第17話 ハンドクリームを作ろう1


 夜の石けん作りは順調に進んだ。

 石けん屋から買ったレシピを参考にしながら、鍋で熱したオリーブオイルにオカヒジキの灰を混ぜていく。

 木箱に流し入れて日陰に置いておくと、数日でずいぶんと固まってきた。


「先輩、すごいです。きちんと固まっています」


 木箱の石けんを指でつついて、リリアが目を丸くしている。

 流通しているどろどろ石けんと違い、弾力のある硬さになっていた。

 私は笑って首を振る。


「いいえ、まだ熟成が足りないわ。一ヶ月程度はこのままにして、しっかり固めましょう」


 石けんの熟成を待つ間に、もう一つ作りたいものがあった。

 それはハンドクリームだ。

 石けんの改良で手荒れと汚れ落ちは良くなるが、それでも秋冬の水仕事はつらい。

 手にあかぎれを作っているメイドたちは、見ていて気の毒なのだ。


 ハンドクリームの作り方も、前世の親友Kちゃんのおかげで覚えている。

 ありがとう、Kちゃん。

 あなたの手作りコスメのおかげで、こんなところで助かっているよ。


 とうわけで、ハンドクリーム作りに取り掛かった。

 まずは材料集めである。


「ハンドクリームの基剤は、蜜蝋。それにオリーブオイル。好みでハーブの精油」


 蜜蝋はこの国でも売っている。

 ミツバチの巣から採れるロウだ。

 高級ロウソクの材料である。

 ユピテル帝国ではハチミツのために養蜂が盛んに行われているので、蜜蝋は手に入りやすい素材だった。


 オリーブオイルもすぐに手に入る。

 問題は精油だった。

 この国には精油というものが存在しない。


「精油を作るには、蒸留するんだったかな。蒸留器なんてないよね……」


「何の話ですか?」


 私の独り言にリリアが反応した。


「ハンドクリームを作ろうと思ってるの。いいハンドクリームには精油が必要なのだけど、入手法を思案していて」


「精油ってなんですか?」


「植物の成分を抽出した、いい匂いのする香料よ」


「油なんですよね、香油じゃ駄目なんですか?」


「うーん……」


 確かに香油は存在するが、それは単にオイルに香りを足したもの。

 どうせならばきちんと植物の成分を精油として抽出して、クリームに入れたい。

 そのほうが効果が安定するし、衛生的にも安心できる。


「香油より精油のほうが、いいハンドクリームになるわ。そうだ、ガラス工房を訪ねてみましょう」


 そこで私たちは時間を作って、ガラス工房を訪ねた。

 石けんの材料、オカヒジキの灰を譲ってくれた小さな工房である。


「おや、メイドさんたち。今度は何の用だい?」


 工房主は愛想よく私たちを迎えてくれた。


「作ってほしいものがあるんです」


 私は蒸留器の説明をした。

 フラスコが一つ、それからガラスのパイプ。冷却器とビーカー。

 話を聞いた工房主は、困ったように頭を掻いた。


「フラスコとビーカーとやらは作れるけど、そんなに長くて細いパイプは難しいなあ。冷却器もどうだろ。金属製じゃだめなのかい?」


「金属は、金属そのものが溶け出してしまう危険があるので」


 特にユピテル帝国の細工用金属は、鉛が多い。

 鉛は中毒にもなる金属だ。できれば避けたかった。

 冷却器でイメージするのはぐるぐると螺旋を巻いたガラスパイプだが、そこまで高度でなものでなくていいだろう。

 まっすぐのパイプの一部に冷却器を取り付けて、冷水で満たすなどの工夫をすればなんとかなるはずだ。


「うちのガラス工房では、吹きガラスと型押しガラスを主に作っているんだよね。パイプは型押しでいけるかねぇ……」


 吹きガラスは棒の先にくっつけたガラスを息で吹いて整形する技法。

 型押しガラスは熱して溶かしたガラスを型に流し込んで、冷まして整形する方法だと説明してくれた。


「型から作るとなると、また別の職人さんに頼むことになるでしょうか」


 私が聞くと、工房主はうなずいた。


「そうだね。鋳物職人に頼まないといけない。というかメイドさんは、なんでそこまでしてパイプを作りたいんだ?」


「ハンドクリームを作ろうと思っていまして」


 私はハンドクリームの件を説明した。

 メイドたちがあかぎれで困っていること、軍団兵たちも金属鎧が肌に当たって痛めている話をする。

 すると工房主は深くうなずいた。


「実は俺も肌荒れで困っているのさ」


 手袋を取って差し出した手は、やけど痕だらけだった。

 あちこちの皮膚がひきつって痛々しい。

 私が思わず彼の手を握ると、工房主は慌てて手を引っ込めた。


「火を扱う仕事だからね。こうなるのは仕方ない。けど、少しでも痛いのをマシにできるなら、ぜひ協力させてくれ」


「もちろんです。やけどの傷に効く精油もあります。できあがったら、工房主さんに使ってほしいです」


 Kちゃんがやけどについて言っていたのを、思い出す。


「よし。それじゃあ鋳物屋に掛け合って、パイプの型ができるよう相談してみるよ」


「私も行きます。ちょうどいい形を説明したいですから」


 そうして私たちは鋳物屋で型作りをした。

 ガラスのパイプは繊細な作りである。

 薄すぎても分厚すぎても強度がおかしくなるし、冷却器も必要だ。


 ガラス工房主と鋳物職人は意見を戦わせて、何日もかけて型を作った。

 同時にフラスコとビーカーも作ってくれた。

 本来であればガラス製品は、それなりのお値段がする。

 けれど工房主は「俺らの職業病のやけどをマシにしてくれるんだろう。だったらお金はいらないよ」と笑っていた。


 やがてガラスのパイプも実用に耐えるものができあがった。

 私は器具を受け取って、工房主に約束する。


「やけどに効くハンドクリームができあがったら、一番に工房主さんに持ってきますね」


「嬉しいこと言ってくれるねえ。頼んだぜ」


 さあ、次はいよいよハンドクリーム作りだ。

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