休息の時間

第11話 食堂

迷宮での緊迫した救助任務から数日が過ぎた。施設内でしばしの休息が取れる日、俺たちは一息つく時間を迎えていた。あの瞬間の緊張や達成感が徐々に薄れていく中で、ようやく心も体も少しだけ軽くなっているのを感じる。


「本当に終わったんだな……」


俺は自然と肩の力を抜き、溜め込んでいた息を吐き出す。迷宮でのことが頭の片隅に残りつつも、全員無事に戻れたという事実がじわじわと心に染みてくる。


「終わったなら祝杯だろう?お前も付き合えよ」


長谷川が笑いながら声をかけてきた。その軽口はいつも通りで、彼が隣にいるだけで周りの空気が少し和らぐ気がする。


「休憩はいいけど、飲みすぎないようにしてね。明日からのことも考えないといけないわ」


美穂が釘を刺すように言う。その声には、ただ注意するだけではなくチーム全体を気遣う優しさが込められていた。


「さすがリーダー、いつも通り厳しいですね」


俺が冗談っぽく言うと、美穂は少しだけ微笑んでから首を振った。


「厳しいわけじゃないわ。ただ、みんなのために必要なことを言ってるだけよ」


「そうそう、うちのリーダーは言うことに隙がないんだからな」


長谷川がそう言うと、真里がクスリと笑いながら口を開く。


「そんなに気張らなくても、今日はリラックスしていいと思うわ。全員で食堂に行って、何か軽く食べながら話しましょう」


その提案に全員が頷き、俺たちはゆっくりと食堂へと向かい始めた。迷宮の中では決して感じられなかった穏やかな空気が、施設内を包んでいる。


食堂に足を踏み入れると、活気あふれる声が迎えてくれた。広い部屋の中には、すでに多くの隊員たちが集まっていて、任務を終えたばかりの開放感からか、どのテーブルでも笑い声や冗談が飛び交っている。


「さすがに賑やかだな。みんな無事に帰ってこれたんだな」


長谷川が辺りを見渡しながら感想を漏らす。その言葉に俺も頷く。迷宮という危険な場所での任務を終えた後、こうしてリラックスできる時間があるのは、本当に貴重なことだと思う。


「お、あの端が空いてるぞ」


長谷川が奥の隅を指さしながら言う。その場所はちょうど窓際で、少し落ち着けそうな雰囲気が漂っていた。


「いい場所ね。みんな、行きましょう」


美穂が先頭に立ち、チーム全員でその席に向かう。俺たちは並んで腰を下ろすと、メニューを開いて飲み物や軽食を選び始めた。注文を済ませると、窓の外に見える静かな夜景が自然と目に入る。


「全員、本当にお疲れ様」


美穂がチーム全体に向けて柔らかい声をかけた。いつもの冷静な表情はそのままだが、その目には優しさが宿っている。


「負傷者も無事だったし、私たちも怪我なく帰ってこれた。それが一番重要なことだわ」


彼女の言葉に、全員が静かに頷く。この場所にいる全員が、誰もが同じ思いを抱いているのだろう。


「確かに無事で何よりだったよな。あの時の突進は本当にヤバかったけど、まあ、俺たちは何とかしちゃうんだよな」


長谷川が軽口を叩いて笑う。その表情にはいつもの通りの余裕が感じられる。


「でも、森本君がいなかったら、あそこでどうなっていたか……分からないわね」


真里が俺の方を見ながらそう言った。その言葉に、少しだけ照れ臭い気持ちになる。


「いや……みんなが支えてくれたからです。一人じゃどうにもできなかったと思います」


謙遜しながらそう答えると、長谷川が笑い声を上げた。


「おいおい、謙虚だな。まあ、確かにみんなでやったってのはその通りだ。でもな、あの壁を出したのはお前だ。そこは自信持っていいぞ」


その言葉に、美穂が短く頷く。


「そうね。森本君の力があったから、今回の救助は成功したのよ。だからもう少し自信を持っていいわ」


彼女の言葉に少しだけ胸が熱くなる。チームに認められている感覚が嬉しかった。


「ありがとうございます。でも、まだまだ未熟ですから、もっと頑張らないといけませんね」


「その意気よ。レスキュー隊で大事なのは、力を磨き続けることだもの」


美穂が微笑みながらそう言った。


その時、注文した飲み物や軽食がテーブルに運ばれてきた。温かい湯気が立ち上るスープに、カラッと揚がったおつまみが並ぶ。俺たちはそれぞれ手を伸ばし、乾杯こそしなかったものの、軽く笑い合いながら食事を楽しみ始めた。


