第2話


「ほんとにお世話になりました。」


ラインは深く頭を下げ、宿の鍵を宿主に返した。

お辞儀とともに、雪のように白く輝く長い髪がさらりと揺れ落ちる。


「元気になってなによりだよ。ほら、これも持っていきな。」


宿主はラインよりも背が高く、女性にしては筋肉が盛り上がった身体を持つ快活なポニーテールの女性だった。

ニコリと笑いながら、彼女は何と小銭袋を差し出してきた。


「え、ちょっと待ってください。そんな、受け取れません! ただでさえ宿代も払えてないのに!」


驚いたラインは、思わず両手を振って拒否の意志を示した。

だが、宿主はその手を強引に取ると、小銭袋を押し付けるように握らせる。


「いいんだよ。あんたをここまで運んだのは私の勝手だし、あんたが餓死でもしたら、こっちの食う飯がまずくなる。」


宿主は豪快な笑みを浮かべる。


「それに、こんな別嬪さんが見られたんだから、お釣りが来るくらいだ。」


冗談めかした宿主の言葉に、ラインは顔をしかめつつも何も言い返せなかった。

感謝の気持ちが勝る一方で、申し訳なさも拭えない。


「……いつか必ず、この恩を返しに来ます。」


心の中でそう誓い、再び深くお辞儀をして宿を後にした。


太陽の光が容赦なく降り注ぐ中、ラインはフードを深く被った。

長い白髪をフードの中に収めるのに手間取りながらも歩き出す。

しばらくすると、突如として空腹感が襲ってきた。


「……そういえば、何も食ってなかったな。」


思い返してみれば、魔王討伐の前夜に食べた硬いパンと缶詰が最後の食事だった。

それ以来、何も口にしていない。


「よくここまで持ったもんだ。」


ラインは肩を竦めつつも、魔王討伐後の状況を思い返す。


記憶は途切れ途切れだった。

聖杯との取引で得た力を用い、死にかけの聖女と倒れた召喚士を転移させたことまでは覚えている。

その後、魔王に殴りかかり……そこからの記憶が全くない。


気づいた時には、戦場にはライン一人だけが倒れていた。

勇者は戦いから逃げ、王国騎士たちもいなかった。


魔力が尽きて起こる激しい倦怠感と頭痛に襲われながら、近くに落ちていた愛杖を掴んでなんとか身体を起こした。


「道中襲われなかったのは、ただ運が良かっただけだな。」


生命力を削り取って生成した僅かな魔力を使い、人里の領域まで転移で戻る。

そこから先はただひたすら歩き続けた。


街に到着したのは夜遅くだった。

倒れる寸前の身体を支えてくれたのが、あの宿主だった。


「……ありがたく使わせてもらいます。」


ラインは小銭袋を握り直し、売店が立ち並ぶ通りへと足を進める。

最初に目についた売店で林檎を買い、齧りつこうとした瞬間、深く被ったフードが邪魔をして食べにくいことに気付く。

仕方なくフードを外すと、長い白髪がさらりと揺れ落ちた。


林檎にかぶりつくと、口の中に甘味と果汁が広がる。


「林檎……うま。」


思わず声に出してしまうほどの美味しさだった。

勇者パーティー時代、一日一食どころかまともに食事を取る暇もない日々を思い返しながら、ラインは久しぶりの満足感に心が満たされていく。


「ふぅ。」


だが、心が満たされても、まだお腹は満たされない。

売店を見て回りながら、これからの行動を再確認する。


師匠が住む街までは、**加速acceleration**の魔法を用いても五日はかかる。


「……遠いな。なら転移するか?」


転移の座標は覚えているが、魔力が完全に回復していない今、そこまでの長距離転移は無謀だ。

再び倦怠感や頭痛に襲われる危険がある。


「……途中に小さな村があったはず。」


記憶を辿り、村の位置を思い出すと、そこまでの転移なら問題ないと判断する。


街外れに移動し、瞳を閉じる。

村の位置を頭の中に描き、正確な座標を特定。

その瞬間、魔術回路が全身に浮かび上がり、足元に魔法陣が描かれる。


転移teleport。」


呟くと、目の前の風景が一変した。


そこに広がっていたのは、小さな村の穏やかな風景だった。

安心の息を吐きながら通りを歩いていると、後ろから馬車の音が聞こえてきた。


道の脇に移動して歩いていると、中年の商人風の男性が声をかけてきた。


「そこのお嬢さん、ラディンに行くつもりかい?」


