マナ共有化能力

「ん、ぅ……」

 レオノティスは顔を歪ませ、薄目を開けた。見慣れない部屋に一瞬戸惑うが、すぐに昨日のことを思い出して落胆する。

(夢じゃ、なかったんだな……)

 生まれ故郷であるリルムリット王国と敵対したこと。師であるエルギスと戦ったこと。

 自分が、記憶障害となったこと。

「もうお目覚めか」

 レオノティスが起き上がると、デスクで書類をまとめていたクリスがマグカップを片手に振り返った。ランプの暖色に照らし出された顔には疲労の色が濃く出ている。

「竜脈の除去は問題なく終わったが、気分はどうだ?」

「なんだか頭が重たくてもやもやしたような、変な感じだ」

「ふむ。当面は経過観察が必要そうだな」

 ドラセナはというと、すぐ傍でベッドに突っ伏したまま小さく寝息を立てていた。

 どうやら今は明け方らしく、窓の外はようやく闇が払われ始めたといったところだ。

「ありがとな。いきなり押しかけた上に、こんな時間まで治療してもらって」

「その言葉は、きちんと代価をいただく私よりもドラセナにかけるべきだな。傷の治療を終えたと思ったら、今度は竜脈の除去を手伝うと言って聞かなくてね。最後にやっと自分の傷を申し訳程度に治療して、つい一時間ほど前に眠ったばかりさ。サイノスを統治する《竜師》なら、もう少し自愛すべきだと思うがな」

「…………あっ」

 レオノティスが恐る恐る布団をまくってみると、あれだけ深かった傷はすっかり癒えていた。傷痕もなく、最初から怪我などしていなかったのではと思ってしまうほどだ。

「すげえ……本当にたった一晩で治したのか」

「足よりもむしろ内臓の方が厄介だったようだ。実は腹部の傷が最も大きかったらしいな」

 そういえば、ドラセナも昨日そんなことを言っていたか。

「いやいや、私も見ていて驚いたよ。下手な医者など問題にならん腕だな」

 治癒術は、高濃度のマナによる超活性で治癒力を高めるもの。並の術者があれだけの傷を治そうと思ったら、休憩も加味して二、三日はかかるはずだ。

 だが当然というべきか、それ相応の消耗も強いてしまったようだ。

 疲れ切った寝顔を見ていると、申し訳ない気持ちと、ただ純粋な疑問が湧いてくる。

「どうして、ここまで……」

「さて。生憎私は、他人の想いに易々と首を突っ込めるほど無粋じゃないつもりなのでな」

 クリスは紅茶を飲み干すと、ほぅと息をついた。

 会話が途切れ、レオノティスの視線は自然とドラセナへ向かう。

 文字通りの人間離れした美貌。神々しささえ感じる透き通った翼。一度会えば、忘れるなんてあり得ないはず――なのに、やはり何も思い出せない。それでいて、奇妙な既視感だけは今も脳の奥でくすぶり続けている。

「う、ぅん……」

 ドラセナが身じろぎし、鮮血を垂らしたような双眸がゆっくりと開かれた。

「そっちもお目覚めか」

 クリスの声に、ドラセナは猫のように俊敏な動きで身体を起こした。

「レオ……! 身体の具合はどう? どこか痛まない? 記憶は?」

 半ば覆いかぶさるようにしてレオノティスへ迫り、矢継ぎ早に質問してくる。

「うぇっ? と、その……」

 あまりの顔の近さにレオノティスがしどろもどろになっていると、やれやれとクリスが割って入ってくる。

「落ち着け、ドラセナ。施術は滞りなく終わったから、ここから状態が悪化するということはないはずだ」

「ほ、本当に?」

「ああ。ただし、いつ記憶が戻るかまでは明言できない。一応治療用のマナも注入しておいたが、《竜脈術》相手にどこまで効果があるものか……。記憶というのは何がきっかけで戻るか分からないし、思い詰め過ぎないことだ」

