2 麻里亜

 うわあ懐かしい、と声を上げたのは芽瑠だった。ドライブイン、というか自販機とテーブルが並んでいるだけの空間には、揚げ物の匂いや自販機で売られているうどん・そば類の匂い、染みついたカップ麺の匂いが広がっていた。


「じゃあさっそくうどん食べますか」


 龍太が機嫌よくうどんの自販機の前に行く。うどんの自販機には「故障しておりスープが薄いです」と張り紙がしてあるが、動くことは動くようだ。

 龍太のうどんが数分でできた。昴もうどんを買う。芽瑠もうどんの自販機に硬貨を投入した。割り箸をペキっと割って、3人でうどんをずるずるする。


「アハハハ。本当にめっちゃ味薄いね」


 芽瑠が笑った。龍太と昴もつられて笑う。昴がやけに急いで食べるので龍太がどうしたのか、と尋ねると、「車んなかのヨハンが心配なんだ」とのことであった。


 ドライブインの隅っこには、若い女の子がいる。顔が青い。なにやらスマホを見て絶望したような顔をしている。


(あの子どうしたんだろ)


 芽瑠が小声で2人に尋ねる。


(ただのヤンキーだろ)


(高校生くらいに見えるけどもう高校生は帰って寝る時間だよな)


(でもあの子お腹大っきいよ)


「えっ!?」


 昴が大声でそう言う。芽瑠は頷いた。


(産婦人科に10年通ってた人間が言うから間違いない。あの子お腹大っきい。臨月だと思う)


(な、なんでそんな子がこんなところに)


(知らないよ……)


 芽瑠がちらりと女の子を見た。直後、女の子はお腹を抑えて苦しそうな、もっと言えば痛そうな表情をした。


(もしかして産気づいてるのか!?)


(産気づいてるっていうか……妊婦がお腹痛いってなったら産気づいてなくてもまずいよ。早くお医者に連れて行かなきゃ)


 3人はうどんの容器と割り箸をゴミ箱にぞんざいに突っ込み、女の子に駆け寄った。


「大丈夫!?」


「いい……いい。1人で産もうと思ってここにいるから……」


「だめだよ、逆子だったらどうするんだ!? 股から赤ん坊の脚が飛び出た仏さんになっちまうぞ!?」


 昴がどこで得た情報なのか恐ろしいことを言う。女の子は苦しげな顔をしながら、大丈夫だから、と3人を追い払おうとした。


「だいじょばない! こんな寒い夜に、一人ぼっちで赤ちゃん産んだら死んじゃうよ! 赤ちゃんもあなたも! 母子手帳とかはあるの!?」


「一回も医者なんか行ってない……う……」


「龍太、車のエンジンかけて。昴は近くの病院検索して。あたしはこの子説得するから」


「おう」


「了解」


「彼氏は知ってるの?」


「何度もメッセージしたけど既読つかない」


「お家のひとは?」


「ママ、忙しいから……」


 どうやら親に言えないまま、ずるずる時間が経って、中絶のできない時期になってしまったらしい。

 いま、この女の子が頼れるのはおそらく自分たちだけだろうな、と3人とも思った。


「エンジンかけて暖気してるぞ」


「峠を越えたところに24時間の産婦人科がある!」


「よっしゃ! この子運ぶよ! 立てる!?」


「いい、いらない」


「いらなくない! あなたはその子と一緒に、幸せに生きなきゃいけない! これは赤ん坊を授からないままおばさんになったおばさんからのお願い!!」


「……え?」


「なんで彼氏に逃げられたのか、親御さんに言えなかったのか、そういうことを責める気はないの。ただ、あなたと赤ちゃんには幸せに生きてもらいたい! それだけなの!」


 芽瑠は、涙目になっていた。


「だから、こんなところで命を危険に晒さないで。お願いだから、ちゃんとお医者さんとか助産師さんに見てもらって、ちゃんと元気な赤ちゃんを産んであげて」


「……わかった。……う……ママに連絡する……」


 女の子はメッセージアプリを開こうとした。龍太がさっとスマホをとり、電話帳を開いて「ママ」という項目をタップし電話をかける。


「もしもし? あの、私たち……」


「麻里亜」


「麻里亜さんを峠のドライブインで見つけまして、麻里亜さん産気づいてるみたいなんですよね。え、ご存知なかった。とにかくこれから峠を越えたところの馬場レディースクリニックまで運びますんで。はい。はい。いいえ、そんな、名乗るようなものじゃないですし、いまは急がないと」


 電話が切れたようだ。


 女の子、麻里亜という名の女の子の肩をささえて、龍太の車に載せる。龍太の車の中ではヨハンが鼻をぴいぴい鳴らしていて、知らない女の子の登場に(まあそもそもヨハンにとっては龍太も芽瑠も知らない人なのだが)しっぽを振った。


「大丈夫だよ。まだ間隔は狭くなってない。まだ生まれない。大丈夫」


 一応妻の出産に立ち会ったことのある龍太がそう言って麻里亜を励ます。


「……ワンちゃん、かわいい」


「ヨハンって言うんだ。すごくいい子だよ。噛んだりしないから撫でてごらん」


 昴がそう言うと、麻里亜はヨハンの頭に手を伸ばした。ヨハンは嬉しそうにしっぽを振っている。

 その横で芽瑠が馬場レディースクリニックとやらに電話をかけた。母子手帳もなければ検診も受けていない麻里亜を診てくれるのか、ここにいる大人全員全く自信がなかったが、仮眠をとっていたらしい看護師さんが「お任せください!」とでっかい声の強い口調で言ってくれたのが、スマホから音漏れして車内に響いた。(つづく)

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