追憶――流行り病
鬱蒼とした山林の中を、レオノティスは獣のように駆けていく。
アイビーに伝えていた帰宅予定日を既に一週間も過ぎており、街道を歩くなんて悠長なことはしていられなかった。
竜人族たちは
特に傭兵などという所在がコロコロ変わる仕事をしているなら、なおさらだ。
アイビーと暮らし始めて、ニ年ほどが経っていた。レオノティスは相変わらず傭兵稼業を続けており、家のことは彼女に一任している。
アイビーは出会った頃の面影を残しながら、どんどん美人になっている。ただあまえんぼうでくっつくのが大好きなのは変わらず、レオノティスの心臓への負担は年々深刻になっていく。
もっともそれで二人が恋仲だと勘違いしている者も多く、悪い虫がつくのを防げるメリットもあるのだが。
(心配してるだろうな……あいつ)
なにせ予定より一日遅れただけでも、帰って顔を見せた途端に飛び付いてくるくらいだ。
彼女とてマナの祝福を受けているし、才能もかなりのもの。そこいらの野盗に襲われたところで、簡単に返り討ちにするだけの力がある。
とはいえそれは戦闘能力のみの話であって、精神面は年相応。村長夫婦が見てくれているとはいえ、一人きりというのは心細さもあるだろう。
(まあでも、土産話を聞けばあいつもきっと喜んでくれるよな)
うんうんとレオノティスは半ば自分へ言い聞かせる。
今回の任務はリルムリット王国軍と傭兵ギルドの共同作戦で、大規模な盗賊団のアジトを強襲するというものだった。本来王国軍が傭兵の手を借りることはないのだが、蛇の道は蛇。敵を一網打尽にするため、裏の世界に顔の利く傭兵たちへ白羽の矢が立ったのだ。
傭兵たちにとっても、厄介者である盗賊団を潰せる上に正規軍へ恩も売れる。しかも自分たちは悪名高い盗賊団とは違うのだと内外に示すこともでき、まさに一石三鳥の案だった。
レオノティスは最前線で剣を振るいつつ、マナの共有化により味方の支援もして八面六臂の活躍だった。
その姿が、総指揮を執っていた王国軍軍師・エルギスの目に留まったのだ。
『まさか、このような能力を持つ者と出会えるとは。これも何かの縁というものか』
彼はそう言ってマナの使い方を伝授してくれた上、自身が率いる女王直属護衛部隊への推薦状も書いてくれた。
女王直属護衛といえば、リルムリット王国軍でも最強との呼び声高い精鋭部隊。当然給金も高いし、傭兵稼業と比べれば安全度も多少は高いだろう。
アイビーは特に怪我の心配をしていたから、きっと喜んでくれるに違いない。
せっかく村での暮らしにも慣れたところだが、あの性格なら王都にもすぐ馴染めるだろう。
『よ、っと』
駆ける勢いそのままに、村の外周を囲う木製の柵を軽く飛び越える。が、着地したところでレオノティスは異変に気付いた。
やっと着いた我が家の前に、何やら人だかりができているのだ。村人たちはやや距離を置き、遠巻きに家の中を窺っている。
『おーい、人ん家の前で何やってんだ?』
『レオ、やっと帰ってきたのか! アイビーちゃんが大変なんだよ!』
『……!?』
アイビーが大変と聞いて、反射的に身体が動いた。人波を掻き分け、ドアを力任せにこじ開け中へ入る。
『こら、人を入れるなと言っているだろう! ……と、レオノティスだったか』
家の中へ入ると、怒声を飛ばしてきた長と中年の男の医者が何やら玄関口で立ち尽くしていた。ベッドからは、見間違えようのないアイビーの金髪が覗いている。
レオノティスは長の声も意に介さず、二人を押しのけベッドに横たわるアイビーと再会した。
『レオ……よかった、ちゃんと帰ってきてくれて。心配、したんだからね……?』
『す、すまん。それより一体どうしたんだ?』
呼吸は荒く、額には玉のような汗。枕や布団には血の痕が生々しく残っており、ただ事でないのは明らかだった。
『結論から言うと、流行り病にかかってしまったようです』
隣へやってきた医者の答えに、レオノティスは全身が粟立つのを感じた。
流行り病――この悪魔は妹だけでは飽き足らず、アイビーまで奪おうというのか?
