三
さきさんとの交友については緩く続いた。ライブ以降もSNS上ではやり取りをする。相変わらずさきさんは田舎の風景を写真に撮って簡単な文と一緒に上げている。私はたまにそれに反応する。さきさんもたまにリプを返してくる。何気ないやり取りが二ヶ月ほど続いた夏の頃だった。
私は仕事で遠くに出かける用事ができた。ある調査が存在したのだが、一人で数日を費やす。場所は東北の太平洋側……と言って私が地図を調べてすぐに分かったわけではない。目的は海だが、そこまでいく道筋がなかなかに分からない。
ひとまず準備をしながら、私が何気なく行先についてポストした所、それについた言葉が一つあった。
「この辺ならホテルより民泊の方が安かったりしますよ」
泊まる場所について触れた言葉に反応したのはさきさんだった。東北、と言えばさきさんはそうだが、しかし縦に長い東北の自分がいく位置に彼女が詳しいとは思わなかった。
私の方でお礼を言って民泊を調べても、今一つ勝手が分からない。
どうせならば……記憶の中の赤い鱗がいやに艶めかしく思い出された。私はさきさんにDMを送り、細かい状況を話した。
すると彼女はどの辺りに泊まるのがいいかすぐに当たりをつけて、候補を出してくれた。私と会えるだろうとも言う。願ったり叶ったりとは気づかれないように、私はお願いした。
そんな予定を決めて数日後、私はカーナビに従って目的の場所まで向かった。
平日の昼間ではあるが、さきさんは問題ないらしく、待ち合わせ場所を指定してくれた。最初の用はお礼をして、民泊まで案内して貰う事だ。
東京から四五時間高速を走り、インターチェンジで下りて更に少し走る。目的の場所は今一つ目印に乏しいスーパーだった。駐車場は広いが、住宅街にあるそこは車が多かった。
私はなるべく分かりやすい場所に車を止めて、さきさんにDMを送って目印になる場所に向かった。
冴えないTシャツにジーパンを合わせて、荷物は少なめに、さきさんへのお土産を持って私は店の前のベンチに座った。目の前で老人が何人かスーパーに出入りする。海側の町であってもこの夏の暑さは変わらず、私は自販機に向かいジュースを買った。
「反射姉さんいたよー」
不意に、子どもらしい高い声が耳に入った。反射姉さん、地元の愛称だろうか。変な呼び名をつける……そちらを見ると、そこにいたのはさきさんだった。子どもに指をさされ何か笑いかけつつ、その子の母親に謝られている。気にした風でもなく、さきさんは子どもに手を振って私の方へきた。
見た目変わった所はないのに随分妙ちきりんなあだ名で呼ばれているな……そして、私が想像していたよりもさきさんは町に馴染んでいる。
「おひさしぶりです」
心なしか以前会った時よりも日焼けした彼女は、礼儀正しくお辞儀した。
「お久しぶりです。お土産持ってきたのでどうぞ」
私が都内の菓子店で買ってきた物を渡すと、彼女は穏やかな顔を綻ばせて笑った。以前よりも気を抜いた格好と雰囲気を出しているが、今は地元にいるからかと思って彼女を見るに、シャツの上にやはり暑そうな長袖を着ている。夏のただ中で、日差しも強いというのに日焼け避けでもなさそうに。
「ありがとうございます。すみません、変な所見られちゃって……」
「さっきの子ですか……変わったあだ名がついてますね」
「ええ……子どもって案外物騒な言葉を知っているので。じゃあ、いきましょうか」
物騒な言葉? 反射、人間につけるあだ名として変わってはいるが、それ自体は別段ありふれている現象でしかない……そう思って彼女の後ろに立てば、以前より明確に見える彫り物の端がある。反射ではなく反社というわけならば、なるほど物騒だ。
「多分、以前に気づかれましたよね……背中の彫り物」
その言葉はぎくりとした。こちらしか気づいていないと思っていたが、さきさんは見られている自覚がしっかりあったらしい。
「ええ……はっきりとは分かりませんでしたが、背中に何かあるなとは……」
「単なる彫り物ですよ」