“お嬢さん”という言葉に一瞬違和感を覚えたが、今の自分の姿を思い出して納得する。

こくりと頷くと、商人はにっこりと笑った。


「ちょうどいい。私もその街に用事があるんだ。一緒に乗っていきなさい。」


馬車に揺られながら、今日の夕暮れには目的地に着けると聞いたとき、思わぬ幸運にラインは心が弾んだ。


快く商人に礼を伝え、馬車の荷台に乗り込む。

荷台は狭いながらも居心地がよく、馬車が走り出すと、涼やかな風がラインの頬を撫でていく。


「お嬢さんは魔法使いなのかい?」


突然かけられた声に、ラインは一瞬肩をビクリと震わせた。

振り向くと、手綱を握る商人がこちらを見て笑っている。


「ええ、まあ……そんなところです」


背中に背負った長杖とフード付きのローブを見て、そう判断したのだろう。魔法使いらしい姿だと自覚していたラインは、曖昧に頷いた。


商人は少し興味深そうな目を向けてくると、にこりと笑いながら言葉を続けた。


「なら、君も知ってるだろう? 賢人ライン様が亡くなったって話を」


その瞬間、ラインの心が冷たく締め付けられた。


――俺、死んだことになってるのか?


思わず自分の胸元に手を当てた。

確かに、今の姿は以前の自分とはまるで違う。生存を隠すには都合がいい状況だが……自分が死んだと広まっているとは思わなかった。


商人は馬車を進めながら、ラインの困惑に気づく様子もなく話を続ける。


「王都でも、大陸全土でも、ライン様の訃報は大きな話題になってる。勇者パーティーを支えた偉大な賢人が亡くなったんだからね」


「……偉大」


ラインは苦笑する。商人の言葉を額面通りに受け取るのは少し照れくさいが、それ以上に興味を引いたのは、その「偉大な賢人」に関する具体的な話だった。


「王国騎士長の報告によれば、賢人ライン様は禁忌の魔術を行使し、魔王に大きな傷を負わせたそうだ。戦局を一時的に押し戻した、なんて話もあるよ」


禁忌の魔術――その言葉に、ラインは微かに眉を寄せた。

おそらく、あの「聖杯との取引」を指しているのだろう。


「痛み分けという形で決着したらしいが、次に魔王が動き出したらどうなるか……王都は不安でいっぱいらしいよ」


商人の話を黙って聞きながら、ラインは自分がいなかった間に起きた出来事を整理する。


――なるほど、そんなことになってたのか。


この三日間、宿に籠もり、自身の状況を調べるだけで手一杯だったラインにとって、世の中の情勢はまだ手探りだった。


「それにしても、商人さん……詳しいですね」


少し警戒しながらそう尋ねると、商人はにこりと笑って答えた。


「商人は情報が命さ。コネを駆使して得られるものは何でも得る。それが仕事ってもんだよ」


その言葉には誇りすら感じられた。

――まあ、情報を集めること自体はありがたい。

商人の話から多くを知れたのは、紛れもない収穫だった。


しばらくすると、夕暮れの光が荷台を優しく照らし始めた。


「さあ、見えてきたよ。ラディンだ」


商人の言葉に促されて荷台の窓から顔を出すと、懐かしい風景が目に飛び込んでくる。


――第二の故郷。


子ども時代を過ごした街、ラディン。

街の手前で荷台から降りると、ラインは商人に深々と感謝を伝えた。


「ありがとうございます、助かりました」


「またどこかで会えたらいいね、お嬢さん」


商人が軽く手を振り、馬車は街の中へと消えていく。


ラインは久しぶりのラディンの街並みを見回しながら、師匠が住む家を目指して歩き出した。


「懐かしいな……」


目に映る景色の一つ一つが記憶を呼び覚まし、自然と歩く速度が速くなる。

胸に広がる懐かしさと期待感――それは、今のラインにとって何よりの活力だった。


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まず初めに、私の拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。

ゆっくりと書いていく予定です。

時々修正加えていくと思います。

誤字脱字があれば教えてください。

是非、評価の方も宜しくお願い致します。








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