第9話 覚醒

広間の隅で、うずくまる影がようやくはっきりと見えてきた。それは三人の人間だった。全員が地面に座り込んでおり、そのうち二人はほとんど動けない様子でうつむいている。


「負傷者だ……間違いない」


美穂が即座に駆け寄り、状況を確認する。


「応急処置を急ぎましょう。日高さん、負傷者の状態を確認して」


真里が素早く応急処置キットを開き、負傷者たちの体に手を伸ばす。その間、長谷川が懐中電灯を周囲に向けながら周囲の状況を確認した。


「周囲に魔物の気配はないな……今のところは安全だ」


彼の言葉に、美穂が短く頷く。


「この場で可能な限りの応急処置を施すわ。森本君、胸の感覚を頼りに周囲の異変を見逃さないで」


「はい!」


美穂の指示を受け、俺はさらに集中する。胸の中の熱は今も強く燃えていたが、緊張感がそれに負けないほど高まっている。


その時、負傷者の中の一人が弱々しく顔を上げた。彼は軽傷のようで、目はしっかりと開いている。


「あなたたちは……レスキュー隊……?」


掠れた声でそう言うと、彼は短い呼吸を繰り返しながら続けた。


「魔物に襲われて……散り散りになったんです……あの二人は……動けなくて……」


その言葉に、真里がすぐに軽傷者を落ち着かせるような声をかけた。


「大丈夫。あなたたちを安全に救出するために来ました。もう安心して」


「……助かります……」


彼の表情に安堵の色が浮かぶのが見えたが、まだ完全に気を許しているわけではなかった。


「この二人はどういう状態?」


美穂が真里に尋ねると、真里が即座に状況を説明した。


「一人は足を負傷していて、動かせる状態ではありません。もう一人は腕を骨折していて、動かす際は慎重に行う必要があります」


「分かった。応急処置を進めつつ、移動の準備を整えるわよ」


美穂の指示に、チーム全員が迅速に動き始めた。自分がこの場で何をすべきか、全員が的確に理解している。このチームの一員として動けることに、俺は小さな誇りを感じながら胸の熱にさらに意識を集中させた。


魔物の気配はないと言えど、この迷宮が完全に安全だとは限らない――それを胸に刻みつつ、俺たちは負傷者たちの救助に全力を注いだ。


真里が負傷者のそばに膝をつき、落ち着いた手つきで応急処置を始めた。止血用のガーゼを傷口に当て、慎重に包帯を巻きながら声をかける。


「少しだけ動かないでね。すぐに楽になるわ」


軽傷者が弱々しく頷きながら、もう一人の負傷者に目を向ける。


「……助けてくれて、本当に……ありがとう……」


その言葉に、真里が優しい笑みを浮かべた。


「大丈夫、全員無事に地上に戻れるわ。焦らずゆっくりね」


その後、美穂が全員を見渡して指示を飛ばした。


「応急処置が終わり次第、負傷者全員を担架で運ぶ準備をするわ。長谷川、周囲の警戒を頼む。森本君、担架の組み立てを手伝って」


「はい!」


俺はすぐに指示を受け、簡易担架を取り出して作業に取り掛かる。長谷川と一緒に組み立て方を教わったばかりの担架だったが、今この場で役立てられることに嬉しさを感じた。


「おい、紐をしっかり引っ張れ。負傷者を運ぶ最中に緩んだら命取りだぞ」


長谷川が慎重な手つきで紐を締めながら指摘する。その言葉に背筋が伸びる思いで作業を進めた。担架の形が整うと、真里が小さく拍手をして微笑む。


「森本君、なかなかいい出来よ。これなら安全に運べそうね」


その言葉に一瞬だけ肩の力が抜け、俺は少しだけ自信が湧いてきた。


負傷者たちがこちらを見て、掠れた声で呟いた。


「ありがとう……本当に助かります……」


その言葉が胸に響く。迷宮に入った時の不安やプレッシャーが、その一言で少しずつ軽くなっていくのを感じた。


「絶対に、無事に連れ出します。もう安心してください!」


声を張り上げると、負傷者たちが弱々しくも笑みを見せてくれる。それが自分を奮い立たせる大きな力となった。


しかし、その瞬間だった。


「……グルルル……」


通路の奥から低い唸り声が響いた。石壁に反響し、全員が一瞬で動きを止める。その音は確実に何か大きなものが近づいてきていることを告げていた。


「……またかよ」


長谷川が険しい表情で呟く。俺も声の方向に目を向け、鼓動が早まるのを感じた。


「美穂さん、どうしますか?」


俺が問うと、美穂は迷わず指示を出した。


「全員、落ち着いて。負傷者を守ることが最優先よ。長谷川、通路を抑えて!」


通路の奥から、低い唸り声が徐々に大きくなってくる。全員がその音に集中し、空気が一気に緊張感で張り詰めた。長谷川が通路の向こうを鋭い目つきで見据え、短く警告を発した。


