第4話
「───すみませんでした。」
ラインは深く頭を下げ、今や正座の体勢でウリエルの前に座らされていた。
目の前の師匠は腕を組み、厳しい表情を浮かべながらこちらを見下ろしている。
扉の前で十分は抱き締められた後。
人目を気にし始めたラインは、ようやくウリエルに連れられて家の中へと入った。
数年ぶりに帰ってきた師匠の家。
本棚に囲まれた居間の光景は昔と全く変わらず、どこかホッとするものがあった。
ウリエルをソファに座らせたラインも、ほっと一息ついたが……それは束の間の安堵だった。
「師匠───」
これまでの経緯を説明しようとしたその瞬間。
「正座。」
「……えっ?」
突如遮られたラインは、思わず間抜けな声を漏らした。
ちらりとウリエルの顔を見れば、先ほどの涙を流していた彼女が嘘のように、にっこりと微笑んでいる。
しかし、その手は床を示していた。
──この笑顔はヤバいやつだ。
子供の頃、無数の説教をこの笑顔で食らった記憶が頭をよぎる。
それも決して良くない思い出ばかりだ。
「正座。」
「……はい。」
逃げ場などあるはずもなく、ラインは素直に正座した。
「ほんとにこの馬鹿弟子が……どれだけ師匠を困らせれば気が済むんだ、全く。」
「いや、ほんとにすみません」
ラインは額を床に擦り付けんばかりに頭を下げる。
「生きているのなら、せめて手紙の一つぐらい寄越しなさい。」
「いや、俺もまさか死んだことになってるとは───」
「言い訳しない。」
冷たく遮られ、ラインは言葉を飲み込む。
確かに、勇者パーティーに招集されたとき師匠と交わした約束がある。
「何かあったら必ず報告する」と。
その約束を破った以上、ぐうの音も出ない。
「……ごめんなさい。」
消え入りそうな声で謝罪すると、ウリエルは深くため息をついた。
「顔を上げなさい。」
その言葉で、ようやく床から頭を離せたラインはウリエルへと視線を向けた。
「それで、その姿、一体何があった?」
ウリエルの言葉に、ラインはようやく正座を崩し、今までの経緯を語り始める。
魔王との決戦で、仲間を助けるために”聖杯との取引”に応じたこと。
その結果、肉体と魂が変化してしまったこと、そして記憶が途切れていることを。
全てを語り終えると、ウリエルは顎に手を当て、考え込むように黙り込んだ。
「要するに、その姿になった原因は、自分の全てを聖杯に献上した結果……というわけか。」
「そういうことです。」
ラインは何度も頷きつつ、前々から抱いていた疑問を口にした。
「こんなことって……あり得るんですか?」
肉体と魂が変化するなんて、普通なら考えられない話だ。
「肉体と魂の変化は、通常ではあり得ない……が。」
「が?」
「“聖杯の取引”のようなデタラメな魔術なら、不可能を可能にすることだってある。それがあっても何ら不思議じゃない。」
ウリエルの言葉は静かに響き、まるで厳格な裁きのよう。
その正論を突きつけられたラインは、ただ黙って聞いていた。
彼女の言葉には、噓偽りはない。
それほどまでに、あの魔術は常軌を逸している。
理に抗い、法則を捻じ曲げ、人知を超越した力。
「聖杯との取引」──それは、魔法使いにとっては禁忌そのものだった。
ラインはこれまでの旅を思い返した。
勇者パーティーとして魔王討伐の旅を続ける中、彼らは魔王に仕える五つの災いと呼ばれる存在に幾度も直面した。
それらは、魔王軍の戦力を超えた純粋な“災厄”だった。
魔王軍でさえ制御できず、むしろその力に怯えて利用することすらためらうほどの存在。
ラインたちはそのすべてと戦った。
そして、そのうち二つの災いを討伐することに成功した。
だが、それは決して簡単なものではなかった。
あの戦いでは、”聖杯との取引”がなければ何もできなかったからだ。
災い。
それは、ただ純粋な力だけでは到底立ち向かえない圧倒的な悪の存在。
そんな存在と渡り合える程の”力”を与える、出鱈目な魔法。
「それを言われると、何も言えませんけど。」
ラインはジト目でウリエルを見つめた。
「ちなみに、これ治せたりしますか?」
一縷の希望を込めて尋ねたラインの言葉に、ウリエルは迷いなく答えを返した。
「無理だ。」
「えぇ……。」
その即答は、あまりにも簡潔だった。
覚悟はしていたつもりだったが、その現実を真正面から突きつけられると、さすがに心が沈む。
「それじゃあ……俺、この姿のまま……?」
絞り出すような声で呟いたラインの瞳が、僅かに揺れる。
それはつまり、これから一生、この姿で生きていかなくてはならないということ。
白髪、赤い瞳、変わり果てた身体──。
もはや「元の自分」と呼べるものは何も残されていない。
ラインは軽くため息をつき、視線をウリエルへと戻した。
勇者パーティーの一員として、ラインはこれまで多くの魔法使いと出会ってきた。
その中には、生まれ持った才能を発揮し、天才と呼ばれる者もいた。
だが、その誰を取っても──
「師匠を超える魔法使いには、一度も会ったことがない。」
それがラインの正直な気持ちだった。
彼女の知識、技術、そして魔法への探究心は、どれもが規格外だ。
並の魔法使いであれば一生かかっても到達できない領域に、ウリエルは平然と足を踏み入れている。
だからこそ、ラインは彼女に頼り、希望を託した。
だが、そのウリエルでさえも「無理」と断言したのだ。
「俺がこの姿のままだなんて、想像したくもないんですけど。」
ラインのぼやきに、ウリエルは軽く肩をすくめた。
「それはお前自身が選んだ代償だろう?」
「……それを言われると何も言えません」
返す言葉もなく、ラインは口をつぐむ。
彼女の言葉は確かに正しい。
聖杯との取引に応じるという選択をしたのは、自分自身なのだから。
だが、それでも受け入れるにはあまりにも重い代償だった。
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まず初めに、私の拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。
ゆっくりと書いていく予定です。
時々修正加えていくと思います。
誤字脱字があれば教えてください。
是非、評価の方も宜しくお願い致します。
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