第12話 趣味

会話が一段落ついたところで、真里がふと思い出したように桜の方を向いて尋ねた。


「白石さん、森本君に何かアドバイスとかありますか?」


その問いに桜は軽く首をかしげ、考える仕草をしてみせた。


「そうだなぁ……迷宮はね、想像以上に厳しい場所だから、無理しないことかな」


柔らかい笑顔でそう答える桜の言葉には、迷宮を熟知している者の実感が込められているように感じた。だが、長谷川はその言葉を聞くなりニヤリと笑い、肩をすくめた。


「お前が無理してない場面なんて、俺は見たことないけどな」


突っ込みを入れる長谷川に、桜は「もう!」と少し困ったような顔をして笑いながら言い返した。


「それは言わないでよ!本当に無理はしちゃダメだって思ってるんだから!」


そのやり取りを見て、テーブル全体に笑いが広がった。だが、美穂は少し真剣な表情を浮かべ、静かに言葉を添えた。


そのアドバイスは本当に大事ね。森本君、あなたも覚えておきなさい。迷宮では、自分の限界を冷静に知ることが生死を分ける場面もあるのよ」


その言葉に、俺は自然と背筋を伸ばした。リーダーとしての重みを持った美穂の声が、胸の奥にしっかりと響いてくる。


「はい、肝に銘じます」


俺が真剣に答えると、美穂は満足そうに頷き、桜も優しい笑顔を浮かべた。その場の空気が少し引き締まりつつも、どこか温かさを感じさせるものに変わっていった。


食堂の空気が次第に和やかさを増し、あちらこちらから笑い声が響いてくる。俺たちのテーブルでも、桜を交えた会話が弾み、賑やかな雰囲気に包まれていた。


「ところで、森本君」


ふいに桜がこちらを見て、少し興味深げな表情を浮かべた。


「趣味とかあるの?」


予想外の質問に俺は一瞬戸惑い、言葉を探す。


「趣味……ですか?」


何か思い当たることはないかと頭を巡らせてみるが、特にこれと言ったものが浮かんでこない。少し困ったように笑いながら答えた。


「特にないかもしれません……」


その返事に、桜は目を丸くしながらもすぐに笑顔を浮かべた。


「そうなんだ!これから探していけばいいじゃない。何か興味のあることとか、ちょっとでもない?」


桜の声には全く否定的な感じがなく、むしろ楽しそうな雰囲気があった。


「えっと……正直、何が自分に合うのかも分からなくて」


俺がそう答えると、長谷川がニヤリと笑いながら口を挟んできた。


「お前、趣味がないってことは、今後何でも試せるってことだな。ポジティブに考えろよ」


「それもそうかもしれませんね」


苦笑いしながら答えると、真里が優しく微笑んだ。


「それじゃあさ、今度、趣味を探すの手伝ってあげようか?」


その提案に俺は少し面食らいながらも、「え?手伝う?」と聞き返した。


「そうそう!何か一緒にやってみれば、自分が好きなものとか得意なことが分かるかもしれないじゃない?」


桜の提案に、俺は「そんなものなんですかね……」と曖昧に答えたが、その軽やかな口調に妙な説得力を感じた。


「おいおい、それ絶対お前の趣味に引き込むつもりだろ」


長谷川がニヤリとしながら茶々を入れる。その一言に、桜はわざとらしく大げさに驚くふりをしてみせた。


「バレた?……って、まあそうかも。でも、楽しいことを共有するのも悪くないでしょ?」


そう言いながら桜は笑顔を浮かべた。その屈託のない明るさに、俺もつられて少し笑みが漏れる。


「たしかに、一緒にやれば新しい発見があるかもしれませんね」


俺がそう答えると、桜は勢いよく手を叩いた。


「でしょでしょ!じゃあ、決まりね!今度何か計画しておくから、ちゃんと付き合ってよ!」


その言葉に、俺は少し戸惑いつつも頷くしかなかった。「よろしくお願いします」と言うと、桜が満足そうに笑う。


「よし!楽しみにしてて!」


会話がさらに盛り上がる中、真里が楽しげに微笑みながら口を開いた。


「私は料理が趣味なんだけど、今度みんなで一緒にやってみない?」


その提案に、俺は「料理ですか?」と興味を引かれた様子で問い返した。だが、すかさず長谷川が疑わしそうに口を挟む。


「お前の料理……大丈夫なのか?」


その一言に、真里が「あら?」という表情を浮かべた後、少しむっとした顔で反論する。


「ひどい!ちゃんと美味しいから!」


その声にはほんの少し怒り混じりの色があったが、桜がすかさず手を挙げて乗り気な様子を見せた。


「じゃあ私も参加する!料理には自信あるよ!」


その言葉に真里がほっとしたように微笑み、「本当に?それなら心強いわ」と応じる。


「おいおい、ここで本当に自信を持って言われても、俺は食べるのが怖いぞ」


長谷川が再び冗談めかして言うと、真里が「大丈夫。食べたら分かるから!」と返し、全員が笑い合った。


「じゃあ、決まりね。次の休みの日に料理をする会を開きましょうか」


美穂が少し微笑みながら提案すると、全員が軽く頷いて賛成した。


***


厨房から漂ってきた美味しそうな香りが、俺たちのテーブルにも届き始めた頃、運ばれてきた料理が次々とテーブルに並べられた。スープやサラダ、揚げ物といった温かい料理が並ぶと、それだけで場の雰囲気がさらに和やかになっていく。


