第22話
「なあ、あの菜の花畑で野ションしてたときの白いワンピース着てこいよ」
ごく単純に、
特に言外に含みを持たせたつもりもなかったし、朔の黒歴史を掘り起こすつもりもいやらしい意味合いを込めたつもりもなかった。なのに――
「……あれは、お母さんからお下がりのワンピースなので、手元に、ないです」
それまで俺の発言に対して条件反射のように歪めていた表情に、ふっと影を落として抑揚なく返してきた。
どういうわけか、先ほどまでの嫌悪感丸出しで俺に言い返してきていた勢いは鳴りをひそめ、まるで叱られた子供がシュンとして謝っているみたいに見えて戸惑ってしまう。
「手元にない? お下がりなのにか?」
「……はい、そうです。ごめんなさい」
その申し訳なさそうな口調の裏にはきっぱりとした拒絶の色が滲んでいた。
なんだこれは?
野ションを思い出させたのが悪かったのか?
それとも、知らず知らずに何かしらの地雷でも踏んでしまったのか……?
俺たちがベンチに座っているこの公園には、遊具がないためなのだろう本来メインの利用者であろう子供たちの姿はなかった。
時折、驚くほどスローなペースで駆け抜けていくジョギング中の太ったおじさんや、普段は室内で飼われているのであろう小型犬を散歩中の主婦らしき姿が目に付く程度だった。
たまたま辿り着いた公園だったが、適度に閑散としていて人の写り込みを気にせずに済むので撮影には悪くない場所だった。
そんな公園が、白いワンピースのことを話題に上らせた途端に、両肩にずっしりとのしかかるみたいに空気が重苦しくなってしまった。
被写体を理解するための問答だったはずなのに、理解するどころか雰囲気を悪くしてしまい、そのうえわけのわからない疑問が増えただけだ。
「……ん?」
どうしたものかと落ち着かず、尻を浮かせて座り直しながら公園の入り口に首を捻った視線の先に、まさかの見知った顔があった。
いつからそこにいたのかはわからないが火花を散らせる勢いでばっちりと視線がぶつかったことで、そいつは一度視線を外してから改めてこちらを見た。
その後さらにゆっくりと視線を大きく外して深呼吸をし、これでもかと瞼をかっぴらいて見つめてきた。要するに二度見してきた。
やがて見つめることに気が済んだのか納得したのか、今度は迷いのない足取りで公園内に入りツカツカとまっすぐ俺たちの方へと歩いてきた。
「……は? ……えっ? あれ? ……な、なにしてんの
片側の頬をピクピクと釣り上げながら座った俺の前に立ち塞がって腕組みをし、つんと顎をそらして見下ろしてきたのは
自覚的なのか知らないが全身からオーラのように揺らめかせているプレッシャーがずしんと俺に覆い被さってくる。
朔との沈黙なんて比にならない威圧感だ。
カタギのJKが発して良いプレッシャーじゃないぞ?