『お前が仕事で村を離れた直後に発症したようだ。医者に診せようにも、ちょうどクリス殿も不在でな……』
クリスはレオノティスとともに作戦に参加していた。恐らく今も現地に残り、救護活動を行っているはずだ。
『代わりにこの方に来てもらった時には、既にかなり進行してしまっていたんだ』
レオノティスが頭を下げると、医者は人好きのする顔で挨拶を返す。
『留守中、世話になった。それでアイビーの身体はどうなんだ?』
『まずは落ち着いてください。一目見て驚いたかもしれませんが、今は特別酷くてね。この波が収まればある程度は持ち直すだろうし、少なくとも一週間や二週間でどうこうという話ではない。常人ではそうもいかないが、彼女はマナの祝福を受けていますから』
『そう、か……』
とりあえずはホッとするレオノティスだが、医者は釘を刺すように続ける。
『逆の言い方をすると、一年後も無事であるという保証はできない。それはこの時点ではっきり伝えておきます。誰よりも君たち二人のために』
『治す方法は……アイビーを助ける方法はないのか?』
レオノティスはつい頭へ血が上り、医者の肩を掴んだ。
『初期段階なら、集中的にマナ治療を行うことで快方へ向かうこともあります。ですがここまで侵されてしまうと、進行を遅らせるのが限界かと……』
マナ治療とは、早い話が治癒術を長時間かけ続ける療法だ。発見された当初は画期的と言われたが……残念ながら医者の言う通り、中期~末期の患者にはあまり効果がないというのが一般的な見解だ。
返ってくるのは、分かり切っていた事実。それでも受け入れることができず、レオノティスは必死に考えを巡らせる。
『……そうだ! 俺の力でマナを共有化すれば何とかならないか!?』
『マ、マナを共有化……? なんと稀有な能力だ』
医者はもしかしたらと吟味するも、すぐに顔を暗くする。
『残念ながら、マナ治療と同程度かそれ以下の効果しか望めないでしょう。マナを供給して一時的に体力を回復させることはできても、また病に吸収されてしまえば元の木阿弥。根本的な治療にはならないかと』
『そんな……』
思い付いた案も即座に潰え、レオノティスの手が医者の肩から力なくずり落ちていく。
『さらによくない情報だが……アイビーはマナの祝福を受けている上、マナの質・量も極めて優秀だ。すると上質なマナを多量に吸い続けた流行り病は、その毒性や感染力を強めるらしいのだ。それこそ、一つの村落を消滅させてしまいかねないほどにな』
『実は研究者の間ではよく知られていることなのですが、流行り病の致死率は元々高かったわけではなく、ここ十数年ほどの間に急上昇しているんです。その原因の一つが、彼女のような感染者によって流行り病の毒性が強まっているからではと……』
医者に続く形で、長が一歩前に出る。
『その見解を踏まえて、お前たちに頼む。どうか、この村を出て行ってはもらえまいか?』
深い皺をさらに深くして、事実上の追放を勧告してくる。目の前にいる長は、これまで何かと手を焼いてくれた人と同一人物なのか? そう疑いたくなるほど、冷厳に。
『な、なに言ってんだよ……こんな状態のアイビーを連れて出てけって!? 冗談はやめてくれっ!!』
突然の出来事に加えてあまりに一方的な要求に、思わずレオノティスは声を荒げる。しかし長も引く気はないと言わんばかりに淡々と切り返す。
「村を守り続けてくれたアイギスフレシェの者に、こんなことを言いたくはない。気の毒だと思うし、救いたいとも思う。……しかし私には、アイビーを救ってやるような力などない。できることといえば、せめて長としてこの村を守ることだけだ』
『……っ!』
長の顔を直視することができなかったせいで、レオノティスは気付いてしまった。彼の握る手が、小刻みに震えていることに。
長もまた断腸の思いなのだ。
無理もない。彼とてアイビーを孫娘のように可愛がってくれていたのだから。
不意に、アイビーがレオノティスの裾を引っ張った。
『私なら平気だから。他の人へうつっちゃう前にお別れしないと。レオとも……』
『アイビー』
レオノティスはアイビーの手をそっと握り、汗で額に張り付いた髪を優しく払う。
『俺は、何があってもお前と一緒だ。二度とそんなこと言うな』
