記憶障害
ちょうど陽が山の稜線に隠れたところで、目的の村が見えてきた。到着する頃には真っ暗だろうと思っていたが、さすがに空を飛ぶと圧倒的な速さだ。
「村はずれの丘にある、ちょっと大きめの建物が診療所だ」
「了解」
ドラセナは目標を確認すると徐々に速度を落とし、入り口の前で着地。レオノティスへ肩を貸しながら翼をたたみ、ドアベルを鳴らす。
しばらくすると中から足音がして、キィ、と小気味よい音を立ててドアが開かれた。
「こんな時間に誰だ。重症患者以外はお引き取り願うぞ」
ドアの隙間から少女がひょっこりと顔を覗かせる。シルバーを主体にやや緑がかったスカイグリーンの長髪と、鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が、見る者に神秘的な印象を与える。まだ十二、三歳ほどの背格好にダボダボの白衣が何ともアンバランスで、それが形容しがたい妖しい魅力のようなものを放っている。
「おや。これはまた、予想だにしない珍客だ」
二人を認めると、少女の気だるげな半眼が開かれる。
「久しぶりだな、クリス」
「うむ。……彼女は一緒じゃないのか」
「彼女?」
「いや、なんでもない」
白衣の少女・クリスは来訪者が二人だけであることを確認し、目を伏せた。
「それより、何やら訳ありと見える。中で詳しい事情を聞くとしようか」
クリスが半開きにしていたドアを開け、迎え入れてくれる。
診察室に入ると、ツンとした薬品の香りが鼻をついた。
空いていた椅子にドラセナと並んで腰かけ、クリスもデスクにつく。
「夜分に連絡もなく押しかけて申し訳ありません。……私はドラセナ・フレシェヴェルヌ。サイノスの竜樹を守る《竜師》です」
「やはり、か」
ドラセナの名乗りを聞くや、クリスは一度立ち上がってから恭しく片膝をついた。
「御初に御意を得ます。私はこの一帯で医者として活動している、クリスと申します。先ほどの無礼、平にご容赦を」
「……お前、なんだその言葉遣い?」
間の抜けた声を出すレオノティスを、クリスは不機嫌な猫のような目で見つめる。
「《竜師》は、竜神の実子――言うなれば、竜神圏の王女だ。王族相手に敬意を表すのは、他国の民であろうと当然のことだろう」
「ほーん。そういうもんなのかねえ」
ポリポリと頬をかくレオノティスに、ドラセナは困ったような顔を向ける。
それもすぐにきりりと引き締め、
「母上と我が国に対するあなたの敬意、大変嬉しく思います。ですが、そのように気を遣われる必要はありません。面を上げ、友人のように気安く接してください」
「そうか? では」
クリスはかしこまりつつ座り直すと、途端に礼節を引っ込めて興味深げにドラセナを見つめる。
「竜神圏最高幹部の一翼である《竜師》が、なぜレオノティスと二人でこんなところに?」
まるで人格が入れ替わったかのような態度の変わりようだ。
もっともこれがクリスの本来の性格なので、レオノティスからすればようやく違和感がなくなったといったところなのだが。
「話すと長くなるから、かいつまんで説明するわ」
そう前置きして、ドラセナは順を追って話し始めた。
「リルムリット王国女王・アイリスが、大がかりな装置を使って竜樹からマナを吸い上げているのは知ってるかしら?」
「セルフィール帝国の指示で推進している事業だな」
クリスは腕組みして忌々しげに答える。
「ええ。そのせいでリルムリットの竜樹のマナが枯渇して、さらにはサイノスの竜樹のマナにまで手を出してきているの」
セルフィール帝国は元々、マナを軍事転用することで発展してきた国。竜樹やマナを保護する竜神圏とは水と油の関係だ。そしてそのセルフィール帝国と同盟を結んだリルムリット王国もまた、現在は竜神圏と敵対関係にある。
「私たちは装置の停止を再三要求したけれど、アイリスが聞き入れることはなかった。だから直接止めようと、レオと私でリルムフェスタを強襲したの」
「…………!」
レオノティスは思わず息を呑んだ。
エルギスと戦ったと聞かされた時から分かってはいたが……やはり、自分はこの国に剣を向けたのか。
「ドラセナに関しては立場上自然な成り行きだが、レオノティスもまた祖国と戦うだけの理由があったということか」
「…………」
神妙に呟くクリスだが、レオノティスには自身のことながら想像も理解もできなかった。
ドラセナは話を続ける。
「でもエルギスにやられてしまって……何とか離脱しようと《幻翼飛躍》を発動したのだけれど、それも妨害されてここの近くに弾き飛ばされたの」
「リルムリット王国軍軍師・エルギス……《翼のない竜脈術師》、か。その武勇は国士無双とこんな辺境にまで轟いているが、まさか《竜師》をも凌ぐとは。いよいよ本物の化け物だな」