「なにって、見てわかんねえのかよ?」
「……ほ、放課後、制服デート、かしら?」
「どこ見たらそんな風に見えるんだ? 撮影に決まってんだろ」
「撮影してるように見えないから聞いてんでしょ!?」
まあ確かに、撮影に及ぶ前に被写体を理解しようとしてまんまと頓挫していたところなのだ。おかげでカメラさえまだ取り出せていない始末だ。
「撮影に至る手順ってものがあるんだよ。朋華こそこんなところで何やってんだよ? 道に迷って徘徊してたのか? ちゃんと迷子札持ってるんだろうな?」
「徘徊なんてするわけないでしょ!? マナミがジェネバのポテトクーポン持ってたから食べてきた帰りよ!」
「……ジェネバって、たしかジェネラルバーガーって冗談みたいにクソデカいハンバーガー出す店だよな? あれ一人で食えんのか?」
「食べれ――、る、けどっ、今日はポテトだけしか食べてないしっ!」
「バーガー屋行ってポテトだけかよ、バーガー食ってやれよ……」
「マナミがポテトクーポンしか持ってなかったんだから仕方ないでしょ!」
「金払って食えばいいだろ。油まみれの安い芋にばっかり群がりやがって」
「ポテト美味しいじゃん! それにマナミはポテトにはうるさいんだからっ!」
「さっきから気になってるんだが、今日ちょこちょこ何度も耳にするマナミっていったい誰なんだよ?」
「いいかげんクラスメイトくらい覚えなさいよ!?」
「コイツの苗字間違えてたお前がそれを言うのか?」
「そ、それは仕方ないでしょ、あとお前って言うな!」
「――んふ……っ」
隣で顔を伏せたままの朔を指差してやると、小さく息を漏らして肩を揺らしていた。
「……おい、どうした?」
表情を確認できなかったせいで嘔吐いているのかと思った。朔には二度の前科があるからな。
しかもいきなり現れた朋華が大声で威嚇するから恐怖のあまり吐きそうになって堪えているのかと恐る恐る覗き込むと、
「す、すいません……っ、二人の、会話が面白くて……」
頬を赤らめ眉尻を下げた、ふにゃっと柔らかくはにかんだ笑顔を浮かべていた。
――ドキリとした。
ああ、やっぱりだ。
雷撃を受けたみたいな衝撃を覚えながら、ピコンッと自分でも驚いてしまうほど無意識にスマホでシャッターを切っていた。
「んひぃっ!? な、なんでまた勝手に撮るんですかっ」
「……いや、可愛かったから」
褒めそやすつもりでも何でもなく、ごく自然に唇から零れ落ちた感想だった。
飾り立てて取って付けた言葉じゃないことが伝わったのだろう、俺の呟きが届いた朔は怯えた表情の中に、あやふやな戸惑いの色を滲ませているみたいだった。
「………………ね、ねえ? 間違ってたら本当にごめんなんだけど、まさか真影と朔ちゃんってさ、……付き合ってたり、しないよね?」
朔と見つめ合っていた俺の頭上から、喉を焼け付かせたみたいな朋華の低い声が降り注いできた。
「ひっ、つつつ、付きあっ!? そ、そそそ、そんなことないですからっ! ほ、本当です許してくださいっ! ああこんな時間っ、私もう帰らないとっ! そそっ、それでは、さようならぁぁっ!!」
猛獣の唸りを想起させる朋華の濁った声を受けて、朔が弾かれたように立ち上がって長い髪を振り乱しながら半泣きで何度も頭を下げる。そうしている間も膝をガクガクと震わせ残像で脚が六本くらいあるように見える。
見かねた俺が声をかけようとしたが一切の隙を見せることなく、腕時計も何も付けていない自分の手首を指し示すなり一目散に走り去ってしまった。
「ひいぃぃぃぃ、陽キャこわいぃぃぃぃっ! うわああぁぁぁん!!」
公園を出てすぐの路地を曲がって姿が見えなくなってもしばらく悲鳴が響いて届いた。
「ちょっと、本当に付き合ってないの? ねえ真影っ!?」
朋華は朋華で朔の慌てようをどう解釈したのか、俺の肩を乱暴に掴んで揺さぶってくる。
「うるせえなあ、どうしたらそんな風に見えるんだよ? ったく、邪魔しやがって……」
「じ、邪魔ですって!? ちょっと待ちなさいよっ!」
鬱陶しい朋華の腕を振り払ってベンチから立ち上がるなり公園を後にする。被写体に逃げられてしまっては、これ以上こんな殺風景なところに座っていても仕方がない。
突き動かされるまま無意識に撮影した朔のはにかんだ笑顔を手にしたままだったスマホの画面に表示してみる。
画角が曲がっているだけならともかく、よりにもよってオートフォーカスがベンチの屋根を支える背後の柱に合ってしまって朔の顔はピンボケになっていた。
いきなり撮影に及んだとはいえ、自動で人の顔を認識するはずの機能からも識別されないなんてどこまで不憫なやつなんだろう。
しつこく絡んでくる朋華の苦言に雑な舌打ちを返して聞き流しながら、朔が見せた笑顔を思い出す。
――朔のことを撮りたい。
改めて自分の気持ちを再確認し、被写体である朔を剥き出しにしたい欲望がわき上がってくるのだった。
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