第4話

第4章:触れられた余韻


静香はソファに腰を下ろし、脚を組んでワイングラスを揺らした。

雨音が窓を叩くなか、室内の静寂がやけに際立つ。


「……本当に、触れなかったのね。」


静香が小さく笑う。

椎名はカウンターに寄りかかり、静香の横顔を見つめたまま肩をすくめる。


「触れたいと思わなかったわけじゃないですよ。」

「でしょうね。」

「でも、あなたは触れられることを期待してなかったように見えた。」


グラスを置いた静香が、指で脚の膝上を軽くなぞる。

夜のしじまの中で、その動きだけがやけに艶かしい。


「触れられるのが嫌いなわけじゃないわ。ただ……優しさを試すことが怖いの。」


椎名は静香の言葉を飲み込むように、一度目を伏せた。

彼女の言葉は一見軽やかだが、その裏に張り詰めた何かがあることを感じ取っていた。


「試されてたんですか?」


「そうかもしれない。」


静香がカウンターに身を預け、椎名との距離を縮める。

互いの影が重なり合い、肌が触れるか触れないかの絶妙な距離感が漂う。


「でもね、私は触れられることで、全部が壊れてしまう気がするの。」


静香の瞳が揺れる。

その目は、触れ合いを拒むわけでも、受け入れるわけでもない曖昧な感情の色を帯びていた。


椎名は静香の目をじっと見つめたまま、静かに口を開く。


「壊れることが、必ずしも悪いわけじゃないですよ。」


静香は、少しだけ驚いた表情を見せた。


「あなた、強引な人ね。」


「強引に見えます?」


「ええ。でも……それが嫌じゃないのが不思議。」


静香は再びワイングラスに手を伸ばしたが、椎名がそっとグラスの縁を指で押さえた。

彼女の手は宙で止まる。


「今夜は、もう飲まない方がいい。」


椎名の指先が、静香の手を包み込む。


その瞬間、静香は目を伏せたまま、小さく息を吐く。

彼女の指がわずかに震えた。


「触れるだけなら……許すわ。」


指先が絡むだけで、夜の静けさが艶やかに変わる。

それは、ひどくゆっくりとした官能の始まりだった。


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