第5話 検証



「死んでいたのは、若い男性です。スーツ姿だったので、おそらく仕事中だったと思われます。名前は、南孝介。財布の中に免許証がありました。第一発見者は、この会社に常駐している掃除のおばちゃんでした」

 野近は、自身の手帳を広げながら、そう話した。佐久間は、ロビーのソファに腰を下ろし、煙草を吸いながら野近の話を黙って聞いていた。

「佐久間さんとおっしゃいましたね。南孝介という人物は、ご存知ですか」

「はい、知っています。南は、今年の新入社員でした。仕事もできる新人で、将来有望な若手でした。一体なぜ、こんなことに・・・・・・」

 佐久間は頭を抱えた。部下を突然亡くした上司を、野近の前で不自然なく演じることを意識した。野近は、おつらいでしょうと声をかけ、話を続けた。

「南さんの死亡推定時刻は、16時50分頃だと思われます。死因は、後頭部の打撲によるショック死でした。倒れている南さんの後頭部に、血が付いておりました。そしてすぐ横に割れたつららが転がっていたんです」

「つらら、ですか」

「はい。あの、軒先にできるつららです。南さんが倒れていた会社の喫煙所にも、つららができておりました。そのつららが何かの拍子に折れて、南さんに当たったということです」

「へぇ、そんな事があるんですね。南には悪いが、ついてないやつですね」

「そこなんですよ。南さんが喫煙所にいる時に、つららがたまたま折れて、そしてたまたま南さんの後頭部に直撃するなんて、ちょっと運が悪すぎると思いませんか」

 佐久間は野近の表情を見つめた。野近は自身の手帳を見つめながら、眉間にしわを寄せている。

「たしかに運が悪いですね・・・・・・。ですが、ありえないことじゃないですよね。しかも、つららが高い位置から落ちて、後頭部に当たったら、やはり命に関わる怪我を負う可能性もあると思います」

「たしかにつららの当たりどころが悪ければ、その可能性もあるとは思います」

 野近は手帳をめくった。

「喫煙所の軒先の高さが3メートル80センチ。さっき測りました。この高さからつららが後頭部に当たっても、亡くなるほどの衝撃があるようには思えないんですよ」

「ということは、南が亡くなったのは・・・・・・」

「はい。単なる事故死ではなく、殺人の可能性もあると私は思っています」

 野近は、あごに手を置き、何かを考えているような様子で、そう言った。

「そんな・・・・・・。南は、誰かに殺されたっていうんですか」

 佐久間は、驚いたように話した。いや、内心、動揺していた。この野近という男は、厄介な人物になりそうだ。佐久間は、この後どのように振る舞おうか考えていた。野近は、そんな佐久間を尻目に、続けてまた話し始めた。

「あくまでも私の憶測ですがね。そして、気になったのは、もし南さんが殺害されたとして、南さんが犯人と争った形跡が無かったことです」

「それで、何かわかるのですか」

「はい。このことから考えられるのは、犯人は南さんの知り合いだったという可能性があるということです」

「なるほど。たしかに知り合いだったら、南に怪しまれずに近付くことができますね」

「そうなんです。それに、犯行現場が喫煙所というところも気になります。もし犯人が煙草を吸わない人物なら、わざわざ喫煙所を選んだりしないと思うんです。煙草の匂いは、禁煙者にとっては嫌なものですから」

「そういうものかな」

「あくまで憶測です。これらのことを考えると、犯人は南と知り合いで、なおかつ喫煙者という可能性があります」

 佐久間は黙って、手に持っていた煙草を近くの灰皿に投げ捨てた。この男の洞察力は、目を見張るものがあった。野近は続けた。

「しかし、少し引っかかる点があります。それは、なぜ犯人は屋外で、しかもこんな回りくどい方法で南さんを殺したのでしょうか。私だったら、わざわざ雪が降るような寒い屋外で犯行に及ぶよりも、室内でやりますがね」

 野近はここまで話して、また自身の手帳を見やった。佐久間は、黙って野近の話を聞いていた。佐久間の頭の中は、この目の前にいる野近の推理を違う方向へ持っていくことに集中していた。

「佐久間さん。失礼ですが、南さんとはどのような関係だったか、教えていただけませんか」

 不意に野近が話しかけてきた。

「えっ、あぁ。良いですよ。南とは違う部署でしたが、よく一緒に働く機会がありました。あいつは賢くて、いつも手際よく働いていました。さすが有名大学出身だけあって、よく頭の切れるやつでしたね」

 野近は、黙って佐久間の話を聞いている。

「ただ、上司に口答えする一面もありました。1年目の新入社員が、入社していきなり上司に食ってかかるから、南のことをよく思っていない社員も多かったと思います」

「そうなんですか。ちなみに、佐久間さんも、南さんに何か言われたことはあるのですか」

「野近さん。その質問は、私は疑われているということでしょうか」

「いえいえ、気を悪くされたなら、すみません。ですが、殺人の可能性もあるとなると、こういった質問をするのが仕事なんです」

「いや、冗談ですよ。お恥ずかしいですが、いろいろと言われたことはあります」

「そうなんですね」

「野近さん、念のため言っておきますが、もし南が誰かに殺されたとして、私は犯人ではありませんからね」

「そう思われたのなら、すみません。関係者には、全員にこのように聞く決まりになっているものなので」

「たしか、南の死亡推定時刻は16時50分頃。私たちの会社では、まだ勤務時間中です。私は後輩の先山と話をしていました。たしか、その時間あたりに、得意先にメールを送っています。調べてもらえれば、わかると思います」

「わかりました。念のため、調べておきます」

「お願いします。あの、野近さん。1本よろしいですか」

 そう言うと、佐久間はポケットから煙草の箱を取り出した。無意識だが、先ほどから煙草のペースが早くなっていた。野近は、どうぞと手を差し出した。

 失礼しますと断って、佐久間は煙草を1本取り出し、口にくわえた。

「あまりお見かけしない銘柄ですね。失礼ですが、何と言う銘柄でしょうか」

「あぁ、これはガラムという煙草です。インドネシアの煙草で、気に入ってるんですよ」

「そうですか。煙草も色々あるんですね。ありがとうございます」

 いえ、と佐久間は言い、ロビーの外に置いてある灰皿の所へ向かおうとした。

「ここで吸われないんですか。近くに灰皿もありますよ」

「いや、ちょっと電話をしたいので、外で吸ってきます」

 佐久間は、野近の視線を背中に感じながら、ロビーの外に足を進めた。




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