追憶――アイビー

 レオノティスは少女を見舞いに、今日もクリスの診療所を訪れていた。

『――こうして二人の人間族に救われた竜神は、お礼にってプレゼントを贈ったんだ』

 白いベッドに並んで腰かけ、少女は目を輝かせながらレオノティスの昔話に聞き入る。

 病室に淡いブロンドという組み合わせが儚さを感じさせ、少女の美しさをより際立たせている。仕事で貴族や大商人の娘を護衛することもあるが……どれほど容姿を磨いて華美に着飾った令嬢も、少女の器量の前ではかすんでしまうだろう。

『一人には竜神の祝福がかけられた紅の神剣、《フレシェ・ウィル》を。もう一人には、「神剣の鍵」をな』

『神剣の鍵……ってなーに? なんで剣を使うのに鍵がいるの??』

 もっともこの通り、本人はいたって元気なのだが。

『俺もよく知らねえんだけど、《竜脈術師》になるための力とも言われてるみたいだ』

『んー……? どゆこと?』

 少女が理解できないのも自然な事だろう。レオノティスは順を追って説明する。

『実は、神剣を使うには条件があるみたいでな。それが、フレシェヴェルヌから竜脈を託されることなんだとか』

 フレシェヴェルヌとは、竜神の本名だ。竜人族と人間族が対立する今の情勢では、竜神が人間族へ竜脈を渡すなどありえないことだろうが……。

『っても普通の人間族じゃ《竜脈術師》になんかなれっこないから、せっかく竜脈をもらっても使えない。だから神剣も使えない。そこで、もう一人の力で《竜脈術師》にしてもらうんだ』

『そっか。それで神剣を持ってる人が竜神から竜脈をもらえば、神剣を使えるようになるんだね』

『ああ。ただ神剣を持ってるだけじゃだめ……《竜脈術師》にしてもらって、でもって竜神から竜脈をもらわなきゃならねえってことだ。ったく、なんでそんな面倒臭ぇことしたのやら』

『強大な力が一人の人間に集中すると、大抵ロクなことにならないからな。武力しかり、財力しかり、権力しかり……』

 答えたのは、ぶかぶかの白衣をまとって病室に入ってきたクリスだった。

 この診療所は、元々老医が一人で運営していた。ところが彼が年齢を理由に引退したので、最近になって流れの医者だったクリスが引き継いだのだ。

『神剣を振るう人間族のために、あえて竜神がそうしたんだろう。一人だけの意思で力を振るい、力に呑まれたり溺れたりしないように』

 クリスはレオノティスに流し目だけ送り、ベッドにいる少女を視診する。

『さて、傷痕は治せるだけ治した。予定通り今日退院させるとしようか』

『分かった。世話になったな』

『クリス、ありがとう!』

 少女は太陽のように笑ってクリスへ抱き付く。

 レオノティスがこの少女と出会ったのは、ある作戦の帰路。リルムリット王国とセルフィール帝国国境の谷で少女が倒れていたところを、偶然発見したのだ。

 少女は酷い怪我を負いながらも、常人離れした豊富なマナにより何とか命を繋ぎ止めていた。そこでレオノティスは不慣れな治癒術を用い、容体が安定するまで付きっ切りで治療した。

 傭兵であるレオノティスにとって、人の死など日常茶飯事だった。

 弱者が強者から奪われるのは、自然の摂理だ――そう割り切らないと、とても傭兵稼業などやっていられなかった。

 だが、自身の加担した作戦に巻き込まれたのかもしれないということ。そして衰弱し切った様子が流行り病末期の妹の姿と重なり、どうしてもこの少女を見捨てる気になれなかった。

 一ヶ月以上にも及ぶ看病の甲斐あって、少女はすっかり元気になった。

 ただ――

 少女の好奇心旺盛そうなクリクリとした目が、レオノティスの荷物から覗いているものに留まった。

『レオ、それなぁに?』

『ああ、アイビーとクチナシで作ったリースだよ』

 レオノティスは荷物からリースを取り出し、さっと形を整える。

『まだ傭兵の仕事が暇だった頃は、こういうのを作って売ってたんだ。ほら』

 頭の上にのせてやると、少女はこてんと小首をかしげる。

『もしかして私にくれるの?』

『ああ。今日で退院だから、そのお祝いってことで』

 途端、少女はにぱっと笑い、

『ほんと!? ありがとう! 一生大切にする!』

『はは、一生はちょっときついな。生花だからそのうち枯れちまうし』

『えぇ~! そんなぁ……』

 今度は一転、この世の終わりのように沈んだ顔になる。そんな少女の頭を撫でて『枯れたらまた作ってやるから』と言うと、また満点の笑顔が戻ってくる。

『しっかし、よく似合うな。特にアイビーが』

 クチナシの清楚な白もだが……それ以上にアイビーの鮮やかな緑色が、少女の白金のようなトウヘッドを鮮やかに引き立てている。思わず金糸のような髪を指で梳くと、少女は気持ちよさげに碧眼を閉じた。

 レオノティスもつられて破顔してしまう。

 本当に、この子は表情が豊かで見ていて飽きない。こんなに笑ったのは何年振りだろう。

 体格くらいしか判断材料はないが、年齢は二、三歳ほど下だろうか?

