第3話

「……は? あのワンピースの少女がお前だと?」

「そ、そうですっ、私ですっ!」

「……いや、いやいや。……そうだ、証拠だ。証拠がないだろ。ははーん、さてはあれだろ。後ろ姿で誰だか証明できないのを良いことに肖像権を主張して難癖を擦りつけてくる気だな? なにが目当てだ? 特選にはなったが学生の部だから賞金みたいなものはビタ一文なかったぞ?」

「証拠……、あります。言っていきますっ」

 俺の言い分を俯いて聞き終えたヤマナシはぽそりとそう前置きして、訴えかける視線を持ち上げつらつらと続ける。


「あの写真の場所は、市立植物公園です。園内に入って一番奥の菜の花畑ですよね?」

「……そりゃあ菜の花畑が写ってるからな。それに市の主催するフォトコンテストだから、それくらい誰だって予測できるだろ」

「じゃあ撮影日は、4月3日です。時間はお昼過ぎですよね?」

「うっ……、あ、当てずっぽうだろ……」

「だいたい二時から二時半くらい、そうですよね?」


 ヤマナシの指摘は怖いほど当たっていた。


 なにしろ日時までほぼ正確に言い当ててきた。当てずっぽうでここまで的確に言い当てているとしたら予知能力か俺の心を読んでいる可能性を疑わざるを得ない。


「ふう……。よし、わかった。悔しいが認めよう」

 このパネル展示された写真に写った白いワンピースの少女は、まさかの俺の目の前にいるモブ女子ことヤマナシだ。


 改めて冷静に目の前の女子を見下ろしてみる。

 見るからに根暗そうな猫背なうえ長い髪で表情を隠して陰気な印象をまとわりつかせ、常に何かに怯えているみたいに肩を竦めているせいでとにかく姿勢が悪い。

 小柄に見えるのは猫背と姿勢の悪さ、それに制服越しにもわかる体付きの薄さのせいだろう。はかなげと言えば聞こえはいいが、もっとわかりやすく一言で喩えるなら絵に描いたような陰キャ女だ。


 なんてこった、あの白いワンピース姿は馬子にも衣装ってやつだったのか。それとも、振り返るまでは美少女の雰囲気を醸し出している後ろ姿美人か。

 いや、さっきチラッと思ったが、こいつ顔はそれほど悪くはない。むしろ可愛い方だろう。しかし、それをきっちり上塗りして余らせるほど滲み出ている陰キャオーラが尋常じゃない。


「じゃあ、すぐに外してくださ――」

「その前に一つだけ訂正させてくれ。この写真は断じて盗撮ではない」

「……」


 無言だった。

 ただ前髪の隙間から眉根を寄せて目を細め、これ以上は無理と言わんばかりに疑念に満ちた視線を突き刺してくる。


 信用されていないのは仕方ないが、そのリアクションはあまりに露骨すぎて言葉で否定されるより傷付いてしまう。


「俺はこの日、本来は風景写真を撮るつもりだったんだ。菜の花畑と青空が画角に収まるようにカメラを固定するために三脚を据えていた」

 言い訳がましく聞こえているのだろうか、モブ女子は訝しげな表情は一向に崩さず無言で眉をひそめる。ていうか、いい加減手を離せ。


「ちょうど天気も良かったし満開で見頃の菜の花を撮ろうとあそこでずっと風待ちしていたんだ」


 紛れもない事実だった。一面に広がる菜の花畑に春の柔らかい風が吹き抜ける瞬間を待っていたのだ。


 風景写真を狙うカメラマンにとっては共通認識なのだが、理想の構図にカメラを固定してピントを合わせ、あとは想定している瞬間が訪れるまでひたすら待つのは常識なのだ。

 ただじっと何時間でも、その瞬間が訪れるのを待つ。風景写真にのめり込んだカメラマンにとって、三脚にカメラを据えてただその瞬間が訪れるのを延々と待つことは苦痛にならない。

