第13話

 もはやオウム返しどころか完全に言葉に詰まってしまう。

 まさか親父がデタラメを並べ立てていることはないだろう。そんな負け惜しみを感じさせる余地さえ与えられず、完膚なきまでに叩きのめされた気分だった。


「……どうやって、心を開かせれば良いんだよ?」

 強がる意固地ささえ手のひらからサラサラと零れ落ち、うっかりと素直に問いかけた声は掠れていた。


「まず、被写体であるモデルの一挙手一投足に至る全てをしっかり観察して理解しろ。ポートレートはお前の得意な風景写真とは違って生き物が相手だ。しかも意思の疎通が可能な人間だ。見て、知って、理解し、心を解きほぐすのがフォトグラファーが最も重きを置く作業だからな」

 顎髭を撫でながら親父が笑みを浮かべる。それは俺を見下しているわけではなく、かといって得意気という様相でもない。


 俺の勝手な思い込みだが、「お前も早くここまで登ってこい」と暗に示されているように感じた。

 親子である贔屓目もあるが、さすがに好意的に解釈しすぎだろうか。


「やれやれ、喋りすぎて喉が渇いたな」

 膝に手を突いてソファから立ち上がった親父はダイニングテーブルに置いていたペットボトルを取り上げる。


 特に珍しくもないコーラなのだが、親父はぬるくなったコーラを好んで飲むのだ。

 そんなただの趣味嗜好もフォトグラファーの感性を形作っているのかもしれないと、こっそり真似ていた時期もあった。

 けれどやっぱり、ぬるいコーラは口に合わなかったので真似るのはすぐ止めた。


「たーだいまー」

 親父がペットボトルに口を付けたと同時にリビングのドアが開き、姉の倫子りんこが帰宅してきた。


 コーラを飲む親父と深刻な顔でソファに座っている俺に一瞥すら寄越すことなく、脇目も振らずにキッチンへ向かい冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出す。

 プシュッとプルタブを持ち上げすぐさま口を付け喉を鳴らして一気に飲み干す。


「ああぁぁぁぁっ、生き返るわぁぁ……」

 すぐそばでコーラを飲んでいる親父を差し置いて、酒焼けしたおっさんみたいな声を漏らす。


 倫子はこの春から大学四年生になった俺より六つ年上の、絵に描いたような愚姉だ。

 もはや説明の必要もないくらい、見ての通りすこぶる酒癖が悪い。倫子曰く、ノーアルコール・ノーライフらしいが、そんなものはアル中の戯れ言にしか聞こえない。


 そんな倫子は、弟である俺の口からは絶対に言いたくはないのだが、黙ってさえいれば超を付けても差し支えないほどの美人だった。

 ヒールでも履こうものなら俺の身長を超えてしまう長身に、モデル並みのメリハリの効いたプロポーションを携えている。

 大学のミスコンで初の連覇を果たしたらしいのだが、自宅での怠惰極まりない姿を知っている俺にはどうにも信じられない。


「なんだ倫子、今夜は合コンとか言ってなかったか?」

「えー? あー、あれね。パスパス。そっちから誘って来といて当日にバタバタして待たせるとか無いっしょー」

 親父が問いかけたとおり、倫子は今夜は遅くなると言って出掛けたのだ。


 やれやれと首を振って肩を竦め、ひょいっと二本目の缶ビールを取り出しお尻で冷蔵庫のドアを閉める。


 風呂上がりに牛乳を飲み干すみたいに腰に手を添えて缶ビールをあおる姿は、どう好意的に解釈しても残念にしか見えない。

 大学のミスコンの判定基準はアルコール摂取量なんじゃないかと疑ってしまいたくなる。

 とにかく、それくらい倫子は自宅ではずぼらだった。


「んで、真影まかげはなにをちっとも似合わない深刻な顔してんのよー?」

「うるせえ放っとけ――」

「真影が撮ってきたポートレートを見てたんだ。及第点にはまだまだだがな」

 ソファに座った俺からの呆れた視線に気が付いた倫子がからかってきて、関係ないと言い返そうとしたところ親父に遮られてあっさりバラされてしまう。


「えーっ、うっそ、真影が撮ったの? ポートレートを? ちょっと見せて見せてー」

 二本目の缶ビールも一息に飲み干した倫子は踊るような足取りで近寄ってくるなり、ほろ酔いとは思えない素早い動作でテーブルに置いていたタブレットを奪い取る。


「おい勝手に見るなよっ」

「ちょ――」


 タブレットに表示された朔の写真を見た倫子は一瞬息を呑んで、

「どうしたのこれっ、すっごいアヘ顔ダブルピースじゃん!」

 堪えきれずに吹き出し、腹を抱えて笑い転げながら、笑いすぎてゲホゲホと嘔吐いた。


 足をばたつかせながら苦しそうに笑い続ける倫子に指摘されて気が付いた。


 朋華ともかに指示されながらさくが取ったポーズは、その悶絶寸前みたいな笑顔と呼ぶにはいささか強張りすぎた表情にピースを添えていたため、確かにアヘ顔ダブルピースに見えなくもなかった。

 いや、たったいま言葉にされてしまったせいで、もうこの瞬間からアヘ顔ダブルピースにしか見えなくなってしまった。


 倫子の苦しそうな笑い声が響き渡るリビングで、俺は自分の撮った写真がまさかのアヘ顔ダブルピースに貶められた結果に途方に暮れてしまう。


 悶絶している朔の写真に視線を落とし、あらゆる感情を吐き出すみたいに大きな溜息を零すことしか出来なかった。



 

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