私を振り返り、さきさんは悪戯らしく笑う。単なる彫り物と言うのには随分立派そうな片鱗が見えたし、それに違わぬあだ名までついている。
なんと返せばいいのか分からないが、しかし言える事など本来それほど多くはないのだ。
「そうですか。今日からしばらく、よろしくお願いします」
彼女はくすりと微笑んだ。白日の妖艶は陽炎が揺れて幻影を見せるように頼りなく、しかし確としてそこに存在した。
百合の花のようではなく、蜃気楼が揺らめくように彼女は歩き、駐車場に止めた赤い車を示した。
「あの赤い車、見えますか?」
「はい」
「あれが私のなので、ついてきてください」
「ええ。お願いします」
道はまったく分からないので、まずは民泊まで案内して貰う……その前にと私はジュースを飲んで、足りていない水分を補給した。甘さはかえって毒のような味がしたが、頭は寧ろ冴えてくれた。
私は自分の車を説明して、すぐに二人でそれぞれ発車した。
道はそれなりに混んでいた。ただ、さきさんの車を見失う事はない。街中を通り抜けて、緑の多い所へ向かっていった。
間に気になる事はさきさんの素性だった。先ほどは気にもしない素振りで接したが、それは寧ろさきさんの持つ無害そうな空気がもたらした恩恵だった。彼女の正面だけを見ているとその背中の魔物には思いも寄らない。
しかし背中には何かの彫り物がある。地元での呼び名は「反社姉さん」ときている。暴力団の組員には見えないが、彼女の案内に従って私はどこに向かっているのか。もしも物騒な場所に案内されたならばどうする? まさかそれはないと言えるのか? しかし、今の時点でさきさんが何かしたかと言えば何もしていない。タトゥーという言葉より明確に彫り物と言った方がいい物を背負っているだけで、会話も行動も至って常識的かつ良識的だ。
平和にぼけながら生きてきた私に対策できるわけもなく、市と町の間近くにある緑の多い区画に「暴力団根絶」の看板がかかっているのを見つけた時にひやりとした。さきさんが入り組んだ道に入るのを見ては怯え、実に心臓に悪い時間の果てに鄙びた一軒家の前に停車した。
そこは二軒の建物があった。奥にある割に新しい家屋の前には車が止まっている。その手前に一段古い家屋があり、こちら側に車を止めた。
さきさんが車から下りるに合わせて私も下りた。途中あれこれ考えたが、暴力団のねぐらにしては随分家庭的な印象を受ける。
「ここがそうです。武藤さんのお家」
さきさんは私を見て、古い方の家屋を示して「チェックインってどうなってます?」と尋ねる。
「ついたら連絡する事になっています」
私はスマホを取り出し、アンテナの少ない事に驚きながら連絡を入れた。すぐに出ると言われて待つと、綺麗な身なりのご婦人が新しい家屋から出てきた。私は彼女に挨拶して、身分を明かした。
すると――。
「
ご婦人はさきさんの本名を呼んだ。知り合いだと思ったが、話は通っていたらしい。さきさんはこの辺りの案内を引き受けて、私の方を振り返った。
「うちからだとすぐにはこれないんですけど、何かあればと思って」
そして私達は携帯の番号を教えあって、すぐに連絡が取れるように整えた。私は数日泊まる荷物を運びこむのをさきさんに手伝って貰い、古く見えても中身は綺麗に整えられた民泊に入った。
少しの調査日程が始まり、私は折々さきさんにお手伝いを頼む事になった。お互いの本名、仕事など教えあったのはこの時が初めてだった。とある珍しいヒトデの研究と私が目的を明かすと、さきさんは珍しがるでもなく、自分はこの辺で請け負って観光や何かの用できた人の手伝いをしていると言った。それで生計を立てられるのか疑問だったが、元々そのような仕事があるらしく、加えてパートもあると言う。
私はさきさんと仕事の契約を交わし、その日はさきさんが店で買っていた物を使って食事を済ませた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます