決意
「ふーむ」
パチパチと枯れ枝の爆ぜる音に混じって、クリスが軽く唸る。
そこへ、レオノティスが周囲の偵察を終えて戻ってきた。
「どうやら追手はいないみたいだ。ここで休んでも大丈夫だと思う」
「そうか」
「具合はどうだ?」
レオノティスは若草のベッドへ腰を下ろし、横たわるドラセナへ目をやる。
「体力・竜脈ともに著しく消耗している。《幻翼飛躍》と《竜脈術》の連用に加え、昨夜ほぼ徹夜したことがこたえているようだ」
夜の帳はすっかり下り、焚火の暖色だけがドラセナの頬を柔らかく照らす。生気は幾分戻ってきたが、時折苦しそうに眉根を寄せる様子が痛々しい。
「……ほとんど俺が原因か。ほんとに、負担かけてばっかりだな」
ため息交じりに呟き、枝葉の隙間から夜空を仰ぐ。
「《竜師》の自己治癒力なら、一晩ゆっくり休めば動ける程度には回復するだろう。それに彼女はサイノスの《竜師》であり、一連の行動はサイノスの竜樹を守るためでもあった。君だけが気に病むことでもないさ」
クリスも同じようにして空を見上げる。
一行は辛くも竜神圏まで逃げ切り、サイノスの竜樹を囲むように広がる森林地帯の中で野営をすることにした。
この森には竜樹を守るための結界があるらしいので、レヴィンが刺客を差し向けてもおいそれとは侵入できないはずだ。
ちなみにレオノティスたちはドラセナを連れていたため、結界に阻まれることなく入ることができた。
「にしても、私もこの年で徹夜は少々こたえるな……」
そんなことを言って、クリスは年寄り臭く肩を回す。
「徹夜はともかく、そんな言うほど年でもないだろ」
軽く笑うと、クリスの顔が不穏な暗黒微笑をたたえる。
「この際言っておくが、私は君やドラセナよりずっと年上だからな?」
「うぇ……!?」
言われて、レオノティスは改めてクリスの全身を観察してみる……が、やはりどう見ても年上とは思えない。アイビーよりやや年下、百歩譲っても同い年くらいだろう。だがそこまで考えて、レオノティスははたと気が付く。
(そういやクリスとはアイビーと同じくらい長い付き合いだけど、見た目は出会った頃とほとんど変わってねえな……)
「私の年齢は置いておくとして、ドラセナは最も若い《竜師》だ。様々な術を修めて行使することはできても、まだ心身が追い付かないのだろう。……だが、それでも竜樹を守らねばならない。あれが枯れてしまえば、取り返しのつかないことになってしまうからな」
クリスの言葉に、レオノティスは「うーん」と首をひねる。
「そこが分からねえんだよなあ。取り返しのつかないことになるのはリルムリットだって同じだろ? それじゃあ自分で自分の首を絞めてるようなもんじゃねえか」
マナは全ての生あるものにとって必要不可欠なもの。例えるなら空気や水と同じようなものであり、人間族とて例外ではない。そうでなければ、マナを吸われるだけの流行り病がここまで猛威を振るうこともなかった。
「考え方としてはその通りだ。けれどもリルムリット王国は全て承知の上で、セルフィール帝国にマナを譲渡しているのさ。流行り病の研究推進と、人質の身の安全のためにな」
「人質……ああ、イルミナのことか」
イルミナ・リルムフェーテ――現女王アイリスの、双子の妹。わずか四歳にしてセルフィール帝国に身柄を引き渡された、悲運のプリンセスだ。
当時のリルムリット王国は流行り病の蔓延に加え、二十年も続いていた竜樹戦争により疲弊し切っていた。そこで先代の女王アリシアは、セルフィール帝国と竜神圏に対して和睦を提案。誠意の証として、実子・イルミナをセルフィール帝国へ差し出したのだ。
(イルミナはアイリスと同い年だから、いま十三歳か)
一傭兵のレオノティスはお目にかかったこともないが、アイリスは絶世の美姫と名高い。であれば双子のイルミナも、今頃は美しく成長しているのだろう。
「セルフィール帝国は流行り病の克服と王女イルミナをエサに、リルムリット王国と竜神圏の共倒れを狙っている。そしてこの戦略を主導しているのがレヴィンだ」
「レヴィンって……さっきの連中をけしかけてきた奴だよな。一体何者なんだ?」
「セルフィール帝国のマナ技術主席研究員さ。先ほどの追撃部隊もそうだが、奴は帝国で生み出した魔物を運用してリルムリット王国へ恩を売り、強い発言力を得ている。以前サイノスの竜樹を守っていた《竜師》も奴にやられ、急遽ドラセナが後任についたんだ。でなければ、竜神圏の中枢もこんな少女一人に竜樹の守護という大事を押し付けまい」
「そんな経緯があったんだな……」