『でも、それじゃレオまで……』
『俺の頑丈さはお前もよく知ってるだろ? それに、俺のマナを渡せばお前も少しは楽になるだろうし』
理屈は分からないが、マナの共有化は結び付きの強い相手ほど多くのマナをやり取りできるらしい。アイビー相手なら、他人と比べて何倍ものマナを渡すことができる。
試しにマナを共有化して注げるだけ注いでみると、アイビーは心地よさそうに目を細めた。荒かった呼吸も少しだけ落ち着きを見せる。
『ああ……うん、楽になってく気がする』
『よかった。そういやこの力って、お前と出会ってから使えるようになったんだよな』
レオノティスは自身の手のひらを見つめ、
『案外、お前がくれたのかもしれないな』
『あはは。私、そんな力ないよ~……』
アイビーが力なく笑う。いつもの元気に溢れた状態とは似ても似つかぬ笑顔に、レオノティスの心が軋む。
『うーん、さすがに違うか。でもこうして役に立つなら、遠慮なく使わせてもらうさ。この力があれば、少なくとも病気の進行を遅らせるくらいはできる』
それでも病人のアイビーが気丈に笑っているのだから、とレオノティスも努めて明るく振る舞う。
『ね、レオ……二人でどこ行こっか?』
『そうだな。お前の行きたいところだったら、どこでも』
『え~……それじゃ多過ぎて選べないよ』
『なら行きたいところから順に回ってくか。時間は……きっとあるさ』
話しているうちに、アイビーの体調も徐々に持ち直してきたような気がする。ただそれだけでレオノティスは涙腺が緩んでしまい、涙をぐっとこらえる。
『……レオノティス。雲を掴むような話だが、聞いてくれ』
アイビーの様子を観察していた長が、唐突に話を振ってきた。
『《竜脈術》なる秘術を知っているか?』
『ああ。確かマナじゃなくて竜脈を使う、珍しい術だろ』
《竜脈術》は非常に強力であり、それを駆使する《竜脈術師》の力は《精霊術師》と一線を画すという。
エルギスが、人間界最強と呼ばれる所以でもある。
『流行り病にマナが効くということは、それを凝縮させてできた竜脈ならより高い効果が得られるかもしれん』
『そうか……《竜脈術》で治療すれば、流行り病にも効くかも!』
レオノティスの言葉に長は頷く。
『しかも竜神圏はマナも竜脈も肥沃だから、そこにいるだけで流行り病をある程度抑え込める可能性もある。ただ現在竜神圏とリルムリット王国の関係はかなり冷え込んでいるから、人間族が突然訪れたところで歓迎してくれるかどうか……。しかもここから一番近いところにいる《竜師》は、感情のない《氷の竜師》とも言われているドラセナだ』
『《氷の竜師》、ね』
その名はレオノティスも耳にしたことがある。ただ一方で、それとは対照的な噂も立っているのだが……。
長は皺の寄った顔で続ける。
『もちろん《竜脈術》でさえ病を治せないということも十分あり得る。そうでなくても《竜師》を訪ねるには国境越えの長い道程を越えねばならんし、慣れない環境での生活は弱ったアイビーの心身に大きなダメージを与えてしまいかねない。だがそれでも、私はお前たちが旅立つことを望む。……すまない』
深々と頭を垂れる長を制し、レオノティスは言葉も交わさずアイビーと頷き合った。
長の意見はどれも正論だ。
《竜脈術》ならばアイビーを助けられるかもしれない。けれど、その確率は決して高くは……いや、正直に言ってしまえばかなり低いだろう。
もしそれで本当に治せるのなら、とっくにその方法が確立されているはずだからだ。
今でこそリルムリット王国と竜神圏は対立しているが、昔は同盟関係にあったのだ。マナが効くなら竜脈で――こんな単純なことを、先人たちが思い付かなかったはずがない。
つまり、竜脈でもどうしようもないと考えるのが自然なのだ。
それでも。
延命でいたずらに苦しみ、緩慢な死を迎えるよりも。一パーセントでも希望があるならば、そこに賭けよう。
『絶対に治してやるからな。アイビー』
レオノティスは少し痩せてしまったアイビーの手を取り、自らの体温を分けるように両手で包み込んだ。
アイビーは何も言わず、ただ儚げに笑った。
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