《竜脈術》
アイビーを探しに竜神圏へ向かうことにしたレオノティス一行は、リルムリット王国と竜神圏の国境沿いに横たわる「竜の背骨」と呼ばれる山脈を登っていた。
国境を越えるには比較的平坦な街道ルートもあるのだが……現状両国は断交状態のため、検問所は封鎖されている。
それに山脈といってもそこまで峻険ではなく、マナの祝福を受けた者なら二日ほどでサイノス地方まで辿り着ける道程だ。
草木の少ない、ごつごつとした山肌が露出した山道。同じような景色を延々と見ているうち、レオノティスは既視感が膨れ上がっていくのを感じていた。
峠へ到達した時、それは確信に変わる。
「……俺、アイビーを背負ってここを通った」
一帯を見下ろし、レオノティスは独り言のように零した。
「あいつ軽かったから、背負って登っても何ともなかったな。歩きながら、仕事で離れてた間にあったことを教え合って……」
互いに話したいことがあり過ぎて、口で会話するのがもどかしいくらいだった。
それまで想像すらしていなかった、二人の別れ。ともすればそれが近い将来に訪れるのかもしれないと思うと、一分一秒さえ惜しく感じた。
「医者の言う通り、アイビーの体調はあれからすぐに持ち直した。ここに来た時は流行り病にかかってるなんて信じられないくらい元気でさ。村より寒いとか、雲が近いとか、他愛もないことで素直に感動して。……けど、たまに急に黙り込むことがあった。多分、調子が悪くなってたのを俺に悟らせないように耐えてたんだと思う」
けれど、そんなことは背負っていたらバレバレだ。
「そのたびに俺はありったけのマナをあいつに渡した。それを繰り返してたらあいつは段々元気になっていったんだけど、今度は俺がマナ欠乏でフラフラになっちまってさ」
『だ、大丈夫?』『こんなの屁でもねえよ。人の心配より、自分のこと考えてろ』
こんなやり取りを、サイノスへ着くまでに何度やったことか。
「頑張ったんだね。アイビーも……レオも」
ドラセナがぽんと背中に手を添える。手のひらから伝わる温もりが、不思議と満たされる気持ちにしてくれる。アイビーを背負っていた時と同じように。
「もう少し話を聞きたいところだが……客のお出ましだな」
クリスの低い声に、レオノティスの意識が現実へ引き戻される。
「りゅ、竜!?」
気配のする方――来た道を振り返ると、飛竜のような生物が十数体ほどの編隊を組んで飛来してくるのが見えた。竜の背には重装の騎士が乗り、片手に槍、もう片手に手綱を持って三人を見下ろしている。
「竜神圏の連中か⁉」
「誇り高い竜族が、そうやすやすと人間族を背に乗せるものか。あれはただの魔物だ」
クリスは注意深く敵の姿を観察すると、なるほどと得心がいったように呟いた。
「騎乗している連中は、セルフィール帝国軍の制式装備だ。大方、リルムリット王国に出向している帝国のマナ技術主席研究員・レヴィンの兵だろう。それなら魔物を編成していることにも説明がつく」
「なんだって帝国の回しもんが、俺たちに追手を差し向けてくるんだ?」
「リルムリット王国はセルフィール帝国の同盟国だから――というのが建前で、本音は《竜師》であるドラセナが欲しくて国境で待ち伏せしていたのだろう。奴は帝国でも悪名高いマッドサイエンティストだからな。もし捕まってしまえば、死よりも辛い人体実験が待っているだろうさ」
レオノティスの疑問に、クリスが反吐の出そうな顔で答える。
「全員生け捕りにする! 特に《竜師》は必要以上に傷付けるな!」
クリスの予想を裏付けるセリフを吐きつつ、竜騎兵の一人がレオノティスめがけて槍を振るう。が、対するレオノティスは《神託の剣》を発動し、上空から降ってくる槍を一振りで叩き折った。
「……っ」
ドラセナには手厚く看護してもらった恩義がある。だがその分さえ返してしまえば、後は出会ったばかりの者がどうなろうと知ったことじゃない。
今までも、ずっとそうして生きてきた。
なのに――どうしてドラセナが捕らえられた時のことを想像するだけで、剣を握る手がこんなにも憤懣やる方なく戦慄く?