それにはレオノティスも頷く他ない。何せエルギスは《竜脈術師》となって以来、戦において一度たりとも手傷を負ったことがないと言われているのだ。
「で、その戦闘で二人して負傷してしまったと。あーあー。これはまた、治すのが面倒臭そうな傷だ」
口をへの字に曲げ、医者にあるまじき発言をするクリス。なんとも彼女らしい応対に、レオノティスはつい噴き出してしまう。
「レオは記憶障害も起こってるみたいで、そっちも診てもらえると助かるわ」
記憶障害、という単語にクリスの切れ長の美しい目が細められた。
「ほう……では外傷よりも先にそちらを診てみるとしよう。幸い今は痛みも感じていないようだしな」
クリスは舌なめずり――これもまた医者にあるまじき仕草だが――しながら、マナを集めた手のひらをレオノティスの頭部へかざした。まるで水晶玉に手をかざす怪しい占い師よろしく、様々な角度から手をあてる。
現在では医療というと、大抵は《精霊術》による治癒術を指す。よって医者のほとんどが《精霊術師》であり、クリスも例外ではない。
「頭部……というか、全身に大量の竜脈が残っているようだ。記憶障害の原因は恐らくこれだな。心当たりは?」
「私を庇って、エルギスの《黒子夢槍》を受けてしまったの。多分その時に……」
ドラセナの回答に、クリスはこらえ切れないといった様子で含み笑いをする。
「っくく、相変わらず無茶をする。彼の《竜脈術》をまともに食らって、よく死ななかったものだ。相変わらず悪運が強いな」
「ほっとけ。で、取り除けるのか?」
単刀直入に聞くと、クリスはあごに手を添えて逡巡する。
「竜脈はマナが凝縮されたものだから、除去するのも難しいんだが……時間をかければ何とかなるだろう。施術しながら記憶について問診するから、ベッドへ」
クリスはレオノティスをベッドに寝かすと、左手を頭部へあててマナを照射しつつ、右手でカルテと羽ペンを持った。
「まず、君の名は?」
「レオノティス・アイギスフレシェだ」
「ではレオノティス、これはなんだ?」
羽ペンをひらひらと振ってみせる。
「おいおい、いくら記憶がゴチャゴチャしてるからって……」
「そのゴチャゴチャの具合をはかるのが肝要なんだ。いいから答えろ」
ペン先で額を小突かれ、レオノティスはしぶしぶ「羽ペンだろ」と答える。
「正解。では君の年齢は?」
「十六」
「君の生まれはどこだ?」
「リルムリット王国と竜神圏の国境近くにある、名前もない小さな村だ。ここの近くだな」
「家族について、覚えていることは?」
「両親と妹の四人家族だったけど、親は戦争に巻き込まれて死んだ」
セルフィール帝国と竜神圏。二大国の間に位置するこの国は、これまで幾度となく両国の戦争に巻き込まれてきた。
特に《竜師》クロエを巡って勃発した、先の大乱――通称「竜樹戦争」は、約二十年間にもわたって凄惨な戦禍を振り撒いた。
「妹は?」
「あいつはまだ小さかった頃に、流行り病で……」
流行り病は、今現在もリルムリット王国全域で猛威を振るっている。名前の通り感染力が強い上、ひとたびかかってしまうとマナを根こそぎ奪われてしまう。よって致死率も極めて高く、不治の病として恐れられている。
「ふむ。……では、その腕輪はどこで手に入れた?」
クリスがレオノティスの右腕にはめられたブレスレットを指す。
「これか? ガキの頃に親父から受け継いだんだよ。俺の方がマナをうまく使えるからって」
答えながらレオノティスは腕輪を掲げる。デザインはシンプルで、鮮やかに光を反射する大きな紅玉が唯一の装飾といってもいい。
レオノティスがマナを込めると紅玉の輝きが増し、腕輪をつけた右手首からマナが溢れて長剣の形をなす。
「俺の家は代々、この《神託の剣》で村を守ってきたらしい。親父が死んじまったから詳しいことは分からねえけど、遠い昔のご先祖さんが《精霊術》と腕輪を一緒にもらったんだとか」
誇らしげに語るレオノティス。そんな彼の様子を、クリスはカルテへ書き留める。
「なるほど。では、一人になった後はどうやって暮らしてきた?」
「村の長に面倒見てもらって、十歳の時からフリーの傭兵を始めた」
レオノティスにとって、腕輪とマナの祝福があったのは幸いだった。おかげでわずか十歳にして大人と対等以上に戦えたし、その力で生計を立てることも可能になった。
「傭兵の仕事はどんなことをしていた?」
「最初は万屋みたいな感じだったかな。実績を積んでからは商隊の護衛をしたり、リルムリットの内戦に駆り出されたり。クリスともそこで知り合ったんだよな」
「うむ。同じ、竜神圏派としてな」
リルムリット王国は今でこそ竜神圏と敵対しているが、以前は同盟関係にあった。よって現状セルフィール帝国と同盟関係にあるとはいえ、リルムリット王国内では竜神圏派・帝国派の衝突が絶えない状況だ。
