第14話

「……あ、あの、パネルの撤去は?」

「うおっ、……なんださくか、びっくりさせんなよ」

「ひぅっ、ご、ごめんなさい……」


 翌日、登校してきた俺のことを生徒玄関で待ち伏せていたのだろう、月見里やまなし朔が足音も立てずにスルスルと近寄って消え入りそうな声で問いかけてきた。


 ちんまりと指先で俺の袖を摘まんで、生徒玄関前に展示されたままのパネル写真を小刻みに震えながらおずおずと指し示す。


「ああ、パネルな……」

 指摘され、改めて昨日設置されたパネルを見上げる。


 そんな俺に釣られるようなこともなく、朔は指差したままの姿勢で首を捻っている。パネルを直視しようとしないのは、せめてもの抵抗のつもりなのだろうか。


 まあ、自分が気持ちよく野ションを終えた直後の姿をまじまじとは見たくないのだろう。

 気持ちはわからなくはない。わからなくはないが、そんな風にされると俺の写真が遠回しに貶されているみたいで気分が悪い。


 さらに俺の気分を害している理由はそれだけじゃない。


 昨日に引き続き、と言ってしまうと悔しさで押し潰されそうなのだが、パネル写真に目を留める生徒が本当に一人もいないのだ。

 展示が始まってすぐなので、まだ周知されていないだけという可能性が昨日までは主張できた。

 しかし二日目となった今朝の時点で気付かれていないということはさすがにないだろう。

 なにしろ生徒玄関前なのだ、よっぽど意識的に目を逸らさない限り必ず視界に飛び込む位置だ。にもかかわらず目を留めることも足を止める生徒もいないということは、つまり至極単純に誰も興味を示していないのだ。


「くっそぉっ!!」

「ぃひいいぃぃっ!?」

 握り締めた拳に苛立ちを乗せてドンッと下駄箱を叩くと、袖を摘まんでいた朔が飛び上がって悲鳴を上げ怯えた野良猫みたいに物陰に身を隠してしまう。


「あん? なにやってんだよ?」

「と、突然、大声で叫ぶから……、殴られるのかと、思って……」

「そんな気が狂った真似するわけねえだろ」

「い、いきなり下駄箱殴り付けるのは、充分狂ってると思う――」

「あ? なんだって?」

 小声でごにょごにょ呟く朔の声は本当に聞き取りづらい。こちらが難聴になってしまったかと不安になるほどだ。


「ひぃぃっ、ごごご、ごめんなさいっ! ……そ、それで、このパネルはいつ撤去してもらえるんですか?」

 耳に手を添えて距離を詰める俺の態度を威嚇とでも思ったのか、朔は身を縮こまらせながら両手をブンブン振って謝ってくる。


 ひとしきり手を振り終え今度は意を決した様子で小さく咳払いすると、そろそろと自分の後ろ姿が写ったパネルを改めて指差す。


 なるほど、パネルを撤去してもらう約束が果たされていないから俺の登校を待っていたわけか。

 教室で待っていればどうせ席が隣で顔を合わせるのに、よほど取り外してほしくて仕方ないらしい。


「心配しなくても昨日の昼休憩に担任には伝えておいた。……ただ、学校側もわざわざ設置したものをすぐに撤去するのは難色を示していてな」

「そんな……、もう一回ちゃんと説明して、外してもらってくださいよ……」

「ちゃんと説明って、野ションのこと言っても良いのか?」

「やめてくださいっ!? そ、そこは説明しなくても良いじゃないですかっ!?」

「うーん、ダメだ」

「そそ、そんな……っ、おしっこ直後の写真だなんて知られたら、私もう生きていけませんよぉっ、ううぅっ……」

「いや、そっちじゃねえ。まだ撤去は出来ない」

「は、はぇ? えっ、き、昨日、モデルになったじゃないですか……?」

 うっとうしい前髪越しに大きく目を見開いて俺を見上げてくる。


「アレじゃダメだ、ぜんぜんダメだ。もっとちゃんとした写真を撮らせろ」

「うえぇぇっ!? いい、一回だけって言ったじゃないですか!?」

「一回だけなんて言ってねえ。とにかく、昨日の写真じゃまったくダメなんだ」

「そんなこと言われても……、なにが、どう、ダメなんですか?」

「……お前の、朔の表面しか撮れていない」

 怪訝そうに眉をひそめる朔の鼻先に指を突き付ける。まるで猫みたいに指先を凝視しながら、朔はますます不可解そうに首を捻る。


「表面、ですか……? 表面……?」

「そうだ。だから改めて、剥き出しのお前を撮る」

「剥き出し……?」


 昨日、親父の口から語られた、フォトグラファーとしての言葉を要約して思い出す。


 ――ファインダーを通してモデルの心を剥き出しにさせる。


「そう、剥き出しだ。俺は今度こそ、お前を丸裸にしてみせるっ!」

「ぃぃ嫌ですぅっ!?」


 拳を握って力説する俺の勢いに圧されてなのだろう、朔はひっくり返りそうなくらい仰け反って後退りながら、

「やっぱりヌード撮る気満々じゃないですかぁっ!? ひいいぃぃぃぃっ!!」

 自分の細い身体を抱き竦めて悲鳴を上げながら走り去ってしまった。


 そんなつもりはなかったのだが、なかなか上手く伝わらないものだな。

 かといってヌードを撮る気なんてまったくないと言うと嘘になってしまうが、ここでガツガツ行き過ぎても仕方ない。




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