 そんなことを考えていると、クリスが脇腹を小突いてきた。

『人の家で、朝から何をいちゃついているんだ』

『ばっ――そんなんじゃねえよ!』

 呆れ顔のクリスに噛み付くレオノティスだが、リンゴのように真っ赤になった顔では説得力などあろうはずもない。

 そんなレオノティスをクリスは『はいはい』とあしらい、

『退院後はレオノティスの家へ戻るのか?』

『ん! レオと一緒!』

 ぎゅーっと腕にしがみつかれ、レオノティスは照れ隠しにかゆくもない頭をかく。

 ずっと治療をしている間に、随分と懐かれてしまったものだ。

『そうか。……せめて、故郷くらいは思い出させられればよかったんだが』

 クリスが沈んだ声音で呟いた。

 この、一見すると元気な少女が入院していた理由は二つ。

 一つは身体についていた無数の傷痕を、可能な限り消すため。そしてもう一つが、記憶障害を治療するためだった。

 少女は瀕死の重傷を負った影響か、目を覚ました時にはほぼ全ての記憶を失っていた。常識的な事柄や日付、思い出。そして自分の故郷や年齢、名前さえも。衣服以外では唯一の所持品だった指輪も、彼女の過去や記憶の手がかりにはならなかった。それでも今少女が普通に会話できているのは、クリスとレオノティスがリハビリに努めた賜物だ。

『本当に、すまない』

 クリスは少女と目線を合わせると、深々と頭を下げた。

『気にしないで。もしかしたら思い出さない方が幸せかも、でしょ?』

 けれど、少女はただ小さく微苦笑してかぶりを振る。長くしなやかな髪がヴェールのようにふわりと揺れた。

『お前、どうしてそのこと……』

『このまえ夜中に起きた時、レオとクリスが話してるのを聞いちゃったの』

 少女は自分の身体を抱き締めるように腕を回した。病的に白い――ろくに日の光を浴びてこなかったであろう肌には、無数の注射痕や傷痕が未だうっすらと残っている。

「人体実験の被検体だったのか……少なくとも、彼女にとっていい思い出でないことは確かだろうな。もしかすると記憶が戻らない理由の一端は、彼女自身が潜在的にそれを強く望んでいるが故かもしれん」

『…………っ』

 クリスの言葉を思い出すだけで、レオノティスの拳は向ける先のない怒りに戦慄く。

『そんな顔しないで、レオ。私はへっちゃらだから。前に何があったのか思い出せないけど……でも、大事なのは今だから。クリスがいつも優しくしてくれて、レオがいつも遊んでくれる。それだけで十分。昔のことなんて関係ない。……よね?』

『……そう、だな』

 少女自身にこんなことを言われては、肯定する他ない。

 レオノティスが拳を開くと、少女は指を絡ませて小さく『ありがと』と囁いた。

『それにね。本当に必要な記憶は、この指輪が思い出させてくれると思う』

 指をめいっぱい広げ、指輪の中石を見つめる。エメラルドに輝く宝石は、少女の碧眼とそっくりな色彩だ。

『無粋なことを聞くようだが、どうしてそう思うんだ?』

 クリスの問いに少女は目をぱちくりさせ、それからはにかむ。

『宝石にね、懐かしいマナが込められてるから。だからきっと、この指輪は私の大切な人がくれたものなの』

 少女がマナをかざすと、宝石にリルムリット王国の国章が浮かび上がる。

 これは宝石に封入されたマナの作用だが、どうやら彼女のマナにしか反応しないらしいのだ。その証拠にレオノティスやクリスがいくらマナを当てても、指輪はうんともすんともいわない。

『私にとって本当に必要な記憶があるとすれば、それはきっとこの指輪をくれた人たちとの記憶。だから、この指輪がまた繋いでくれると思うんだ』

『……そうか。そうだな』

 クリスは母性的に目を細め、それ以上は何も言及しなかった。

『あ、でも名前はないと不便なのかな?』

『確かにそうだな。いっそ、改めて名付けてしまうのも手かもしれない』

『だよね! う~ん、どうしよっかなあ…………』

 クリスの提案に、少女は唇に指をあてて唸り出す。と、何か閃いたのか。パッと顔を上げて花冠を指差した。

『ねね、レオ。アイビーとクチナシだったら、どっちの名前が可愛いと思う?』

『んぁ? そうだな……』

 いきなり話を振られ、レオノティスは真剣に考え込む。

『どっちもいいけど……あえて選ぶなら、アイビーかな』

『あ、やっぱり? さっき特にアイビーが似合ってるって言ってくれたから、私もどっちかというとアイビーかなって思ってたんだ! きぐう~!』

 満面の笑みでぎゅーとしがみつかれ、またレオノティスの体温が上がってしまう。

『じゃあ、私の名前はアイビーで決まり! いいよね?』

『俺はいいけど……そんなあっさり決めちまっていいのか?』

『うんっ。だって、レオが初めて私にプレゼントしてくれたものだから。アイビー、って呼ばれるたびに嬉しくなるよ!』

『ま、まあ、お前がそう言うなら』

 レオノティスが目配せすると、クリスは小さく口端を上げた。

『本人の気に入った名前を付けるのが一番だろう。それに、アイビーの花言葉には「信頼」や「永遠」といったものもある』

『おー。「永遠」って、なんか格好いいかも!』

『っはは、かもな』

 アイビーの花言葉のように、少女がいつまでも元気でいてくれたら――そんな、傭兵らしからぬ願望を自然と抱いた自分に驚きながら、レオノティスは手を差し出した。

『それじゃあ改めてよろしくな、アイビー』

『うん!』

 初めて「アイビー」と呼ばれた少女は手をぎゅっと握り、出会ってから一番の笑顔を見せてくれた。

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