 いつ訪れるともしれないその瞬間にシャッターを切るまでの、この待っている時間こそが醍醐味とさえ考えるくらいだ。


「そして、ついに理想的な風が吹き抜けて菜の花を撫でるように揺らしたんだ。すぐにシャッターを握りしめた瞬間、菜の花畑の中から白いワンピースの少女がいきなり立ち上がったんだ。まさかあんなところに人がしゃがんでいるだなんて思わなかったがあとの祭りだ。そんなわけでタイミング的にたまたま写り込んでしまっただけなんだ」


 説明した通りだった。

 吹き抜ける風が菜の花をそよがせ、今だ! と狙い澄ました獲物を撃ち抜くスナイパーさながらの集中力でシャッターを切った。

 渾身の一撃と言って良かった。なのにその瞬間、菜の花畑の中から人が立ち上がったのだ。


「だから盗撮ではない。ただタイミングが悪かっただけだ」

 長々と続いた俺の説明を聞き終えたヤマナシの疑いの眼差しはちっとも緩んでいなかった。しかし、どう疑われようとそれが事実なのだ。


 あの日は菜の花畑の側に三脚を据え付けて二時間近く風を待っていた。何度か風が吹き抜けるたびにシャッターを切っていたが満足できず、ついに念願の風が吹いたと思ったら人が写り込んでしまった。

 はっきり言って、のたうち回りそうなくらい腹が立った。俺の二時間を無駄にしやがってと胸の内で毒づきながら、その後さらに一時間ほど風を待ったが日差しの角度が変わってしまい諦めて帰路についたのだ。


 満足のいく撮れ高ではなかったが帰宅後に自室のパソコンへ撮影データを転送して確認してみたところ、怪我の功名とでも言えば良いのか思ったより悪くない写真が撮れていた。いや撮れていたは違うな、悪くない写真になっていた。


 そこでせっかくだし、ちょうど締め切りが近かった市の主催するフォトコンテストに投げ捨てるくらいのつもりで応募したのだ。それがまさかの特選となった。


 だから、奇跡の一枚なのだ。

 意図せず撮れてしまっただけの写真だから、偶然の産物でしかない以上あれを作品とすることは俺の矜持が許さないのだ。


 しかし、そんな俺の事情など知るはずのないヤマナシは、

「そ、そんな言い訳して、本当はずっと目を付けてて、跡をつけてたんじゃ……」

「あるわけねえだろ。仮にそんなストーカーみたいな真似して盗撮するつもりなら三脚担いで跡をつけるわけがねえ」


 知らない人には伝わらないかもしれないが、俺の愛用している三脚はカーボン製でそれ自体の重さは大したことないもののとにかく大荷物となる。

 移動のたびに脚を伸縮させたりは面倒なので、基本的には脚は伸ばしっぱなしで肩に担ぐのがデフォルトだ。どこのストーカーがそんな大荷物抱えた目立ちすぎる恰好で跡をつけ回すというのだ。


 それでもヤマナシは納得がいかない様子だったが渋々と小さく顎を引いて頷くと、

「じゃあ、盗撮じゃなかったってことで良いですから、すぐに外してください……」

「どうしてそっちが折れたみたいになってんだよ? 盗撮じゃないって言ってんだろ。それに言わせてもらうとだな、俺のほうだってせっかくのシャッターチャンスの邪魔をされたんだからな? そもそもあんなところにしゃがみ込んで何してたんだよ?」


 言い返しはしたものの、勝手にフォトコンテストに応募した落ち目はまだまだ俺の方にある。

 しかし盛大に棚に上げることにした。

 なにしろ完璧に後ろ姿なのだ。あれでどこの誰だかを判別できる奴は本当に超能力者か何かだろう。


「……………………した」

「なんだって?」

 俺の腕を掴んでいる反対の手でスカートの裾を掴んでくしゅくしゅと握り締めながら、ぼそぼそと何事かを呟く。しかしながら声がか細すぎて全く聞こえない。


「………………してました」

「ああ? なんだって?」

 別に一昔前の難聴系ラノベ主人公になったつもりはない。モスキート音のお手本みたいな声量のせいで本当になにを言っているのかさっぱり聞こえないのだ。


 改めて問いかけ、俯いて顔を伏せてしまったヤマナシに耳を近付けると、


「……お、おしっこしてました」


 と震える小声が俺の鼓膜に届けられた。




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