花見 3

 花見が始まってしばらくすると、水上席は人払いされた。

 代わりににぎやかな一団が入る。場を盛り上げるために呼ばれた旅の一座だ。


 団員は十人ほど。団長は化け猫で、盲目の法師が琵琶を持ち、一つ目小僧が笛を吹き、付喪神と化した太鼓とかねが自ら鳴っていた。

 歌い手の他に踊り子もいて、化け猫二匹に妖狐が一匹。きわどく着物を着崩して、優美な肢体をしならせて踊る。

 観客たちは赤ら顔で合いの手を打ち、声援を送る。会場は花が咲くようにわっと盛り上がった。


「あの踊り子、新顔ね」

「前より美人だわ」


 人々がうわさしているのは妖狐の踊り子だ。団長の紹介では久礼くれという名だった。

 年は二十歳ほど。人の姿では色白の肌に小紫色の着物が妖しく煽情的だ。狐姿で踊れば、折れた尻尾が奇妙だけれども独特で目が離せない。

 どちらの時でも紅色を挿した目尻が色っぽく、流し目を送られた男たちはそろって相好をくずした。


 ある程度演目が終わると、一座は水上席をはなれた。お客の間を練り歩きながら芸を披露する。踊り子たちは気前よく酔っ払いたちに愛嬌をふりまいた。


 久礼に細く長い指で触れられると、男たちはそろって鼻の下を伸ばし、腰砕けになった。踊り子たちの出番が終わると、我も我もと自分の席に招く。


「これだから男は」

「芸自体はよいけれど、美女を連れてこられても私たちは、ねえ」

「天遊様の舞が見られたころが恋しいわ」


 女たちはやるせなく愚痴をこぼす。

 踊り子たちはそれぞれを公平に回って酌を受けたが、最終的に一番人の多い月白たちのところへ留まった。十和の周りの女たちがまなじりを吊り上げる。


「十和さん、いったん席に戻られた方が良いのではない?」

「さっきご主人に色目を使っていたわよ、あの女狐」

「いろんな男にべたべたして。いやらしい」


 十和はそっと夫の様子をうかがった。


 月白は久礼を相手にしていなかった。左隣の男の話に耳をかたむけている。

 目くじらを立てるほどのことはない気がしたが、他の妖狐たちにお酌してあいさつもした方がいいだろう。十和はいったん月白のそばに戻った。


「踊り、とてもすてきでした。いいものを見させていただいて。ありがとうございます」


 久礼の杯にも酒を注ぐと、牡丹の花ような紅唇がにこりと笑んだ。


「うれしいわ。美人に褒められると、褒め言葉も格別ね!」


 久礼は十和にも愛想よく応じてきた。それどころか気安い態度で近寄ってくる。

 酒が入っているからか、距離感が大胆だ。豊満な胸や肉づきのよい太ももが触れて、同性ながら十和はどぎまぎした。


「どちらのお嬢様?」

「上野国の月白の妻、十和と申します」

「あら、そこにいらっしゃる白狐様の奥様なのね。――人妻にしては、とってもうぶな感じ」


 つっと指先で背をなでられて、十和は体を跳ねさせた。


「やっぱり、うぶね」


 十和は色気たっぷりの絡みにどう返せばいいのかわからず、しどろもどろになった。

 しなだれかかられて、かちこちに固まる。


「――そこの銚子を取ってもらえるか」

「あ、はいっ」


 月白の頼みに、十和は救われた思いで動いた。

 ところが銚子を持とうとすると、月白に止められる。


「あなたは、いいから」

「え?」

「こんなときまで俺の面倒なんてみなくていい」


 十和に頼まないのなら、銚子を運ぶのはすぐそばにいる久礼の役目になってしまう。


「お酌くらいは」

「いいから。十和は、あっちでゆっくりしていてくれ」


 あっちというのは、さっきまで十和が歓談していた女性の妖狐たちのところだ。

 二度断られて、十和はしぶしぶ引き下がる。久礼が銚子をもって愛想よく月白に近づいた。


「では、お酌の役目は私が。宴のときは奥様を休ませてあげようなんて。奥様想いいらっしゃるのね」


 月白のすぐそばに座って、久礼は楚々と酒を注ぐ。


(……これって本当に気遣い?)


 追い払われた気がする。

 十和はもやもやしながら、また女性たちの輪に戻った。甘いお菓子やおいしいお茶をふるまわれるが、気分はまったく盛り上がらない。話も上の空だ。


(やっぱり……ちゃんとした妖狐の方がいいのかしら)


 気安く久礼の酌を受けている月白の姿を見て、十和はしょげかえる。

 ため息をつくと、そばの妖狐に気遣われた。


「どうしたの、十和さん。何か悩みごと?」

「悩みごとというか……気になっていることがあって。

 みなさんは人間の男性にときめくことってありますか?」


「人間の男に?」

「すてきだなと思ったり、夫婦になりたいと思ったりなさいます?」


 妖狐たちの反応は様々だった。


「狐だろうが狸だろうが人間だろうが、いい男はいい男って思うわね。思うけど、夫にはナシかしら」

「アタシはイイけどなー。好きになったら種族関係ないよ」

「遊びでなら? でも、向こうに押されたら分からないかも」


 十名に聞いた意見をまとめると、夫にできるという回答が二人、できないという回答が二人、その時にならないと分からないが六人だった。

 本当は男性に回答を聞いてみたかったが、十和はひとまずこれを妖狐全体の見解とした。


(半数以上が『その時になってみなければ分からない』なら、月白様もそういう意見かしら)