 クリスは一通り説明を終えると、そういえばとレオノティスに話を振る。

「時折寝言のようなものを発していたが、何か夢でも見ていたのか?」

「あっ……そうだ!」

 指摘されて、レオノティスは昨晩見た夢の内容を思い出した。

「アイビーのこと、思い出したんだよ」

「ほう?」

 答えを聞くや、クリスの半眼に怜悧な眼光が宿る。

「昨日、アイビーが夢に出てきて……いや、あれは夢だったのか? とにかくすげえリアルで、今でもはっきり思い出せるんだ」

「ふむ。自然に記憶が戻ったのか、もしくは治療の効果か……。まずはどこまで思い出したのか教えてくれ」

 レオノティスは頷き、アイビーとの出会いから順を追って話し始めた。

 セルフィール帝国との国境付近で倒れていたアイビーを発見し、看病したこと。記憶と傷痕を治すため、クリスを頼ったこと。だが何も思い出せず、プレゼントしたアイビーのリースから名前をつけたこと。その後、レオノティスの家で一緒に暮らし始めたこと。

 話しているうちに、夢で見た部分以降の思い出も徐々に蘇っていき――


『ただいま』

『あっ! レオ、お帰りなさい!』

 レオノティスが力なく家のドアを開けると、キッチンで料理をしていたアイビーが手を止めて元気に出迎えた。

『お仕事お疲れさま! ごはんにする? お風呂にする? それとも……わ・た・し?』

 精いっぱいの艶っぽさを出して、そんなことを聞いてくる。

『……えーと。今回のネタは誰に仕込まれたんだ?』

『雑貨屋のおばさんに教えてもらったの。私がこうすると、男の子はみんな泣いて喜ぶんだって。男の子っておもしろいね~』

『はぁ……ったくあのおばちゃん、何を吹き込んでんだか』

 確かにアイビーは身内びいきを取り払ってもかなり可愛い。数年後には、きっととんでもない美人になっていることだろう。だが、さすがにまだ幼すぎる。

 レオノティスは荷物を適当に置いて椅子に座った。腕輪を外し、研ぎ澄ましたマナで磨き始める。普通の装飾品なら、金属がマナに負けてしまうのだが……この腕輪は特殊な細工が施してあるらしく、マナで研磨しても一切傷付かずに汚れだけが落ちるのだ。

 父も祖父も、この腕輪を自分の半身のように扱っていた――村長からそう聞いたレオノティスも、自然とそれに倣うようになった。

『レオ、何かあった?』

 普段と異なる雰囲気を察したアイビーは、少しだけ声のトーンを落とした。乱雑に置かれた荷物を片付け、話を聞こうとレオノティスの対面に腰かける。

『……今回の護衛任務の報酬、半分しかもらえなかった。荷馬車の中身が崩れて壊れちまったから、ってな。だけど俺の確認してる限り、荷馬車は一度もひっくり返っちゃいない。賊に襲われた時だって、荷馬車に近付かせもせずに蹴散らしたからな。どうせ荷造りがいい加減で、ちゃんと固定されてなかったんだろ』

『えっ……それで報酬が半分になっちゃったの?』

『ああ。賊に襲われて混乱したとき崩れたに違いない。もっと早く倒していればこんなことにならなかったはずだ、ってな。そんなことできるわけねえってのに。しかもこれ以上言いがかりを付けるようだったら、ギルドに通告するとか言って脅してきてよ。言いがかり付けてるのはどっちだと思ってんだ……くそっ』

 傭兵稼業では、こういったことは日常茶飯事だ。特に子供というのはそれだけで舐められやすく、いちゃもんも付けられやすい。例えマナの祝福を受けていても、コネや名声なしではこうもままならない。

