通り保存されていて、あれはお祖父ちゃんの手で書かれていたんですけど、どう保存するのかのメモもあって……凄い数があったとその時に知りました。私が見ていた物だけではなく、お祖父ちゃんしか鍵を持っていなかった外の書庫にはもっと沢山あったと。今もその時の保存の仕方で残しています。


 お祖父ちゃんのメモにあった飾り方を読んで、自分の部屋に天女様の絵を飾って……願をかけるのに他にないと思って、お母さんが無事に済むように願おうと決めました。


 けれど、願をかけて、夕飯を作ろうという時に台所に立って、お母さんの筆で書かれた封筒を見つけたんです。私の名前が書いてあって、なんだろうと思って開いたんです。中は電話の横に置くようなメモの一枚でした。便箋を置かない家だったので、書く物となれば困ったんだろうと思います。この辺の家ってあんまり手紙を書く習慣がないので、どこもそうです。


 そこに書いてあったのは「神様に呼ばれた。神様の所にいく」という内容でした。神様の所、平たく言えば天国です。それを読んで、私は――悲しい気持ちは勿論あったんですけれど、妙に納得したんです。お母さんはこの家の信仰に従って、もう神様の所にいく気でいるんだって。それは死にたいという気持ちとは違って、ただ神様の導きに従うという気持ちが書いてあったんです。


 この家で語られる神様って、例えば運命を支配するような、そういう存在ではないんです。例えば、眠たいなと思ってコーヒーを飲めば目が覚めるじゃないですか。そういう作用を自然に起こす物なんです。カフェインを取れば目が冴える、薬を飲めば病気がよくなる、甘い物を食べれば元気になる……そういう作用、例えば自分の腕をつねれば痛いとなりますよね。神様が腕をつねれば痛いとなる。人間はそこに存在する神様の体の一部……一つの細胞みたいな存在って言う考え方です。


 神様の中に存在する無数の細胞が人間です。神様が何かすれば人間全体に影響が出るけれど、神様の行動は人間には見えない。因果の因が見えなくて、結果だけが見えるんです。そして、細胞が入れ替わるみたいに人間は死を迎えて、別の誰かが生まれる……だからお母さんは自分の人生を終えて、その先にある透明な世界に向かうって考えると、なんだかもう手遅れのような気がして……。


 夕飯を食べて少しすると、病院から危篤の知らせが届いて、無理にタクシーを呼んで駆け付けた頃にはもうお母さんは亡くなったと聞かされました。結局、天女様が私の願いを聞き入れてくれなかったのはこの辺りの、家族の命に関わる事だけです。


 死亡届を出したり、納骨だけの葬儀をしたり……そういう所では叔父さんが手伝ってくれました。


 遺品・遺産、どちらも私が相続しました。自分の車を初めて買うまでは、母の車に乗っていました。母の車が赤かったので、今の私も赤い車を選んで……入れ墨の話に戻します。


 葬儀が済んでも、私は大学がある……と思って思い出すのは街で会った人の事でした。あの人がなんだったのか分からなかったんですけれど、天女様そっくりな人……その人が今どうしているのか分かりません。ただ、私はどこにいくにも天女様の絵を備えておきたくて、コピーも迂闊に取れないなって思えば、もう刺青として背負うしかないんじゃないかと思って。


 最初は写真を撮って持ち歩いていたんです。何かあればそれに祈って。けれどなんだか違う気がするんです。神様の形は分かっても、その瞳に光が見えない……光、そういう表現か、魂なのか霊魂なのか、もっと大きな物なのか……一度、彫り物師の方を調べて、相談したんです。


 若いんだからやめときなさいとか、言われるのかなと思いました。けれどそんな事もなく、もっと淡々としていて……ただ言われたのは、「あなたの肌は色が綺麗に映える」という事くらいです。そして、下絵として使うのであれば、持ってきて貰うのが早いと言われました。夏休みに首都圏とここを往復して、天女様だけ持っていったんです。絵を運ぶのって初めてだったので、大分注意して。


 その彫師の方は彫る事はできると仰って、けれど時間はかかるし痛みも相当にあるなんて事を言っていました。それ自体はいいかな……なんて思ったのは彫り物を侮り過ぎでしたけど。もう一つ躊躇う事がなかった理由はその頃、家族の遺産が入って金銭感覚がおかしくなっていた事です。節約とか考えず、頼めるお金があったんです。


 大切な絵だっていう事を相談すると、描き写すので預かりますと言われて、その通りにして、お盆のお墓参りに向かう頃に下絵を確認しました。腕のいい方で、何度も天女様を見ている私が見てもそのままなんです。お盆明けから少しずつ彫って……異様な気持ちはあの時にありました。体に針が入る心地から痛みまで、人生で一番頑張った期間だったんじゃないかと思います。施術する前に天女様の絵を拝ませて貰ったりして、なんとか夏休みが終わる前に彫り終えたんです。


 と言っても大学生が堂々と誇れる物でもなく、その頃私はもう企業への就職とかを諦めてました。彫り物の所為というか、もっと生活に近い仕事がいいなと思って、自営業などについて調べていて……。


 結局、大学ではバレて問題になったんですけど、外に漏れる事もなく、私の普段の素行と成績がいいっていう事で見逃して貰える事になりました。


 彫り物を入れて何か変わるのかなと思ったんですけど、少なくとも前ほど悩まなくなりました。それ以前は悩んで、どうにもならなくなったら天女様にお願いしてという気持ちだったんですけど……彫り物を入れてからは、違いました。本当なら私の事など一生の間に何度も意識しない天女様の僅かな肌の欠片を背中に埋め込んだ事で、どんなに神様が大きな存在でも無視できないような、強い気持ちになりました。それは悪い方向には転ばなくて、寧ろ元の暢気と合わせて明るくなったみたいに見えたようです。


 大学で学芸員になる為の勉強もして……って、絵の保存をしっかり覚えたいだけなんですけど。長期の休みには地元に帰って……その間に少しずつ家の中を整理して、私が住むのによくしていったんです。


 そして地元の人からこういう仕事がある、っていうのを聞いて、今みたいにふらふらした生活をしているんです。


 さきさんは長い話を語り終えて、麦茶で喉を潤した。


 家屋を打つ雨音はいよいよ激しく、私は――欲求に駆られていた。もう一度その背に彫られた火光天女を拝みたいというどうしようもなく強靭な欲求に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る