第2話
「もう一度自己紹介しよう、俺の名前は
わざわざ再び名乗りながらパネル下のキャプションプレートに表示された作品タイトルと撮影者名を指差す。もちろんそこには俺の名前が刻まれているからだ。
なるべく自慢げに聞こえないように勿体つけることなくさらりと宣言して、前髪を掻き上げさりげなく流し目を送った。
ほーら、驚愕の眼差しの中に熱っぽい羨望と憧れを乗せるなら今がその時だぞ?
「……うぐ、……こ、これは、いつから、ここにあるんですか?」
期待通りにヤマナシは驚愕の眼差しで俺を見つめてきた。
しかし俺の期待通りだったのはそれだけで、ヤマナシはすぐに俺から視線を外すなり消え入りそうな声でパネルを指差した。頼りなく細い指先が小刻みに震えている。
「今朝からだ。俺は断ったんだが教師共がどうしてもパネル展示したいって聞かなくってな。まったく困ったもんだぜ……」
肩を竦めてやれやれと首を振りながら、ほぅっと長い溜息を零す。
本当は断ってなどいない。
パネル展示の話を切り出されたとき、まあ俺は別にどっちでもいいッスけどぉ? と緩む口元を引き締めながらあやふやな返事をしただけだ。断ったわけではない。
実際はパンクロックのライブ中みたいに、首がもげてしまいそうなノリノリのヘッドバンキングで頷きたい気持ちだったが奥歯を噛み締めて堪えたのだ。
もちろん、そんな言う必要のないことなど秘密だ。俺は口の堅い男だからな。
「……じゃあ、まだ、そんなに見られてない、ですよね?」
「まあ、そうだな。この学校には残念ながら美的センスの溢れる有望な奴が少ないみたいでな。パネルの前に足を止めてじっくり鑑賞したのは、……今のところお前が最初だ」
「あ、ああっ、あなたが、撮ったんですか……?」
「そうだ。この俺、一年二組の天才フォトグラファー、深瀬真影が撮った傑作――」
「取り下げてくださいっ!」
三度の自己紹介に興が乗り始めた俺の語尾を遮って、ここまでの消え入りそうな声量が嘘みたいにヤマナシが声を張り上げた。
思いがけず目の前の女子がいきなり発した大きな声に狼狽えてしまい、仰け反りつつもなんとか持ち堪えた。
「……は?」
「い、いいいっ、いますぐっ、取り下げてもらって外してくださいっ! す、すぐに誰にも見えないようにしてくださいっ!」
「なんでだよ……?」
「こ、こん、こんっ、こん――」
突然、豹変したみたいに俺との距離を詰めながら慌てまくってコンコン言い始める。
もしかしてこれが狐憑きってやつなのか? 初めて見た。カメラ出していたら即シャッターを切っている決定的瞬間だ。
しかし、しきりに俺を見上げてくる伸ばしっぱなしの長い前髪の隙間から覗く顔は、好みの差はあるだろうが意外なほど整っていて可愛らしく見えた。遠巻きには最初の村のモブキャラっぽかったが街の有識者の娘キャラくらいには整っている。
それなのに普通にしていれば整っているだろう顔を、どういうわけか顔面蒼白で絶望を色濃く滲ませて歪めているのだ。この顔が普通の状態なのでなければ、きっともっと可愛らしいのだろう。……おそらくだが。
「ど、どうした……? ひとまず落ち着け」
「――ヴォエ!」
「うぉおいっ!?」
やたら詰め寄ってくるヤマナシを手のひらで制したところ、いきなり噎せて嘔吐いた。
嘔吐いた、で間違ってないよな? かなりリアルで湿っぽい擬音だったが。
可愛らしいなんて柄にもなく思い浮かべた矢先の不意打ちだったせいで驚きもひとしおだ。
なんなんだこの女は? 口元の涎を手の甲で拭いながら怨めしく見上げてくる目力の強さなんてヤバい薬でもキメてる奴のそれだ。前言撤回だ、まったく可愛くねえ……。
