第11話
そんな八方塞がりな状況が続いていた今朝、生徒玄関前で
まさしく灯台下暗しと言うべきだろう。朔の存在感がなさ過ぎるせいで隣の席だったのに今日まで気が付くことさえなかったのだから。
そして放課後のポートレート撮影を試行錯誤の末に終えて、帰宅した俺はリビングで親父と向き合ってソファに浅く腰を下ろしていた。
「それじゃあ
今日撮影した朔の写真データをタブレットに転送し、若干マシな――、最低限見られなくはない程度のものを選び出して親父に声をかけたのだ。
「……ああ。まあ、まだ小手調べ的な、練習代わりの――」
「御託はいい。さっさと見せろ」
俺の語尾を遮ってタブレットを強奪した親父は画面を一瞥するなり、
「お、おぉ……っ」
絶句という反応のお手本みたいに口元を手のひらで覆って眉をひそめた。
「それはまだ試し撮りの段階で、ぜんぜん本気を出してるわけじゃねえから」
「いや真影、本気うんぬんの話じゃなくてだな……」
「ISO感度とF値の設定はこれから最適なところを探るつもりだから――」
「カメラの設定の問題じゃなくてな、……これは、合意の上での撮影か?」
「当たり前だろ」
深刻な顔をして何を訊ねてくるのかと思えば、そんな初歩的な質問とは呆れてしまう。
自分の息子がモデルに許可も取らずに撮影に及ぶ不届き者と思っているのだろうか。まったくもって心外だ。
「そ、そうか……、合意の上でこんな追い詰められて引き攣った表情になるとは思わなくてな……。これはテーマはあれか? B級ホラー映画のチープな宣伝ポスターを意識してるのか……?」
「違うが?」
「そうか、違うのか……」
何をどう解釈しているのか、親父は心の底から残念そうに目を伏せて大きな溜息を零した。むしろホラー映画のポスターを意識していて欲しかったと言わんばかりの態度だ。
「それで、……どう思う?」
タブレットを手放し、伏せた目をまぶたの上から指で揉む親父に感想を促す。
自分でもきちんと自覚はあるのだ。
この朔の写真で色好い評価を貰えるはずがないと。
曲がりなりにも、親父は曲げているつもりなんてないのだろうが、プロの視点から批評してもらって具体的な改善点を伺うために見せたのだ。
しばしの沈黙がリビングの空気を重くし、生唾を飲み込む音さえ届いてしまいそうな沈黙の中、
「あのフォトコンテストで特選になった写真はかなり良かったんだがな……。お前は本当に人物を撮るのが壊滅的に下手だな……」
親父が大仰に溜息を吐きながら言い捨ててきた。
「いや、まともな人物撮りは初めてだったから不慣れなだけで……」
「去年……、いや一昨年だったか、
せっかくの言い訳をあっさりと覆され言葉に詰まる。親父が見ている前で撮ったことはなかったはずなのに知られていたとは驚きだ。
「朋華を撮ったあれは、それこそお遊び感覚だったから……」
「何感覚だろうと撮っていたことに変わりはない」
にべもなく断じられてしまい、理不尽さに苛立ちを覚える。
だが、仕方ない。事実なのだから。
苛立ってしまうのは図星を突かれた自覚があるからだ。けれど壊滅的に下手とまで言い捨てられるのはあまりに不本意だった。
「……も、モデルが――」
「モデルのせいにするなよ? それは自分の力量不足の責任転嫁だ。フォトグラファーとして絶対に口にしてはいけない言葉だ」
俺が口にしようとした言葉を完璧に予測してなのだろう、伏せていた目を薄く開いて刺すような視線で貫かれる。
ぐうの音も出ない正論をぶつけられた挙げ句、信念のこもったプロの視線に仰け反りそうなくらい圧倒されてしまった。
「わ、わかってるよ……」
「うん、ならいい。しかしそうなると……、あの特選の写真は後ろ姿だったからか? 正面から撮ってこの様だと……」
改めてタブレットを手にし、顔を背けながら耐え忍ぶみたいに朔の写真に視線を落とす。
親父が疑問を抱いているみたいに、特選となった写真が後ろ姿だったから上手く撮れたわけではない。
実際はそれよりもずっと単純に、偶然写り込んでしまっただけなのだ。
しかもクラスメイトの女子が、野ションを終えて立ち上がった瞬間なのだ。
さらに、その野ション女はいま親父が手にしたタブレットに映し出されている朔だと言ったら親父はどんな顔をするのだろうか。
そもそも冗談みたいな一連のこの話を信じるだろうか。
ただいずれにしろ、特選を受賞した写真の真相を親父に語ることは出来ない。
簡単な話だ。ただの偶然で撮れただけの奇跡の一枚だと、俺の実力なんて欠片も反映されていない取るに足らないつまらない一枚だと思われるのがたまらなく嫌なのだ。
まるで評価されないことよりも、一度下された良い評価を覆されるほうがはるかに傷付いてしまう。想像しただけで恐ろしい。
だってそれは、崖にぶら下がって落ちかけていたところを助けてくれたのに、わざわざ引っ張り上げてから改めて崖に突き落とされるのと同じだ。ぬか喜びってやつだ。
だから、偶然でしかない奇跡の一枚とはいえ、いったんでも親父が認めてわずかでも評価してくれた写真の真相を語ることだけは、口が裂けても絶対に出来ない。
「いや、あれだよ、今日いきなりモデルを頼んで時間がなかったし、俺も慌ててたせいでこっちの緊張が伝わっちまったのかもしれない……」
どうにも不可解そうに口元を曲げてタブレットに視線を落とす親父に、しどろもどろになりながら苦しい言い訳を並べ立てる。
「いや、これはそういうレベルの話じゃないぞ……?」
「どういうことだよ?」
「そもそもの確認だが、このモデルの子には『笑顔』を求めたんだよな? お前は笑顔を撮りたくてシャッターを切ったで間違いないよな?」
「ああ、そうだが……」
そんな当たり前すぎる確認を踏まえないと確信に至れないほど、朔の笑顔は歪みきって見えるらしい。事実、歪な笑みであることに異論を差し挟める余地はないのだが。
「いいか真影、よく聞け。お前は根本的に笑顔が撮れていない」
「……いや多少緊張から歪に見えるが笑ってるじゃねえか?」
確かに歪みきってはいるものの、タブレットに映った朔の表情は、言うなれば笑顔の部類だ。憂いを湛えてはいないし、怒ってもいなければ泣いてもいない。
「違う。これは無理やり笑わせている、笑顔を作らせているだけだ」
「なにが違うんだよ?」
「笑顔を撮る際に、シャッターを切るその瞬間だけ最高の笑顔を形作らせれば良いと思ってないか?」
「……いやだって動画じゃねえんだから、最高の瞬間を切り取れれば良いわけだろ」
「それは上辺だけの表層面を切り取っているにすぎない。それじゃあダメだ。その写真にはモデルの心が写っていない。何度撮っても同じだ」
口調はどこまでも淡々としていたが、親父の語る言葉には実感として重さがあった。
「こころ……、って、じゃあ笑ってくれって指示もせずに、モデルが自然に笑うのを待てってのかよ……?」
「その自然な笑顔を引き出すために、モデルの心を解き放つのがフォトグラファーの腕前だ。極論になってしまうがシャッターを切るだけなら素人でも出来る」
それは確かにそうなのだが、それでは俺がずぶの素人だと決めつけられているみたいで気分が悪い。
もちろん職業としてフォトグラファーをやっている親父から見れば、疑いようもなく素人でしかないのだが。
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