「やっぱりこういう時間がいいな。迷宮の中じゃこんな風にリラックスできないからな」


長谷川がスープをすすりながら言う。その言葉には確かに共感するところがあった。迷宮の中では一瞬一瞬が緊張の連続だ。それを思い返すと、今のこの空間がどれほど貴重か、自然と実感できる。


俺はテーブルの前で軽く息を整えた後、周囲の顔を見回した。どの顔にも安堵の色が浮かんでいて、この瞬間を迎えられたことに胸が熱くなる。少しだけ言葉を選びながら、俺は口を開いた。


「皆さんがいたから、無事に終えられました。本当にありがとうございます」


静かな感謝の言葉に、全員が目を向けてくれる。長谷川はニヤリと笑い、真里は温かな微笑みを浮かべた。


「謙遜しないで。森本君があの壁を出さなかったら、本当に危なかったわ」


真里がそう言いながら、俺の肩を軽く叩く。その表情には、迷宮の中での緊張感から解放された穏やかさが感じられた。


「あの壁、本当にすごかったな。俺、正直びっくりしたぞ」


長谷川が興味津々な表情で前のめりになりながら話しかけてくる。


「報告にもしっかり載せておいたけど、あれはどういう仕組みなんだ?なんか秘策でもあったのか?」


その問いかけに、俺は少し困ったように頭をかいた。


「いえ、自分でもよく分からないんです。ただ……守りたいって思ったら、自然とああなったというか……」


素直な気持ちを話すと、長谷川は目を丸くし、真里が小さく笑った。


「なんだよそれ!お前、本当にすごい新人だな。守りたいだけであんなものが出るなんて」


長谷川が冗談めかして笑うが、その声には感心の色も含まれている。


「守りたいという思いが、力を引き出したのね」


美穂が冷静にそう言った。その声は少し思案するような調子で、俺をじっと見つめている。


「本来、迷宮の中で発揮される能力は訓練や経験が重要だけど、君の場合はその強い感情が大きな原動力になっているみたいね」


「そうなんでしょうか……でも、もっと制御できるようになりたいです」


俺がそう言うと、美穂は短く頷き、柔らかく微笑んだ。


「大丈夫よ、森本君。君の力はこれからもっと磨かれていくわ。自分の感情を信じて、その力を育てていきましょう」


***


食事を進めながら、全員が和やかに会話を続けていると、ふと近くの席から明るい声が飛んできた。


「お疲れ様、第13分隊さん!」


その声に全員が振り向くと、そこには元気いっぱいの女性が立っていた。肩くらいまでのボブカットの髪と爽やかな笑顔が印象的で、白い制服が彼女の健康的な雰囲気を際立たせている。