 十和は望みはあると希望を持ったが、


(でも月白様は『その時になった』のに形だけの夫婦をお選びになったわけだから……やっぱり望みはないのかしら)


 と絶望もした。恋する心はせわしない。

 思い悩む十和の様子を前に、女たちは顔を見合わせる。心配そうにした。


「……十和さんはどなたか気になる人間の殿方がいらっしゃるの?」

「え?」

「十和さんは人間の血が濃いものね。やっぱり人間の方が良い?」


 半拍おいて、十和は激しく首を左右にふった。

 自分のことを『妖怪育ちの半妖なのに人間に心惹かれて困惑している』と誤解されている。


「違います、違います。むしろ逆で。

 私が狐姿にもなれない半端者なので……ちゃんとした妖狐の月白様がどう感じていらっしゃるのか気になって。

 それで、みなさまに代わりに質問を」


 十和が自信なさげに、尻すぼみに語ると、女たちは「まぁ」とほほえましそうにした。


「そんなの、ねえ」

「十和さんのためにわざわざ席を移っている姿を見たら明白でしょうに」


 くすくす笑う声に混じって「きゃっ」と小さく悲鳴が上がった。

 叫んだのは久礼だ。月白の椀がひっくり返り、久礼の着物を濡らしている。


「すまん。呆けていた」

「いえいえ、このくらい平気ですわ月白様。着替えれば済むことですから」


 立ち上がった久礼の腕を、月白がつかんだ。


「御殿まで案内する」

「ご親切に。でも、大丈夫ですから」


 久礼は取られた腕を引き抜こうとするが、月白が放さない。自分も立ち上がると、久礼の手を引いてさっさと御殿の方へと歩いていく。

 十和も他の者たちも、月白の強引さに目を丸くした。


「女中のだれかに任せればよいでしょうに」

「十和さん、手を貸してあげた方がいいのではない?」


 みなの怪訝そうな様子に、感じていた十和の不安が増す。


(なにか他にご用がありそうな感じだったわ)


 さっきから、久礼に対する月白の態度はいつもの月白らしくない。

 十和は一言断って宴の席を中座した。


 御殿にもどる道すがら、肩を寄せ合って木立に入っていく男女を見つける。

 花見の席は出会いの場でもある。意気投合した男女がこっそり宴を抜け出して二人だけの時間を過ごすのは毎年目にする光景だ。

 嫌な想像が十和の脳裏をよぎった。


(……いえ、いえ。そういうことではない! はず)


 御殿に入ると、紫色の着物の袖が座敷の一つに消えていくのが見えた。

 久礼の着物が紫色だったことを思い出し、後を追う。

 閉められたふすまの前まで来ると、中から女性の声が聞えてきた。


「あん……もう……」


 媚をふくんだ甘ったるい声。十和はとっさに引手から手をはなした。


「強引なんだから……」


 艶めいた声に、心臓が早鐘を打つ。

 開けるべきか開けざるべきか迷っていると、女性が予想外れのことをいった。


「黒松様ったら」

「いいだろ。もったいぶるなよ」


 十和は一気に肩から力を抜いた。


(よかった。月白様ではなかった)


 着物の色は似ていたが、中にいるのは久礼でない女性で、一緒にいるのは黒松なのだ。ほっと胸をなでおろす。


(……黒松様が吉乃お姉様でない女性と一緒なのは、それはそれで問題な気がするけれど)


 吉乃の着物は桜の刺繍が入った白地の着物だったので、相手はたぶん別の女性だ。

 ほんの少しだけふすまを開いて中をうかがえば、ぼってりとした唇が色っぽい女性がいた。花見の参加者の一人だ。毛先だけが黒い茶色髪に見覚えがあった。


(夏には吉乃お姉様と結婚のはずなのに。いいのかしら)


 十和はやきもきしながらのぞき見ていたが、黒松の手が女性の胸元に差しこまれるのを見て、あわてて身を引いた。

 けはいを悟られないよう、細心の注意を払ってその場を後にする。


(月白様、どこかしら)


 今日は大半が花見へ行っているので御殿は静かだ。だれかに行方を聞きたくとも、そもそも人がいない。


(着物が汚れたから水場? それとも着替えるから芸人さんたちの控えの間?)


 あまり悩むことはなかった。湯殿に差し掛かったとき、中から怒鳴り声が聞こえてきたのだ。


「何するのよ!」


 久礼の声だ。十和は湯殿に飛びこみ、唖然あぜんとした。

 月白が久礼を壁に押しつけ、その着物の中を探っていた。

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