はだかの笑顔 ~アイツの弱みにつけ込んでヌードを撮ろうと画策する話~

亜麻音アキ

第1話

 緩やかな丘一面に広がる菜の花畑にすっきりと晴れ渡った青空のコントラスト。

 

 そんな菜の花畑の中程で、透き通るみたいな真っ白いワンピースの裾を吹き抜ける春風になびかせる少女の後ろ姿。


 構図、コントラスト、シャッタータイミング、その全てが完璧に美しく噛み合った奇跡の一枚だ。


 作品タイトルはごくシンプルに『春風』とした。


 才華さいか高等学校一年生、深瀬ふかせ真影まかげ。特選受賞作。


 我が市の主催するフォトコンテスト、学生の部で特選に選ばれた俺の作品だ。


 こう言っては何だが正直、大した規模のコンテストではない。謙遜とかではなく本当に知る人ぞ知る程度のコンテストだ。


 市内で撮影された写真であることが応募条件となっている、どこの市や街でもあるだろう市民参加型のほんの小さな催しだ。

 興味がないから調べてないが、どうせ応募総数だってせいぜい多くて十数点くらいのものだろう。選考委員だって肩書きだけはご立派な市議会議員やちょっぴりカメラに詳しい市の職員が数名とかだろう。名前だけは輝かしい特選に輝いたのも、俺から言わせればある意味当たり前としか思えなかった。


 この『春風』を撮ったのは高校入学直前の四月頭だった。

 それから申し訳程度の選考を経て五月の中旬に結果が発表された。学生の部の応募時に記入が必須だった連絡先が、自宅と学校だったせいで当たり前だが在学確認のため学校に連絡が入った。

 自校の生徒から特選受賞者が現れたことに大層驚いて喜んだ教員たちから呼び出され、大きく引き延ばしてパネル展示しようと提案された。せっかくの申し出を断るのも忍びないし、もちろん悪い気なんてするはずなかった俺は了承した。


 そういった経緯を経て、いまこうして生徒玄関前の一番目に付く掲示板の隣に額装までされて飾られたところだ。


 ふむ。壁一面を覆うサイズに引き延ばされたパネルの前で腕組みの仁王立ちして眺めてみるが、我ながら改めて素晴らしい写真だと思う。


 自画自賛になってしまうが、まさに奇跡の一枚と呼ぶにふさわしい出来だ。


 ――そう、奇跡の一枚。


 ふっと短く息を吐いて腕組みを解く。飾られた瞬間の高揚感はもうすでに風前の灯火くらい消えかかっている。


 じつに簡単な理由で、この『春風』は厳密に言ってしまえば俺にとって作品ではないのだ。

 だから謙遜でもものの喩えでも何でもなく、事実として奇跡の一枚であり、それ以上でもなければそれ以下でもなかった。


 たったいまパネルの設置を終えた業者の作業員たちが教員に連れられてその場をあとにしたのと入れ違いに、生徒玄関に登校してくる生徒たちの姿がまばらに見えた。


 この写真が作品とは認められない証拠というわけではないのだろうが、上履きに履き替えて各々の教室を目指す生徒たちの多くは、パネルを前にしても誰も足を止めることはなかった。


 生徒玄関からどこに向かうにせよ、目隠しでもしていない限りは視界にほぼ必ず入る位置に展示されているのに、誰一人として気が付いていない。いや気にしていないと言うべきか。いやいや、気を引かれていないと言ったほうがより正確だろう。