 だからレオノティスは常に隙を見せないようにしてきた。それこそ自分以外は全員敵というスタンスといっていいほどに。

 誰も信じず、誰にも心を開かず。

 始めのうちは辛くとも、いずれ慣れればそれが当たり前になる。

 腕輪の手入れを終えると、マナを込めて《神託の剣》を顕現させてみる。レオノティスが仕事において己以外に信じるものといえば、両親が遺してくれたこの腕輪と術だけだ。

『くっ……』

 鮮紅色に輝く剣を観察していると、眩暈のような感覚に襲われる。マナ欠乏の症状だ。長旅を終えてすぐに休みなしで帰ってきたせいか、想像以上に消耗していたらしい。

『レオ、大丈夫!?』

 すかさずアイビーが身を乗り出し、手を握ってマナを当ててくる。

『ああ、悪い……』

 レオノティスはアイビーとマナを共有化し、受け取ったマナを自身のマナに還元する。ほどなくぼやけた視界が明瞭になり、脱力感も消えていく。

『マナの共有化って凄いよね。治癒術でもマナ欠乏だけはどうしようもないのに、こうやってすぐ治せちゃうんだもん。私も覚えたいけど……レオもどうやってできるようになったのか分かんないんだよね』

『ああ。いつの間にか共有できるようになってた……って感じだな』

 共有化できるようになったのは、本当につい最近のこと。

 それまでは個々人のマナの違いを何となくでしか感じ取れていなかったのが、気が付いたらはっきり判別できるようになっていた。色、波長、広がり方……どれも比喩でしかないが、それらの指標を元に自らのマナを相手に合わせることで、共有化することができるのだ。

『レオがこの力に気付いたのって、私の誕生日だったよね』

『そういやそうだったな』

 記憶を失っていたアイビーは、当然ながら自分の誕生日も覚えていなかった。だったら、彼女を「アイビー」と名付けた日を誕生日にしよう――そう思ったレオノティスは、サプライズで彼女の最初の誕生日を祝った。

 アイビーは飛び上がるくらいに喜び、最後ははしゃぎ疲れて眠ってしまい――その時、無意識のうちにマナを共有化してアイビーに分け与えていることを自覚したのだ。

『ってもその日何か特別な訓練をしたわけでもないし、多分偶然だろ』

『でもでも、ロマンチックだよね!』

『ロマンチック、ねえ』

 ピンとこずポリポリ頬を掻くレオノティスに、アイビーはこれ見よがしに深いため息をついてみせる。が、すぐ朗らかに笑い、

『クリスも言ってたけど、これってすっごく珍しい力なんだよね。だったらこの力でどんどん有名になっていけば、今回みたく言いがかりつけてくる人もいなくなるんじゃないかな』

 アイビーは腕輪に手を添え、

『今は我慢、だね』

 それから、白く細い指を絡めてくる。彼女は励まそうとする時、決まってこうするのだ。

『でも金のやりくりはしんどいだろ』

『うーん、正直言うとね。だから――』

 アイビーは名残惜しそうに手を離すと、部屋の隅から何やら持ってきた。

『実は私もレオの助けになりたいと思って、留守の間に挑戦してみたの。じゃ~ん!』

 元気なかけ声とともに掲げられたのは、アイビーとクチナシのリースだった。

『お前……これ、どうやって作ったんだ? とても初めてって出来じゃないぞ』

『ふふ~ん、村長の奥さんに見てもらったの。レオも奥さんから習ったんだよね』

『そっか。あの人に聞いたんだったら間違いないな』

 村長夫婦はレオノティスが両親と妹を亡くしてからというもの、何かと世話を焼いてくれる恩人たちだ。アイビーの受け入れも二つ返事で了承してくれた上に、レオノティスが家を空けている時はこうして色々と面倒を見てくれている。