「エルギスと戦う直前は、どこでどう生活していた?」
そこで初めてレオノティスは答えに窮した。
「……よく、分かんねえ」
「では、ドラセナのことはどれくらい知っている?」
レオノティスはこれまで再三考えてきたその疑問を、今一度自身へ問う。祈るような顔のドラセナと目が合った。
「……なにも」
しかし、やはり何も浮かび上がってはこなかった。
「っ……」
小さく息を呑むドラセナ。一方のクリスは羽ペンを弄って思案顔をする。
「では、アイビーという名に聞き覚えは?」
「アイビー? アイビー、アイビー……ん、なんかその名前は聞いたことがある気がする」
具体的なエピソードこそすぐには浮かばないが、確かに覚えがある。例えるならば妹のような……とても大切な存在。
「ふむ……。新しい記憶ほど、残っている可能性が低いということか? もしくはある時を境に、それ以降出会った人物や起こった出来事のほとんどを忘れているのか……。とにかく症状の悪化を、特に意味記憶にまで波及することだけは避けるべきだな。まずは止血として、頭部に残った竜脈は今晩中に全て取り除くべきか。エピソード記憶だけであれば、全て復元できたという事例も――」
「……えーっと、治せそうなのか?」
放っておくといつまでもモノローグにふけっていそうなので、途中で止めて肝心の部分を尋ねる。
クリスは難しい顔をし、一つ唸ってから答えた。
「状況から察するに、君の記憶障害は恐らく外傷性だろう。外傷自体は今夜中には治療が終わるから、それに伴って記憶も戻ると考えるのが妥当かな。もちろん通説に則った予測でしかないが、悪化する確率は無視できるくらい低いだろう」
「よ、よかった……」
クリスの診断に、レオノティスよりもむしろドラセナの方が深く安堵する。
「ありがとう、クリス。私にできることがあったら何でも言って」
「では、レオノティスの頭部以外の治療を頼む。私は脳の方に専念したいのでね。レオノティスはこのまま寝てしまって構わんよ」
「え? うーん、そう言われてもなあ」
二人が頑張っているというのに、自分だけ呑気に寝るというのも気の引ける話だ。
「今はショックと興奮で自覚もないだろうが、君の心身はかなり疲労しているはずだ。どうせ起きてたって何もできやしないんだし、休める時に休んでおいた方がいい」
「そうね。私たちが治療するからこそ、レオはしっかり休んでおいて。全員動けなくなる状況が一番危ないもの。眠れないかもしれないけど、目を閉じて横になってるだけでも違うから。ね?」
「……分かった」
正論に次ぐ正論を浴びせられてはぐうの音も出ない。レオノティスは起こしかけた身体を脱力させ、ベッドと二人に身を預けた。
「すまん。世話かけちまって」
「なに、お返しはもう決めてあるから気にしなくていい。これだけ面倒な治療となると相応の報酬をいただかねばならんが、君は自分が優秀な傭兵であることを幸運に思うべきだな」
「それはそれでおっかねえんだけどな……」
嫌な予感を覚えつつも言われた通りに瞼を閉じ、眠ろうと努力する。
けれど様々な感情は真っ暗闇の中で尚更鬱陶しく渦巻き、苛立ちや焦燥ばかりが募っていく。
(俺が、エルギスと戦った? 記憶障害? ドラセナ? なんなんだよ……くそっ)
自然と力の込められた拳にひんやりとした感触があり、レオノティスは閉じていた目を開けた。
見ると、ドラセナの手がそっと添えられていた。
「きっと今は訳も分からなくて、不安だし不満だと思う。出会って間もない私のことなんて、信じてっていう方が無茶だって分かっているわ。だから、無理に信じてなんて言わない」
目が合うとドラセナは表情を柔らかく綻ばせ、言葉を紡ぐ。
「それでも私は、何があってもレオの味方だよ。私に道を示してくれたあなたを、私は絶対に裏切らない」
まるで聖女のような、慈愛に溢れた微笑を零しながら。
――なんなんだ? どうしてこいつは、ここまで俺に肩入れする?
レオノティスの中にある傭兵の部分が、何か裏があるに違いと警鐘を鳴らす。その一方で、彼女は信頼できるのではないかという思いも浮かぶ。
理由は分からない。ただ自分の中の何かが、強くそう訴えているような気がした。それはなくしてしまった記憶に関係しているのかもしれない。
「さあ、身体を楽にして目を瞑って」
ドラセナのしなやかな指に髪を撫ぜられながら、言われるがままにもう一度目を閉じる。
じんわりと沁み込むマナの温もりの中、レオノティスの意識は徐々に暗闇へ溶けていった。
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