 つまるところまるで興味を示していないのだ。


 生徒玄関の端っこに身を潜め張り込み中の刑事のように鋭い視線で睨み付けていると、中には数人ほど歩く速度は緩めることなく首だけ捻ってちらりと眺める生徒はいた。

 しかし、それだけだった。俺の写真に心を動かされているような表情ではなく、「……あれ、昨日こんなのあったっけ?」と疑問を感じている顔だ。

 その場から三歩も進んでしまえば記憶中枢にも残らない程度の判然としない顔で、歩調を緩めることさえなく立ち去っていくだけだった。


 これは作品ではない、などと自分に予防線を張っていたにもかかわらず、だんだんと苛立ちが湧き上がってきた。


 居ても立ってもいられず、何年生なのかは知らないが登校してきてパネルに視線を向けた一人の男子に詰め寄り、「なあ、この写真どう思うっ!?」と思い切って声をかけた。

 結果、露骨すぎる不審な眼差しを突き付けられただけで感想を得ることは出来なかった。


 くそっ、これだから美的センスのないやつはダメなんだ……。


 だんだんと登校してくる生徒の数も増え、雑踏に紛れる格好となってますます俺の写真に気を留める生徒はいなくなった。


 端っこの物陰に身を潜めることに疲れを覚え、これ以上ここにいると精神衛生上よろしくないと自分に言い聞かせて教室に向かおうかと思った矢先、


 ――一人の女子生徒がパネルの前で足を止める姿が映った。


 取り立てて特徴を探す方が難しいと思えるモブキャラみたいな小柄な女子生徒だった。


 肩を竦めて猫背気味に曲げた背中のまま、パネルの正面に立ち止まってぼんやりとではあったが明らかに写真を見上げている。


 一瞬、俺にしか見えていない亡霊みたいな存在なのかと自分の目を疑った。


 それくらいには我知らず自尊心を傷付けられて疲弊していたらしく、同時に胸の奥からむくむくと湧き上がってくる高揚感のおかげで気疲れがどこかに吹き飛んでいった。


 ほほう、そうかそうか。わざわざ立ち止まってそんなにまじまじと見つめたくなるとは、見た目に反して芸術的センスがあるぞモブ女子よ。

 ありがちなRPGの最初の村で何度話しかけても、「ここは旅立ちの村よ」としか言わない村人Aみたいな雰囲気なのに見上げた感性の持ち主だな。


 そうなれば必然的に、次はモブ女子のことが気になってきた。


 ここは現実世界で旅立ちの村ではない。モブ扱いし続けるのも気が引けてしまうし、さすがに固有の名前くらいはあるだろう。

 君が立ち止まって熱い眼差しで見上げている写真の撮影者様が、直々に声をかけて差し上げようではないか。


「いい写真だな」

 玄関の隅から足を忍ばせつつ近付き、顎に指を添えながらさりげなく声に出してみる。


 美術館とかに稀にいる、やたらと独り言の大きい見識者ぶっている嫌味な奴みたいになったが仕方ない。いい写真であることは間違っていないのだ。


「――えひっ!?」

 するとモブ女子は引っ叩かれでもしたみたいに小柄な身体を仰け反らせ、愕然とした表情でそろそろと俺に視線を寄越してきた。


 疑う余地さえなく、うっとうしい前髪越しの目に怯えの色をくっきりと浮かべて震わせている。

 おっと、いきなり話しかけたから驚かせてしまったかな? 美術館に出没する自称見識者たちは声のかけ方には気を付けろよ、こんな感じになるぞ。


「俺は一年二組の深瀬真影だ。お前は?」

「え……? あ、あの……、ヤマナシです……」

「ほほう、ヤマナシか。いい名前だな」

 正直、この上なく普通の名前だった。


 苗字まで絶妙にモブっぽいと言ってはさすがに失礼だろう。しかしこのヤマナシは俺の写真の良さに気が付いて足を止めたのだ。そんじょそこらのヤマナシとはわけが違う。選ばれたヤマナシに違いない。


「背中を向けた少女のワンピースが風になびいている様が、春の風の柔らかさと少女のはかなさを表しているみたいで美しいと思わないか? 思うよな?」

「……えぁ、……うぁ」

 腕組みして頷きながら同意を求めてみたが、ヤマナシは声を詰まらせながら口をぱくぱくと動かして息を漏らしている。どうやら感動のあまり声にならないと見える。


 そうとなれば、具体的にどう感動したのかを知りたくなるのが撮影者の性だ。


 ふふん。君にそこまでの感動を与えたこの奇跡の一枚を撮影したのが誰であるか、感動にさらなる驚きを付け加えて差し上げようじゃないか。




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