「お、これはいい匂いだな。迷宮の飯と違って、ちゃんとした食事ってのが嬉しいぜ」


長谷川が目を輝かせながら言い、すぐにフォークを手に取る。それにつられるように、俺たちも一斉に手を伸ばし、それぞれの料理を取り分け始めた。


「こういう時間、大事ですよね」


俺がポツリと呟くと、真里が柔らかく微笑みながら頷いた。


「そうね。迷宮の中では常に緊張しているから、こうしてリラックスできる時間があるとホッとするわ」


周りの席を見渡すと、他の隊員たちも楽しげに食事をしているのが分かる。どのテーブルからも笑い声や冗談が聞こえてきて、食堂全体が活気に包まれていた。そんな中で、桜が楽しげに箸を動かしながら口を開いた。


「次の任務も頑張らないとね。でも、今日はリラックスしよう!」


その提案に、真里が「そうね」と応じる。


「しっかり休んで、体力を回復しなきゃ。休むのも仕事の一部だから」


その言葉に、長谷川がフォークを口に運びながら笑い声を上げた。


「お前ら、休むって言葉の重みを知らねぇな。俺なんて、休息も全力でやるタイプだからな」


「全力で……休む?」


俺が首を傾げながら問いかけると、長谷川は口元を拭いながら自信たっぷりに頷く。


「そうだ。全力で休むってのは、何も考えずに好きなことだけしてリフレッシュするってことだ」


その妙に堂々とした言い方に、桜が思わず吹き出した。


「それ、私もよく分からないや。長谷川君らしいね!」


「だろ?お前も試してみろよ、俺流の休息法ってやつを」


長谷川が得意げに笑うのを見て、俺たちは自然と笑い声を上げた。その軽口のやり取りが、迷宮での緊張感をすっかり忘れさせてくれる。


「こうして全員で集まって話しながらご飯を食べるのって、いいですよね」


俺がそう言うと、美穂が少し驚いたように俺の方を見た後、柔らかな笑顔を浮かべた。


「そうね。森本君が言う通り、こうした時間もチームにとっては大事なものだと思うわ。任務の時には分からないお互いの一面を知ることができるから」


美穂が視線を上げてテーブルを囲む全員の様子を眺めた。彼女の口元には穏やかな微笑みが浮かび、静かに呟くように言葉を紡いだ。


「みんな、本当にリラックスしてるわね」


その声に気づいた桜が、すぐさま明るく反応する。


「いいことだよ!休む時にちゃんと休むのがレスキュー隊の基本!全力で働くには全力でリフレッシュするのが一番だから!」


彼女らしい元気な声に、テーブルの全員が自然と笑顔を浮かべる。だが、真里が軽く首を傾げながら問いかけた。


「白石さん、それを自分で実践できてます?」


その一言に、桜は「うっ」と声を詰まらせた後、苦笑いを浮かべて肩をすくめた。


「……耳が痛いなぁ。でも、努力はしてるんだよ!ほんとに!」


その言葉に長谷川が「お前の言い訳、今日は絶好調だな」と茶化し、全員がまた一度笑い声を上げる。


やがて食事が終わり、空になった皿やカップがテーブルに並んだ。長谷川が「おい、誰か片付けやってくれよ」と冗談めかして言うが、真里がすかさず立ち上がる。


「ほら、全員でやればすぐ終わるから!ほら拓也君も!」


「あ、はい!もちろん手伝います!」


俺も慌てて立ち上がり、全員で皿やカップを片付け始める。それぞれが手分けしてキッチンへと運ぶ中、桜が「次の料理会は私が片付け担当しようかな」と軽口を叩き、さらに場の空気が和やかになった。


「それいいね。任せるよ、桜さん」


俺がそう答えると、桜が「じゃあ頑張る!」と笑顔を見せた。


片付けを終えた俺たちは、再び席に戻った。先ほどの賑やかな雰囲気はそのままに、全員がリラックスした表情を浮かべている。話題が途切れることもなく、次第に「料理をする会」についての話に移っていった。


「料理かぁ。楽しそうだけど、ちゃんと準備しないとね」


真里が提案を受けて、次の計画を立て始めると、桜が目を輝かせながら身を乗り出した。


「私も参加していい?」


その言葉に、美穂が微笑みながら頷いた。


「もちろん。今日は全員で楽しむのが目的よ。それに、白石さんが加わればもっと賑やかになるわ」


「やった!じゃあ、私も得意料理を披露しちゃおうかな!」


桜の明るい声に全員が笑顔を見せた。真里が「それじゃあ、具体的に何を作るか決めましょうか」と話をまとめ始める。


「簡単に作れるもので、みんなが楽しめるものがいいわね。あと、誰でも挑戦できるものが理想かな」


「それなら、パスタとかはどうだ?具材でアレンジも効くし、調理も比較的簡単だろ」


長谷川の提案に真里が頷く。「いいわね。それなら拓也君も初めてでもきっと大丈夫よ」と俺の方を向く。


「確かに……僕でもできるなら、ぜひ挑戦してみたいです」


俺がそう言うと、桜が「よーし!パスタに決定!私がリードするから任せて!」と笑顔を浮かべ、すっかりやる気になっていた。


そうして開催された料理会も、とても充実した1日となった。

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