「……は、外して、ください、お願いしますぅ」
蔑みきっていたはずの俺の視線に気が付くこともなく、よろめきながら縋り付こうと手を伸ばしてくる。
ゾンビ映画で味方が感染して襲ってこようとするシーンか、和製ホラー映画で呪いに憑依されたやつが襲ってこようとするシーンみたいだ。いずれにしろ襲われそうになっているという現状に差はない。
「いや、外すことは出来ん。諦めろ。じゃあな!」
これ以上関わってはいけない。本能がそう訴えて警鐘を鳴らしはじめ、俺はにじり寄ってくるゾンビヤマナシから距離を取る。
ノールックで振り返るなり取るものも取りあえず教室へと駆け出そうとしたのだが、
「ま、待って下さいっ、外して下さいぃぃ!」
追い縋ってきたゾンビに腕を掴まれてしまった。
触れられたくらいでゾンビ感染はしないと思いたいが、小柄に比例した小さな手のくせにすごい力だった。
このまま引き摺れなくもないが、いまこの状況でさえも続々と登校してくる生徒たちが眉をひそめて眺めているのだ。違うぞお前ら、どうせ見るなら俺たちじゃなくてパネルの写真を見ろ。
「おい、離せ。俺が何事か酷いことをしているみたいに思われるだろ?」
「だ、だったら、あの写真外してくださいぃぃ! いますぐにぃぃ!」
もはや俺の腕にしがみつくことに必死で周りのことなんて目に入っていないようだ。
ここまで必死に外させようとする意図がまるでわからなかったが、このまま二人綱引きを続けていても埒があかない。外させたい理由くらいは聞いてみるか。
「……なあ、一応聞いてやるが、どうしてそんなに外して欲しいんだよ?」
掴んだ俺の腕をがっちり両手で握りしめるヤマナシに恐る恐る訊ねてみる。
どんなに怪しい勧誘の手練れだろうと、この状況から勧誘を始めたり高額な壺の購入を勧めたりはきっとしないだろう。あまりにも力技すぎるからな……。
「……だ、だって、あの写真、……と、ととっ、盗撮じゃないですかっ!」
「はあっ!? な、なに言って――」
「あの写ってる人に、許可、取ってないじゃないですかっ」
俺の耳に届いた理由はまさかの言い分だった。
驚きに目を丸くしてしまった俺のひっくり返った声を遮って、ヤマナシは意外にも許可の有無を持ち出してきた。
「ぐっ……、後ろ姿だから、許可なんて必要ない……」
途端に旗色が悪くなってしまった。まさかそんなリテラシーを持ち出してくるとは想像もしていなかった。
初心者のバタフライくらいばっしゃばっしゃと不格好に目を泳がせながら辛うじて反論したものの、ご指摘の通りワンピースの裾を風になびかせる後ろ姿の少女に撮影の許可は取っていない。さらに言えば、撮影した写真をコンテストに応募して良いかの許可も得てはいなかった。
「う、写ってる人に申し訳ないとか、思わないんですか……?」
「……思わないわけじゃない。しかしだな、さっきも言ったがこの少女は後ろ姿だ。この写真から個人を特定するなんてはっきり言って不可能だ」
「ひ、開き直った!? ひどいですぅ……」
「いや、そもそもどうしてお前に許可だの言及されないといけないんだよ? ……ははーん、わかったぞ。さては他人が認められて成功を収めているのが妬ましいんだな?」
「違いますっ」
「だったら別に関係ないだろ」
「ありますっ」
「だからどうして――」
「あれ、私だからですっ!」
頑なに掴んだままの俺の腕をギュッと握りしめ、ヤマナシは毅然とした態度で――、なんてことは欠片もなく、上目遣いの眼差しを苦痛に歪めつつ押し付けてきた。
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