第3話

子供の頃、何度も通った道をラインは歩いている。

微風に揺れる白髪がさらりと舞う。


──ここを歩くのも五年ぶりか。


懐かしい景色に目を向けながら、頭をよぎるのは過去の記憶だった。

強引に手を引かれ、この通りに連れてこられたあの日々。


──ああ、この仕立て屋。


『魔法使いである前に女性なの』と言われ、よく分からないまま服の評価を求められたことがある仕立て屋だ。


「良いと思いますよ」と適当に答えたら、雷呪文が頬を掠めたこともあった。

今にして思えば、あれは良い思い出と言えるのかもしれない……いや、やっぱり違うと思う。


後始末が大変だったのを覚えている。

掠めた雷呪文が服に当たり、いくつかを燃やしてしまったのだ。

慌てて浄化呪文を使って何とか事態を収めたが、仕立て屋側からすれば迷惑極まりなかっただろう。


──出禁にされなかったのは奇跡だよな。


あの時の罪悪感は、今になっても思い出すたびに顔をしかめたくなる。


「まあ、これも師匠の偉業と名声のおかげだろう。」


ラインの師匠であるウリエル・ナァーバ・アルトリア。

その名は、魔法使いであれば誰もが知る“賢者”として知られていた。

魔暴呪——魔法使いにだけ起こる呪いの解呪を発明し、魔術回路を作った偉大なる魔術師。

世界中の魔法使いが敬意を抱くその存在は、ラインにとってもかけがえのない師だった。


──師匠なら、俺のこの姿も治せるかもしれない。


そんな期待を胸に抱きながら歩いていると、懐かしい建物が見えてきた。


「着いた。」


他の家々より少しだけ大きなその家の扉の前に立つ。

しかし、扉をノックしようとしたその手が止まった。


──なんて説明しよう。


死んだことになっている上に、性別も違い、髪色も変わっている。おまけに身長も。

唯一変わらないのは瞳の色だけだ。

どれだけ説明しても、信じてもらえないかもしれない。


──まあ、なんとかなる。


そう考えるしかない。

聖杯との取引を理解している師匠なら、きっと納得してくれるはず。

そう結論づけ、ラインは扉をノックした。



そして扉をノックしてから、二分が過ぎた頃。


「……いないのか?」


ラインはぽつりと呟き、扉を見つめる。

師匠が多忙なのは知っている。賢者と称される彼女のもとには、王国中から依頼が舞い込む。

もし彼女が出かけているなら、これは少々面倒なことになる。


「どうしよう……。」


顎に手を当てて考え込んでいると、


ガチャリ


静かに扉が開く音が耳に届いた。

反射的に顔を上げるライン。そこに現れたのは、見覚えのある姿だった。


肩下まで伸びたセミロングの輝く髪。

鮮やかな青い瞳は、今の自分の燃えるような赤い瞳を補色するかのように映える。

年齢を感じさせない白い肌は、どこか神々しい雰囲気さえ漂わせていた。


師匠、ウリエル・ナァーバ・アルトリア。

ラインの記憶の中で変わらぬ姿をしたその人が、扉の向こうに立っていた。


ラインは片手に持っていた愛杖を両手で握り直すと、視線を逸らさずに一言、言葉を紡いだ。


「ライン・ナァーバ・アルトリア。ただいま帰りました、ウリエル師匠。」








ウリエルは生涯を魔法に捧げてきた。

そして、それが変わることはないと確信していた。


彼女は過去に一度、魔法使い特有の呪い——魔暴呪に襲われたことがある。

自身の中で暴れ狂う魔力が制御不能に陥り、枯渇するまで暴走を続けるその呪いは、命そのものを削り取る厄災のようなもの。


そのとき、ウリエルは禁忌の力に頼った。

聖杯との取引で暴走する魔力を代償に差し出し、その命を救ったのだ。

賭けのような取引は成功し、彼女は”真理の瞳”という力を手に入れた。

あらゆるものの本質を見通す絶大な力を持つその瞳は、ただ使うだけで激痛を伴う代物だったが、ウリエルはその代償を受け入れていた。


彼女は自分の道に誇りを持っている。

だが、弟子の死を告げる手紙を受け取ったその日、彼女の心は粉々に砕かれた。


「ラインが……死んだ……?」


魔王討伐のために編成されたパーティーなのだから、仲間が命を落とす可能性など最初から覚悟していたはずだった。

だが、実際にその知らせを受け取った瞬間、世界がひっくり返ったように感じた。


配達員に手紙を渡されると同時にその場で倒れ込み、以降二日間、彼女はほとんど動けなくなった。

心の中に渦巻く悲しみと虚無感。


そんな中、聞こえたのは扉をノックする音だった。


「……非常識な……。」


苛立ちを覚えながらも、動く気力はない。

そのまま無視しようとしたとき、不意に弟子の顔が脳裏をよぎる。


──もし、逢いに来てくれたのだとしたら?


あるはずのない奇跡を願うように、ウリエルは毛布を剥ぎ取り、扉へ向かった。


だが扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、見知らぬ可憐な少女。


自分より少し背が低く、雪のように白い髪が風に揺れる。

きめ細やかな肌は陶器のように滑らかで、長い睫毛の先には、弟子のラインと同じ燃えるような赤い瞳。


「……誰……?」


思わず呟くウリエルだったが、その瞳から目を逸らせなかった。


「まさか……。」


次の瞬間、彼女は本能的に真理の瞳を発動させていた。

激痛が走るのも構わず、瞳に映し出されたのは──。


ライン・ナァーバ・アルトリア。


真理の瞳が告げたその結果に、ウリエルは息を呑んだ。




目の前で固まったまま動かないウリエルを見て、ラインは困惑していた。


「あの……師匠?」


声をかけても返事はない。

燃えるような赤い瞳が青い瞳を見上げる形になり、視線が交差する。

ウリエルはただ目を見開き、何かを噛み締めるように立ち尽くしていた。


「おーい、戻ってきてくださーい。」


少し茶化すように、ラインは手を振りながら呼びかける。

だが、その声に反応したウリエルの動きは想像を超えていた。


「っ……師匠?」


次の瞬間、ラインの身体は力強い抱擁に包まれていた。


「ちょ、ちょっと! 苦しいです、師匠!」


叫んでもその腕は一向に緩む気配がない。

むしろさらに強く、ラインの小さな身体を引き寄せるように抱き締めてくる。


ウリエルは肩に顔を埋めたまま、小刻みに震えていた。


「師匠……?」


ラインが驚きながら覗き込むと、ウリエルの肩が濡れていることに気がついた。

震える身体から溢れる涙が、服を染めていく。


「……ただいま帰りました、師匠。」


ラインは静かに呟き、持っていた愛杖を壁に立てかけると、そっとウリエルの背中に手を回した。

柔らかい温もりが伝わる。


「俺はちゃんと生きていますよ。」


瞳を閉じて語りかけるように優しく呟く。


「だから、安心してください。」


その一言が、ウリエルの感情を完全に決壊させた。

抱擁の力がさらに強まり、彼女の震えは抑えきれないものへと変わる。


抑え込んでいた悲しみ、不安、そして喜び——全てが溢れ出していた。


ウリエルの泣き声は押し殺すように小さく、それでもどこか胸に響くものがあった。

その重みを受け止めながら、ラインは師匠の背中を優しく撫でる。


彼女の涙、それは愛弟子が生きて帰ってきたことへの、込み上げる喜びの涙。



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まず初めに、私の拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。

ゆっくりと書いていく予定です。

時々修正加えていくと思います。

誤字脱字があれば教えてください。

是非、評価の方も宜しくお願い致します。

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