クリスの言説を聞きつつ、レオノティスはまだあどけないドラセナの寝顔を瞼に映す。
「ドラセナって今いくつなんだ?」
外見的には同年代といったところ。
しかし竜人族は人間族よりもやや長寿と言われている。その中でも肉体の半分が竜脈でできている《竜師》は抜きん出て長命であり、外見から実年齢を推定するのは困難とされる。
「確か十七だったかな?」
「俺と一個しか変わらねえのか……」
そんな子が、自分には想像もつかないほど大きなものを背負っているのか。
「彼女が《幻翼飛躍》や《昂翼海化》を習得したのは、サイノスへ着任するよりも前。弱冠十一歳の時というのだから、紛れもない天才さ。だが、同時に哀しい子だ」
「哀しい、って?」
優秀なのに越したことはないだろう、とレオノティスは疑義を挟む。が、クリスの真意はそれとは全く別のところにあった。
「彼女が幼かった頃。前任のサイノスの《竜師》がレヴィンに敗れたことで、竜神圏は大混乱に陥った。竜神や他の《竜師》は戦線の維持とマナや竜脈の調律に手一杯だったから、ドラセナの教育は保守派が行ったと考えるのが自然だ」
(確かに、ドラセナも竜神じゃなくて教育係に色々教えられたって言ってたっけ……)
「自らの保身が第一の連中だ。幼い《竜師》を最高の戦力に育て、手駒にしようと思っていたんだろう。だが十一歳で《竜脈術》を二つも修めさせたということは、想像を絶する負担をかけたはず。はっきり言って、今ここまで情緒が安定しているのは奇跡だと思うよ」
――そしたらいっつも無表情の、ひねくれた子供になっちゃって
からからと笑いながら言うドラセナの顔が浮かび、自然とレオノティスの拳に力が入る。
「……ドラセナ!?」
何も言えずに寝顔を見つめていると、一筋の涙がドラセナの透き通るような白い肌を伝った。
「起こすな。深く眠っていることで、抑圧していた感情が顕在化してしまったのだろう」
つい身を乗り出すレオノティスを、クリスがそっと制する。
「見たところ、彼女は君に絶大な信頼を寄せているようだ。そんな相手が記憶を失ってしまい、竜樹の危機も解決の糸口さえ掴めぬまま。なのに君の前では常に平静を装い、少しでも不安を除こうとしていた。その心労は、察するに余りある」
「……そう、だな」
今思えば、故郷を案内した時もドラセナはずっと元気にはしゃいでいた。元気過ぎるくらいに。
あれも気を遣って、明るい雰囲気にしようとしていたのか……?
「《氷の竜師》がこれほどまでに一人の人間族を想い慕っていると知ったら、リルムリット王国やセルフィール帝国の者はさぞ驚くだろうな」
クリスは跡が残らぬよう涙をハンカチで優しく拭き、吐息交じりに零す。
「…………」
レオノティスは考える。
自分はこの子に何ができるのか。何を返せるのか。
ドラセナの願いは竜樹を守ること。そのためには、エルギスとの再戦は避けられない。
脳裏に蘇るのは、ドラセナの《竜脈術》。白銀の羽根が空を満たし、百もの魔物たちを瞬時に撃墜していく様は圧巻の一言だった。
エルギスもあれと同等かそれ以上の力を持つとしたら、《精霊術》だけで対抗などできるはずがない。実際、過去の自分は完膚なきまでに叩き潰されたと聞く。
(俺にも、《竜脈術》が使えたら……)
人間族が《竜脈術師》を志すなど、馬鹿げていると哂うものもいるだろう。
確かに前例はない。
《竜脈術》といえば、竜神と《竜師》の専売特許。唯一の例外はエルギスだが、彼とて半分は竜人族の血を引いているのだ。
(いや……できるかどうかじゃねえ。ここまで借りを作っといて、何も返さねえなんてわけにいくかよ)
《竜脈術》を覚えたい――いま初めて抱いたはずの願いは、一度意識すると際限なく膨らんでいく。まるで、ずっと昔から胸中に秘めていたもののように。
レオノティスは雄大にそびえる竜樹を仰いだ。
頭の中がざわつくような、不思議な感覚。それは以前あの大樹を見た時の記憶が、小石を投じられた水面のように波立っているからかもしれない。
「待ってろ……俺も、《竜脈術師》になってやる」
呟かれた言葉にクリスは目を見開いたが、すぐに艶笑を浮かべる。
「純粋な人間族の《竜脈術師》というのも実に興味深い。念願が叶ったあかつきには、色々と調べさせてほしいものだな」
「了解。ただし、急ぎの用事を済ませたらな」
それが彼女なりの激励だと分かっているからこそ、レオノティスも茶化さずに応じる。
ドラセナの涙は、いつの間にか止まっていた。
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