「いま退けば全員見逃してやる。……だけど、もう一度向かってきたら次は容赦しねえ」
自身のあずかり知らぬところから湧き起こる激情を必死に抑え付け、レオノティスはぎょっと見開かれた竜騎兵の三白眼へ静かに問う。兵たちは一瞬顔を見合わせるも、
「ガキが、たった一回のまぐれで図に乗るなよ!」
三人から最も距離をとっていた兵が合図すると、魔物たちがレオノティスへ照準を合わせて一斉にブレスを吐き出した。
全方位から襲い来る、マナを孕んだ火炎の吐息。それをレオノティスはやはり避けるでもなく、
「馬鹿野郎が……!」
剣を轟と払ってあっさり掻き消してしまう。回避することもできたが、力の差を見せ付けるためにあえて受けたのだ。
レオノティスは一番近くにいた飛竜の
「くっ……作戦変更だ! この先の橋を落とし、後続が来るまでの時間を稼ぐ!」
ようやく不利を悟ったのか。相変わらず最も安全な位置にいる騎兵が指示を飛ばし、魔物たちがレオノティスらの上を通過していく。
「やべえ、橋を落とされたら相当遠回りしなきゃいけなくなるぞ!」
「しかもさっきの口ぶりでは敵の応援も迫っているとみえる。さて、どうしたものかな」
あの機動力で散開されてしまうと、一体も逃がさずに倒し切るのは至難の業だ。かといって敵の援軍の規模がはっきりしない以上、正面切って戦うのも得策ではない。
「私がやるわ」
ドラセナの紅玉のような瞳が神秘的に輝いた。
得体の知れない存在感と威圧感に、レオノティスは身震いを抑えられなかった。
ドラセナの翼から銀の羽根が舞い上がり、吹雪のように天を満たす。
途方もない力の奔流でありながら、脳へ焼き付けられるほどに美しい。
いつまでも見ていたくなる。まさに圧巻にして壮麗な光景は、しかしものの数秒で掻き消えてしまった。
羽根の海が虚空にほどけ視界が晴れた時には、竜騎兵たちは一騎も残さず地面につくばっていた。
「これが音に聞く《昂翼海化》、か」
「すげえ……」
あれだけの広範囲をカバーしながら、レヴィンの魔物たちを一撃で仕留める威力を維持する。これまで目にしてきたどの《精霊術》をもってしても不可能であろう難事を、こんな少女がたった一人で為してしまったというのか。
「っく……」
翼を畳んだ細身のシルエットが、ぐらりとよろめく。レオノティスが支えると、ドラセナはそのまま力なく体重を預けてくる。
「レオノティス、そのまま彼女をおぶってやれ。山の斜面を一気に下って、敵の増援が来る前に橋を渡り切るぞ」
「了解! ドラセナ、ちょっと辛抱してろよ」
レオノティスはドラセナを背負うと、斜面を滑り降りるように降下した。すぐ後からクリスが続く。
「ごめんなさい、迷惑かけて……」
「何言ってんだ。ドラセナがいなかったらとっくに橋を落とされてたところだ。こっちこそ無理させてごめんな」
ドラセナは無言で首を横に振った。長い髪が腕をくすぐり、気絶しそうなほど良い香りがふわりと鼻腔を満たす。
しかしそんな感想も、首筋に感じる彼女の荒い呼吸で吹き飛ばされる。
早く休ませないと――レオノティスは一段とギアを上げて一気に斜面を下り切り、吊り橋まで目と鼻の先というところまできた。
あの橋を渡った先は、もう竜神圏だ。
しかしそこでまたも風切り音が迫ってきた。先ほどと同種の魔物群か。
前の連中が言っていた応援だろうが、今度は百体ほどとかなりの規模だ。
「ギリギリ間に合わなさそうだな……」
クリスが歯噛みする。単純なスピード勝負なら、逃げ切れるかどうか微妙な線だが……敵にはブレス攻撃がある。あんなものを受けたら、木製の橋などひとたまりもないだろう。
こうしている間も気配は近くなり、追い立てるかのような鳴き声が耳朶を打つ。
「橋は、落とさせない……っ」
ぞくりとした感覚とともに、背の質量が増したような気がした。ドラセナがまたも《竜脈術》を発動したのだと理解したのは、その直後。魔物や人の叫喚に振り返ると、百もの魔物群が吸い寄せられるように地へ落ちていくのが見えた。
「はぁ、はぁ……っくぅ」
息を荒げていたドラセナが脱力し、背にかかる重みが増す。
「ドラセナ……? おい、大丈夫か!?」
呼びかけるも返事はなく、ただ熱い吐息と早鐘のような鼓動だけが届く。先ほどまで振り落とされまいと力を込められていた腕は、人形のようにぷらぷらと力なく揺れている。
「竜脈の使い過ぎだな……この状況で他の隊に嗅ぎ付けられたら終わりだ。今はとにかく走れ!」
「あ、ああ!」
レオノティスはドラセナを落とすまいとしっかり支え直し、地を蹴る足にマナを込めた。
吊り橋の遥か向こう。わずかに望むサイノスの竜樹が、手招きでもしているかのように長い枝葉を揺らしていた。
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