第16話

 授業内容なんてろくすっぽ頭に残らないまま午前の授業が終わり昼休憩となった。


 隣のさくはスクールバッグからコンビニのレジ袋を引っ張り出して、そそくさと逃げるように教室を出て行った。


 昨日まではまったく意識していなかったので普段からそうしているのかもわからない。

 いったいどこに行ったのか当然ながら気になり、俺は自分の弁当を引っ提げて気付かれないようにこっそりと跡をつけることにした。


 ちょこちょこと狭い歩幅で歩く朔は、視聴覚室や理科実験室といった特定教科の専用教室が集まった西側校舎に向かい、さらに校舎の端にある外階段を昇っていった。


 その外階段は避難用に設置されているもので、校舎内に通じる扉は内側から鍵がかかって厳重に閉ざされている。

 つまり、この外階段を昇りきったところはただ単に行き止まりであり屋上に出ることさえ出来ない造りだ。

 したがって他に生徒の姿はなく、校内の喧噪から切り離されたように静かな場所だった。


 一番上まで登り切った階段の端っこにぺたんと腰を下ろし、朔はぶら下げていたビニール袋からコンビニのおにぎりを取り出してピリピリ包装を開け始める。


 生まれながらの不器用なのか単に要領が悪いのだろうか、もたもた包装を引っ張るせいで海苔が巻き込まれて千切れている。

 がっかりと肩を落とす姿は見ていてそこはかとない侘しい気持ちになって口元を覆いたくなる。

 逃した海苔を諦めて小さな口でパリッと一口おにぎりに噛み付く様は、大事そうに両手で持って木の実にかじり付くリスかハムスターみたいに見えた。


 それにしても、こんな場所でおにぎりにかじり付いているなんて絵に描いたようなぼっち飯じゃないか。

 現代社会の教科書に記載される『ぼっち』の項目の挿絵にしたいレベルだぞ。

 こう言ってしまってはなんだが、一連の動作の全てが余すことなく不憫に見えてしまい悲しくなる。


「こんなところで昼飯か?」

「――っ!?」

 さすがにこのまま黙ってみているのはこちらの精神衛生上にも影響を及ぼしそうで、隠れていた踊り場から努めて明るく声をかけた。


 すると朔は尻を浮かせるほどビクッと全身を飛び上がらせて驚き、その拍子に持っていたおにぎりを落としてしまう。

 童謡のおむすびころりんみたいに階段を転がり落ちてくるおにぎりは童謡ほど可愛らしくもなく、具の昆布を撒き散らして俺の足下で砕けた。


「ぐぇっ、ぐえっほ! げほっげえっ!!」

 さらに驚いた拍子におにぎりを喉に詰まらせたのだろう、盛大に噎せながらゴリラのドラミングくらいの勢いで胸を叩き始める。


「おいっ、しっかりしろ。ほらっ、お茶だっ」

 俺は慌てて階段を駆け上がり持っていた水筒の蓋を開けて差し出す。


 この期に及んで警戒する余裕なんてなかったのだろう、朔は奪い取るみたいに水筒を受け取るとゴクゴクと飲み下して「ぶはーっ」と息を吐き出した。やれやれ間一髪だった。


 しかし驚かせてしまった手前、こんなことを思うのは酷いのかもしれないがじつに汚い。


 JKと略される期間限定でスペシャルな付加価値を持ってしても覆い隠せない、眉をひそめたくなる汚さだった。


「……んな、なんっ、なんで、ここに……?」

 手の甲で口元を拭いながら涙目のまま怯えて歪んだ顔を向けてくる。


「熟練の忍びみたいに気配を消して教室を出て行ったから、気になって跡をつけたんだ」

「こ、ここっ、こんなところに追い詰めて、私の裸を撮る気ですか……っ!?」

「お前が自主的にここで脱いでくれるってんなら、俺はそれでも良いんだが――」

「い、嫌ですよっ!? 脱がないですからっ!?」

「ああ。裸でおにぎり食ってる姿なんか撮りたくねえ……」


 裸の大将でお馴染み天才画家の山下清でもランニングくらいは着てるからな。

 ちなみに有名なあのランニング姿はフィクションらしい。すごくどうでもいいが、いずれにしろ絵にならないことに変わりはない。


「うぁ……、私のおにぎりが……、ううぅぅ……」

「落ちたもの食うなよ? 俺の弁当わけてやるから許せ」

 階段を転がり落ちたおにぎりを思い出した朔が口元を歪めて半泣きになる。


 放っておいたら拾って食べ始めそうな雰囲気に危険を感じ、俺は下げていた弁当の包みを押し付けてやる。


「え、でも、悪いですし……」

「俺が驚かせたせいだからな、気にせず半分食えよ。つーか、お前の昼飯ってコンビニおにぎり一個だけなのか?」

「ううっ……、し、小食なので……」

 散らばったおにぎりの残骸を拾い集めて朔の隣に腰を下ろす。


 ビクッといちいち怯えて肩を竦めはするがひとまず逃げ出す様子はない。

 隣の席から見つめ続けたことが功を奏して、わずかながらにでも慣れてきているのだろうか。

 警戒心剥き出しで威嚇し続けていた野良猫が近付いても逃げなくなったみたいで少しだけ気分が良い。


「――こ、このお弁当……、トンカツが入ってますよっ!」

 俺の弁当を広げた朔の第一声がそれだった。誕生日プレゼントを開けた外国の子供みたいなリアクションを前にこっちが逆に驚いてしまう。


「それは驚くべき要素なのか? 昨日の晩飯の残りだぞ」

「……まさか、深瀬ふかせさんの手作り、なんてことは、ないです、よね?」

「なんで否定が先行してんだよ。俺の姉貴が作ってんだ。だから安心して食え」

「…………こ、これに口を付けたら、服を脱がされることを強要されるのでは?」

「しねえよ」

「………………ほ、本当にいいんですか?」

「ああ。これのお詫びだからな」

 落としたおにぎりの残骸を掲げてみせる。


「さ、先に食べてもいいんですか?」

「俺が使った後の箸で嫌じゃないなら、先に食うが?」

「い、いただきます」

 ちいさくぺこりと頭を下げて箸を掴む。シャーペンを持っていた時にも思ったがやはり左利きなんだな。


 そんなことより自分で言っておいてなんだが、真っ先に食べ始めたってことは俺の使った後の箸は嫌ってことだよな?

 おにぎりをダメにしてしまった落ち度を差し引いてもちょっと失礼じゃないか? 俺だって傷付くことがあるんだぞ?


「……美味しいっ」

 むぐむぐ口を動かしながら、朔は瞳を輝かせて弁当を見下ろしたまま呟きを零す。


 横顔ではあったが、こんな風にパッと表情をきらめかせているのを初めて目の当たりにして、俺は息を呑んだ。


 やはり、朔は怯えていなければ可愛い。


 無意識で傍らに手をやり、俺は小さく舌打ちしてしまう。

 教室を出て行く朔を追うことに気を取られ、弁当は手に取ったもののカメラを持ってくるのを忘れてしまった。


 ついばむみたいに小さな口へと忙しなく箸を運んで弁当を食べる朔の姿はいじらしく、この瞬間を撮ることが出来ない悔しさに歯噛みしながら見つめることしか出来なかった。



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