『はい、私の初めての作品はレオにプレゼント!』

 ぽすっとリースが頭の上に載せられる。

『いいのか?』

『うんっ。昔、私にプレゼントしてくれたでしょ。だからお返し!』

『退院祝いと誕生日か。っても、今回は祝うようなことなんて別にねえけど』

『そんなことないよ』アイビーが微笑む。『だって、レオが無事に帰ってきてくれたんだもん。私にとってはお金なんかよりそっちの方がずっと大事だし、毎回お祝いしたいくらい嬉しいことなんだよ?』

『アイビー……』

『待ってる間、ずっと心配だもん。お仕事うまくいってるかな? 風邪ひいてないかな? 他の人とケンカしてないかな? 怪我、してないかな……? って』

 思わず今度はレオノティスからアイビーの手を取り、ぎゅっと包み込む。包んでみて、改めてその小ささを実感する。

『だからレオが「ただいま」って元気に帰ってきてくれたら、私はそれだけでお祝いしたいくらいに幸せなの』

 それはお互い様だ、とレオノティスは心の中で苦笑いする。

 家で待っていてくれる人がいる。ただそれだけのことがこんなにも有難いことだったなんて、独りでいた時は想像すらできなかった。

『でも、いつかは私もレオと一緒にお仕事したいなあ。待ってるだけは辛いし、私だってマナの祝福があるんだもん』

『それはだめだ』

『え~! なんでなんで?』

 きっぱり言うと、アイビーはぷぅっとふくれっ面をして抗議の意を示す。レオノティスは膨らんだ白い頬を優しくつつき、

『あんな世界にいるのは、俺だけで十分だ』

 子供の頃に傭兵の世界へ飛び込み、クライアント、ギルド、同業者……戦争を食い物にする百戦錬磨の大人たちと渡り合って。そうした中で、自分の中の人間的な部分が欠落していくのを感じていた。けれどその隙間を、感情をまっすぐにぶつけてくるアイビーとの日々が埋めてくれた。

 アイビーのような子は、あんな世界に触れるべきではないのだ。

『何より、お前を死なせたくない。もしお前にまで置いていかれたら……』

 つい感情に任せてそんなことを口走ってしまい、ハッとしてしまう。が、時すでに遅し。

『うん?』

 どうしたの? とくりくりした大きな瞳で続きを訴えてくる。そんなアイビーに、レオノティスは観念して開口する。

『……俺、妹がいたんだ。親父とお袋が死んでからは二人で必死に生きてきて。だけど、妹も流行り病で死んじまった。ちょうど、お前と同い年くらいだったのかな』

 妹は三つ下だった。体格から察するに、大体アイビーと似たような年齢だろう。

『あいつもマナの祝福はあったんだけど、まだ小さかったからなぁ……発症してから、もうあっという間に悪くなっていっちまってさ。苦しい、助けてって言われても、俺はどうすることもできなくて……。そんな弱ったあいつの姿を、瀕死だったお前と重ねて……お前を助けることで、妹も救ってるような気になってただけなのかもな』

 妹の姿を重ねて助け、自己満足に浸る。

 なんて、自分勝手で情けないのだろう。

 憤激されても、侮蔑されても仕方がない。

 なのにアイビーは、『ありがと』と返してくれる。屈託のない笑顔で。

『どんな理由だろうと、レオが私を助けてくれたことに変わりないから。私は今、レオと一緒で幸せだから。それだけで十分だし、私にとってはそれが全てだよ』

『アイビー……』

 不覚にも目頭が熱くなってしまい、ぐっとこらえるより先に一筋だけ涙が溢れた。

『私はレオを置いていかないよ。だって、何があってもレオが助けてくれるもん』

 濡れた頬を指で拭き、『ね?』と聞いてくる。答えなんて、一つしかない。

『あぁ……っ。ああ、助けてやる。何があっても、絶対に』

 震えそうな声で誓うと、アイビーは小指を立てて見せてくる。

『じゃあ約束! 私もレオのこと、信じて待ってるから。ずっと、ず~っと待ってるから』

 固く絡ませ合った小指の向こうで、アイビーは太陽のように笑ってみせた。

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