「おう、白石。どうした?」


長谷川が軽いノリで声をかける。その様子を見るに、この女性は長谷川と以前から面識があるようだった。


「どうしたもこうしたもないよ!第13分隊の活躍がすごいって話題になってたから、どんな感じかなーって見に来たの!」


彼女は軽快な調子でそう言いながら、空いている椅子を見つけて腰掛ける気満々の様子だ。


「白石桜よ。別の分隊で活躍している救助隊員なの」


美穂が落ち着いた声で説明を加える。その一言で、彼女がレスキュー隊の一員であることが分かった。


「えっと……森本拓也です。よろしくお願いします」


俺は少し戸惑いながらも自己紹介をする。


「やっぱり君が新人君か!森本君、よろしくね!いやー、すごい新人が入ったって噂になってるよ?」


桜はにっこり笑いながら軽く手を振る。その元気さに、俺も思わず微笑みを返した。


「噂……そんな大したことしてないんですけど……」


「それでも目立ってるってことだよ。謙虚なところもいいね!」


桜の明るい声が食堂の賑やかな雰囲気に溶け込み、自然と場がさらに盛り上がる。その軽快なやり取りを見ながら、長谷川がニヤリと笑った。


「その噂、もっと広めておけよ。俺たちの分隊も一緒に有名になるだろ?」


「もう十分広まってるって。第13分隊の名前も、今回の件で一気に上がったんだから」


桜が軽く肩をすくめながら笑った。その明るい笑顔に、俺も少しだけ照れくささを感じながら小さく頭を下げた。


「でも、そんな風に言われるとちょっとプレッシャーですね……」


「新人が一人で全部背負う必要なんてないって!」


桜は励ますように言いながら、親しげに俺を見つめていた。長谷川も軽く笑いながら、「まあ、お前の壁のおかげで助かったのは事実だけどな」と冗談めかして付け加える。


その軽快なやり取りに、美穂が静かに微笑みながら全体を見渡した後、静かに口を開いた。


「森本君、謙遜しなくていいわ。あなたが命を守った事実は変わらない。それは本当に誇るべきことよ」


その言葉には、確信めいた力強さが込められていて、俺の胸に深く響いた。言葉がすぐに返せず、ただ小さく頷くことしかできなかった。


「じゃあさ、私もここの席に混ぜてもいい?」


桜が少し楽しそうな表情で美穂に尋ねた。その声は明るく、まるで断られることなんて全く考えていないようだった。


「もちろん。せっかくだし話しましょう。あなたも気になることがあるんでしょう?」


美穂が少し微笑みながらそう答えると、桜は「やった!」と軽くガッツポーズをしてみせた。


「じゃあ、ここ座っちゃうね!」


桜はさっと空いていた椅子に腰を下ろし、手を挙げて飲み物を注文した。その動きはとても自然で、食堂の賑やかな雰囲気にもぴったり溶け込んでいる。


「さて、新人君のこと、もっといろいろ教えてもらわないとね!」


桜はニコニコとした笑顔を浮かべながら、俺に目を向けてきた。その屈託のない表情に、少しだけ肩の力が抜けていくのを感じた。


桜が席に着き、飲み物を注文した頃には、すっかり彼女の明るい雰囲気に全員が引き込まれていた。その軽快なやり取りは、迷宮の緊迫感とはまるで正反対の温かさをもたらしていた。


長谷川が少し身体を乗り出しながら、興味深げに問いかけた。


「で、桜。お前の分隊はどんな感じなんだ?」


「うちも今日は無事任務終了!まぁ、そんなに難しい任務じゃなかったけどね」


桜はそう答えながら軽く肩をすくめた。どこか余裕を感じさせるその態度に、彼女が任務に対していかに冷静であるかが垣間見えた。


「白石さん、任務中はすごく冷静で頼りになるって聞いてますよ」


真里が桜を見ながら微笑んでそう言った。その声には自然と敬意が込められていて、桜に対する信頼の大きさが感じられる。


「えっ、やだやだ。褒めないでよ、照れるじゃん!」


桜は冗談っぽく手を振りながら答えたが、その表情には本当に照れた様子がうっすらと見えた。その仕草に、俺も思わず微笑みが浮かぶ。


「お前、褒められ慣れてるだろ。それくらい普通に受け流せよ」


長谷川がすかさず茶々を入れると、桜は軽く目を細めて肩をすくめた。


「慣れてないってば!でも、もっと言ってくれてもいいよ?」


その言葉に、全員が一瞬息を飲み、その後同時に笑い声を上げる。彼女の軽やかな返しが、食堂のテーブルにさらに和やかな空気を広げていった。


「でも、本当に白石さんってすごい人なんですね」


俺がポツリとそう言うと、桜が俺の方を向いて明るく笑った。


「いやいや、それより森本君の方がすごいでしょ?噂になってるよ。迷宮で大活躍して第13分隊を引っ張ってる新人がいるって」


「いや、引っ張るなんてそんな……皆さんが支えてくれたからです」


謙遜する俺を見て、桜はニコッと笑いながら軽く肘を突いてきた。


「そういうところもいいね。謙虚な新人ってポイント高いよ!」


その一言にまた少しだけ顔が熱くなるのを感じたが、どう返せばいいか分からず曖昧に笑うことしかできなかった。


長谷川がその様子を見て、いつもの調子で口を挟む。


「まぁ、謙虚もいいけどな、そろそろ自信を持ってもいいんじゃないか?あの壁のこととかさ」


「壁……」


俺が少し考え込むように呟くと、桜がその言葉に興味を引かれた様子で口を開いた。


「そうそう、聞いたよ!すごい防御壁を出したって話。森本君の能力なの?」


「はい。でも、まだ自分でもよく分からなくて……守りたいって思ったら、あの壁が出てきたんです」


そう説明すると、桜が驚いたように目を見開いた。


「守りたいだけで?それであんなすごいことができるなんて、やっぱり特別だね!」


「特別かどうかは……分かりません。でも、皆さんが力を貸してくれたからこそです」


俺がそう言うと、真里が微笑みながら言葉を挟んだ。


「謙虚だけど、やっぱりすごいのよ。森本君がいなかったら、あの状況はどうなっていたか分からなかったもの」


その言葉に、桜も大きく頷いた。


「ほんとだね。森本君、これからも注目されると思うよ。でも、プレッシャーに感じなくて大丈夫。何かあったら私たちも助け合えるんだから」


その明るく優しい言葉に、少しだけ肩の力が抜けた気がする。桜の笑顔に支えられるような感覚が、不思議と胸に温かさをもたらしてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る