第15話
どたどたと不格好に廊下を走り去った
悠々と教室のドアを開けると、自分の席で小さく身体を丸めていた朔が怯えた視線を寄越してくる。
袋の鼠という状況を全力で体現しているみたいだ。
「そういうわけだから、改めてモデル頼むぞ」
「ひぃん……」
どっかりと自分の席に腰を下ろしながら声をかけると朔は弱々しい呻き声を漏らした。
わかりにくいが肯定と受け止めておこう。
なにしろ朔には断る選択肢なんてないのだから。
生徒玄関前のパネル撤去を盾に強請っているみたいで気が引けないわけではなかったが、俺にだって納得のいくポートレートを撮るという目的があるのだ。
昨日の親父との対話はきちんと実益を伴っていた。
親父の鼻を明かしてやりたい悔しさはじりじりと燻り続けているが、同時に親父から指摘されたフォトグラファーとしての矜持を冷静に受け止めることも出来ていた。
まずはモデルである朔のことをじっくりと観察し、理解することから始めよう。
やがてホームルームの開始を告げる予鈴が鳴り始め担任が教室にやって来た。クラスメイトたちが各々の席に着き、担任の眠そうな声で連絡事項が告げられる。
こんな興味の欠片も湧かないホームルーム中でさえも、席が隣同士という圧倒的アドバンテージのおかげでずっと朔のことを観察していられる。
しかも一番後ろの席なので目立つこともない。さらに朔自身がまるで目立つ存在ではないこともあり、まじまじと朔を見つめていても教室内の誰一人として気にする者もいない。
この状況になって初めて実感したが、まわりからの余計な邪魔を気にせずに済む分、まるで目立たない朔という存在は被写体として最高の逸材と思えた。
これがクラス内でも無駄に目立っている
観察目的とはいえ、俺が朋華を見つめていることに誰かが気が付いてしまうからだ。
好奇心ばっかり旺盛な陽キャたちは、たったそれだけのことで熱っぽい視線を投げかけていただのと大盛り上がりするに決まっている。さながらバナナを投げ込まれた猿山の如くキーキー我先にと騒ぎ始める姿が目に浮かぶようだ。
やがて一限目が始まり、授業中の朔の姿を隣の席からじっくり見つめる。
こうしているいまも、教師も含めて誰一人として気にかけてさえいない。何もかもが好都合に思えた。
きっちりと膝を揃えて椅子に浅く腰掛け、猫背気味に背中を丸めて肩を竦めたような姿勢で身を縮めている。
黒板の板書を写すノートの文字は小さいうえに弱々しく掠れて、病人が遺書をしたためているかのようだった。
姿勢はすこぶる悪いがシャーペンの持ち方は綺麗だった。どうやら左利きみたいだが、細い指先と貝殻みたいなピンクの爪は無性に庇護欲を誘ってくる。
しかしながら、こんな調子で俺がじっくりと観察している間中、朔は完全に俺の視線に怯えて顔を歪めていた。
ケージの隅に追い詰められた痩せっぽちのハムスターみたいに震えながら、ちらちらと俺の視線を気にしてはビクビク肩を震わせている。
俯いた前髪の隙間から引き攣った表情を覗かせる様は、呪いのビデオの井戸から這い出てくる某キャラクターを思い出させた。呪う側ではなく被害者側という相違点はあったが。
そんな気の休まる暇のなさそうな朔の心情を完全にまるっきり無視して、午前の授業中ずっと観察を続けた。
腐っても、いや腐ってなどいないのだが、プロのフォトグラファーである親父からの助言を雑に切り捨ててしまうほど俺は反骨精神に酔ってはいない。
いまはどんなに悔しかろうと、親父から『被写体であるモデルのことを理解しろ』と言われた以上は聞き入れるのが筋だ。
だが結果的に、俺の視線に警戒を続ける朔の表情は引き攣ったままだった。
何の成果も得られなかったし、得られた手応えだってまったくなかった。だからといってここで諦めるわけにはいかない。この怯えて震え続けるか弱い存在のことを絶対に理解してやるんだ。
そんな俺の意気込みを含んだ呼気にさえビクつく朔の視線は、どこまでも迷惑そうな色合いを感じさせた。
だからといって引き下がるつもりはさらさらないがな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます