第9話
「そんな、『笑え!』なんて無理やり命令されて笑えるはずないでしょ。
「あうぅ……」
さすがに見かねたのだろうか、
ベンチに腰を下ろしたまま石化したみたいに固まっている朔の頬をむにっと摘まみ、
「んー、まずはとにかく表情の硬さをどうにかしないとね。とりあえずピースとかしてみようよ?」
朔の頬をやんわり摘まんで揉みほぐすみたいに動かし、朋華がピンと伸ばした指先を目元に添えて横ピースを作りウインクする。
「ピースしてる姿のポートレートなんて不自然になるだろ……」
これに関しては撮影者の感性によりけりだろうが、ピースサインには明確に撮られることへの意思が混じってしまう。
それは作品として俺が求めているポートレートとは違う。
カメラを意識していない自然な微笑みを浮かべた、強いて喩えるならモナリザみたいな美しさを求めているのだ。
「そんなこと言ったって、このまま朔ちゃんのこと睨んでても変わんないでしょ。
目元に横ピースしたまま朔から俺へと視線を寄越す朋華の言い分は、不本意極まりなかったが一理あった。
いやむしろ、ぐうの音も出ないほど朋華の言うとおりでさえあった。
俺は風景撮影にのめり込みすぎて、待ちわびた決定的瞬間に一発のシャッターで切り取るこだわりがあった。だから、あの菜の花畑で白いワンピース姿の朔が写り込んだことが狂いそうなほど腹立たしかったのだ。
――バシャッ。
ぴしゃりと叩き付けるような、やや甲高いながらも指先にしっかりとした重さを伝えてくるシャッター音が響く。
いまだ表情を強ばらせたままの朔をひとまず試し撮りしたのだ。
背面液晶画面に表示されたその顔は、もちろんひどいものだった。朋華に頬を摘ままれ、されるがままの困り切った表情は、安っぽい合成画像の趣さえ感じさせた。
しかも、いきなり撮られたことに驚いたのだろうか、朔はアワアワと唇を震わせ信じられないと叫ばんばかりの勢いで警戒心を滲ませてしまう。
「ほらほら朔ちゃーん、真影のカメラって黒くてでっかくて怖そうだけど、別に変なものは飛び出してきたりしないから安心してー?」
朋華が野良猫でもあやすみたいに優しく囁きかける。のだが、聞き方によってはあらぬ誤解を招きそうな言い方はやめろ。
「あぅ、あぅっ、と、とっと、撮られました……っ、うぅぅ……」
ガクガクと震えながら自分の身体を掻き抱く姿は、写真を撮られると魂を抜かれる迷信を信じていた明治時代の人間みたいな怯え方だ。
こいつ、もしかして幕末頃からタイムリープしてきたんじゃねえだろうな……? 鬱陶しい前髪のおでこを叩けば文明開化の音がしそうで若干の興味が湧いた。
「あー、うんうん、わかるよー。真影のカメラって威圧感あるもんねー。だいじょうぶだよー。ほらほらほっぺも解れてきたから次はピースしてみようねー」
もはや保育士じみた口調で朋華が宥めるのだが、朔から滲み出る緊張感が解れている様子は微塵もない。
それでも震える指先を決死の覚悟で持ち上げながら、朔は不器用に人差し指と中指を伸ばしながらピースを形作る。
こんな生きるか死ぬかみたいな表情でピースサインを作る奴を初めて目の当たりにして唖然としてしまう。
――バシャッ、バシャッ。
俺は俺で、生まれたての子鹿が必死で立ち上がろうとするみたいな朔の生き様を写し取るつもりで懸命にシャッターを切る。
俺は美しいポートレートを撮るつもりだったのに、どうしてこんな辛い現代社会を生き抜こうとする陰キャ女子の現実を伝える報道写真を撮らされているのだろう。
ファインダー越しに朔の苦悶の表情を見ているとピュリッツァー賞を狙えそうな気さえしてくる。
「んー、まだまだ表情が硬いのよねー。もっと目を大きく開いてみて?」
「うあぁ……、こ、こう、ですか……?」
「そうそう! じゃあ次は、少し唇を開いて口角を上げてみて?」
「ああぁぁ、あぅふっ……、こう、ですか……?」
「うんうん! ほらピース下がってるよ、両手でもっと顔に添えるようにしてみて?」
「んああ、あふぁ、んぁふあぁぁ……」
面白がっているようにさえ見える朋華の細かい指示に従って、いちいち身体全体を痙攣させるみたいにビクビクと震わせつつ朔はポーズを取っていく。
しかし身体を動かさないように緊張しているせいなのか、だらしなく開いた口元からは汗なのか涎なのか定かでない汁がこぼれ落ち始めている。
そして強張らせながらも目を大きく見開いているのだが、瞳孔が開ききっている瞳はどこを見ているのかわからず白目をひん剥いてしまっている。
さらに少しでも気が抜けると口元が疎かになりだらりと舌が覗く始末だ。
朔の正面に立って、お手本として朋華が横ピースを決めてポーズを取っているのだが正直まったく違っているし似ても似つかない。生体実験中に電気ショックを与えられて悶絶しているようにしか見えない。
――バシャッ。
それでも努力は汲み取ってやるべきだろう。
なにしろ朔は俺との交換条件を守って、この酷すぎる醜態を晒しているのだ。無理やり付いてきた朋華も最初はぐだぐだと邪魔していたものの、なんだかんだとポーズの協力をしてくれている。
俺はファインダー越しに届けられる、平穏な日常を送っていてはそう易々とはお目にかかれない朔の歪んだ表情から目を逸らさずシャッターを切り続けた。
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