「魔物が近づいてきている……デカいやつだ」


その一言が全員をさらに引き締める。負傷者たちが怯えた様子で小さく身を寄せ合い、真里が優しく声をかける。


「大丈夫、大丈夫だから……。私たちがあなたたちを守るわ」


負傷者を安心させながらも、真里の声にも緊張が混じっているのがわかる。


「負傷者を守る体制を取るわよ!」


美穂の声が冷静に響き渡る。


「長谷川、前を抑えて。森本君、真里さんと一緒に負傷者を守って」


「了解!」


全員がすぐさま動き、指示された位置につく。担架を負傷者から少し離し、できるだけ安全な場所に移動させる。俺は真里とともに負傷者を覆うように立ち、身構えた。


そして――


通路の奥から巨大な影がゆっくりと姿を現した。その体躯は石畳を揺るがすほどの大きさで、鋭い爪が壁に触れるたび、嫌な音が響く。目は血のように赤く光り、その威圧感だけで全員を飲み込もうとしている。


「……でけぇな……おい、どうするんだ?」


長谷川が口元を引き締め、冷静を装いながらも内心の警戒を隠せない様子だった。


「……低い唸り声まで威圧感があるなんて、本物の化け物じゃないですか」


俺がそう呟いたのを聞いて、美穂が短く頷く。


「負傷者を守ることが最優先。攻撃を受け流す形で、この場を凌ぐわよ。全員、気を抜かないで」


その言葉に、俺の胸の中で熱がさらに高まる。この魔物の前に立ちふさがり、負傷者を守らなければならない――その思いだけが頭の中を支配していた。


巨大な魔物が石畳を踏みしめるたび、低い振動が足元から伝わってくる。その一歩一歩は圧倒的な質量を感じさせ、通路全体を揺るがしているようだった。


通路の奥から迫り来るその巨体を目の当たりにし、チーム全員が自然と息を呑む。赤く輝く瞳、鋭い爪、筋肉の塊のような体躯――その威圧感に、周囲の空気が一気に凍りついた。


「これは……下手すると全滅だな」


長谷川が冗談めかしながら口を開いたが、その表情には皮肉ではなく本物の緊張が浮かんでいた。


「全滅なんて冗談になりませんよ!」


俺が思わず返すと、長谷川は軽く肩をすくめるだけだった。しかし、その目は魔物をしっかりと見据えている。


「負傷者を守ることが最優先よ!」


美穂が冷静な声で全員に指示を出す。その声には迷いが一切なく、緊張の中でも安心感を与える力があった。


「長谷川、最前線で魔物の動きを封じる準備をして。森本君、真里さんと一緒に負傷者を完全に守る体制を取って!」


「了解!」


全員が即座に動き出す。長谷川は盾を構えながら魔物の進行方向に立ちふさがり、俺は真里と協力して負傷者をさらに安全な場所へと移動させる。


「負傷者たちを囲むように!魔物が近づいたらすぐに声をかけて!」


美穂の指示で、全員が息を合わせる。狭い通路の中での戦略は限られているが、それでも美穂の冷静な判断がチーム全員に行動の指針を与えていた。


「こっちだ……大丈夫ですから、もう少しだけ辛抱してください!」


負傷者たちにそう声をかけながら、俺は胸の熱がさらに強くなるのを感じた。この魔物の前で、自分ができることを最大限に発揮しなければならない――その思いが頭の中を支配していた。


魔物は一歩一歩と距離を詰めてくる。その巨体は通路の幅をぎりぎりまで埋め尽くし、その足音は心臓を揺さぶるようだった。美穂が負傷者たちを守るように陣形を整えながら、声を張り上げた。


「絶対に負傷者を守るわ!全員、全力で対応すること!」


チーム全員が素早く動き、負傷者を囲むように守る陣形を組む。長谷川が前方に立ち、盾を構えて警戒を続け、美穂が全体の状況を的確に指示しながら統率を取る。真里は負傷者たちを抱えるようにして、彼らを落ち着かせる声をかけている。


「大丈夫、もう少しだけ耐えて。必ずあなたたちを助けるから」


しかし、その瞬間だった。


「……グオオオオオオッッ!」


魔物が凄まじい咆哮を上げた。その声は狭い通路を震わせ、壁を揺らすほどの衝撃となって耳に響く。負傷者たちが怯えた声を上げ、真里がさらに彼らをかばうように身を寄せる。


「来るぞ!一気に突進だ!」


長谷川が叫んだ次の瞬間、魔物が巨体を揺らしてこちらへ突進してきた。まるで壁そのものが動いているかのような圧迫感に、全員が一瞬緊張で体を固くする。


その突進の勢いは凄まじく、狭い通路の空気を裂くように迫りくる。


「くそっ……!」


咄嗟に俺は負傷者の前へ飛び出した。足元の石畳がしっかりとした感触を返す間もなく、体が自然と動いていた。


「俺が守る……誰も傷つけさせない!」


心の奥から湧き上がる強い意志が、声となって漏れる。


その瞬間、胸の中で熱が爆発するような感覚に襲われた。まるで全身にエネルギーが行き渡るような力強さが駆け巡り、世界が一瞬だけ鮮明に広がったような気がした。


目の前に迫る魔物の突進の軌道が明確に見える――それをどう受け止め、どう守ればいいのか、頭の中に自然と答えが浮かぶ。


「絶対に負傷者には触れさせない!」


強く握った拳から、不思議な力が迸るような感覚がした。その場で踏みとどまり、魔物の突進を迎え撃つ準備が整った。後ろにいる負傷者たちの怯えた息遣いが耳に届くたびに、この場で絶対に守り抜くという決意がさらに強くなっていった。


「来い……絶対に止める!」


魔物が巨大な体を揺らして突進してきた瞬間、俺の中で何かが弾けた。胸の奥に感じていた熱が急激に膨れ上がり、全身を駆け巡る。まるで身体中に電流が走ったかのような感覚だったが、それはただの錯覚ではなかった。


「守らなきゃ……絶対に!」


その強い意志が、言葉となって自然に口をついて出た。次の瞬間、不思議な感覚が全身を包み込み、俺の目の前に薄い光の壁が現れた。それは透き通るように輝きながらも、確かな存在感を放ち、俺たちを守るように立ちはだかる。


「これが……俺の力……?」


自分でも驚きながら、その光景に目を奪われている間も、魔物の突進は止まらない。地響きを伴うその迫力に誰もが息を飲む中、巨大な体が光の壁に激突した。


「ドガァンッ!」


衝撃音が迷宮の中に響き渡る。魔物の体が光の壁に跳ね返され、通路の奥へ弾き飛ばされるように倒れ込んだ。石畳が割れる音とともに、その巨体が床に横たわる。その間、光の壁は微動だにせず、俺たちの目の前に堅固な盾として存在し続けていた。


「なんだ今の!?」


長谷川が驚きの声を上げた。普段の軽口は消え去り、真剣そのものの表情でこちらを見ている。


「森本君、今のは……あなたが……?」


美穂も息を呑みながら、光の壁と俺を交互に見ている。その声には驚きだけでなく、確信めいたものが含まれていた。


「俺も……分かりません。でも、負傷者を守らなきゃって思ったら……」


声を震わせながら答えたその瞬間、光の壁が静かに消えていく。まるで俺の体から力が抜けていくような感覚と共に、壁は空気の中に溶け込むようにして消失した。


「森本君……あなた、本当にすごいわ。あの突進をあれだけの防御で完全に防げるなんて」


美穂が感嘆の表情を浮かべ、負傷者たちの方へ振り返った。


「全員無事よね?誰も怪我はない?」


負傷者たちは呆然としながらも、小さく頷いた。一人が掠れた声で言葉を漏らす。


「……本当に守ってくれたんですね……」


その言葉に、胸の奥で熱がまだ燃え続けているのを感じた。俺が今この場にいる理由、この力を持つ意味が少しだけわかった気がする。


しかし、安堵する間もなく、魔物が低く唸り声を上げながら立ち上がった。壁に弾き返されたものの、その体力にはまだ余裕があるらしい。


「まだ終わってない……!みんな、気をつけて!」


俺がそう叫ぶと、長谷川が盾を構え直しながら前へ進み出る。


「森本、お前、あの壁をもう一度出せるのか?」


「分かりません……でも、やれるだけやってみます!」


「なら、次も頼むぜ!」


長谷川が頼もしげな笑みを浮かべると同時に、美穂が指示を飛ばした。


「全員、負傷者をさらに安全な場所へ!森本君、時間を稼げるならもう少しお願い!」


「分かりました!」


俺は胸の中の熱に再び集中し、魔物を見据える。目の前に迫るその巨体は確かに脅威だが、負傷者を守るという使命が恐怖を打ち消していた。


「誰も傷つけさせない……!」


再び全身に力がみなぎる感覚を覚えると、再び薄い光が周囲に広がり始めた。壁が形成される兆しに、魔物は突進のタイミングを伺っているようだった。


「来い……もう一度、俺が受け止める!」

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