第16話 石けんを作ろう
一つ思いついた。
前世で旅行に行ったとき、ガラス工房に立ち寄ったことがあった。
そこの解説で『古代においては、塩生植物の灰を利用したものがありました。塩生植物は通常の植物よりもアルカリ性が高く、利用しやすかったのです』という一文があったのだ。
そのときの私は、「ガラスって灰を使うんだ!」と驚いただけだったが。
塩生植物は塩分を含む土壌に生える植物のこと。
岩塩地帯とか海辺の土地がそうだ。
有名なところではオカヒジキなんかである。
それから油脂も工夫しよう。
とりあえず獣脂は駄目だと思う。だって臭いもの。
ユピテル帝国はオリーブが名産なので、オリーブオイルなら手に入りやすい。
前世でもオリーブ石けんはよく見かけた。うってつけだ。
翌日、材料集めを始めた。
オリーブオイルは料理長に頼めばすぐに分けてもらえた。
「オカヒジキはありますか?」
「なんだい、それは?」
オカヒジキは日本では食用野菜だったが、この国では食べる習慣がない。
ちょっと困ったが、思いついた。ガラス工房に行けばあるかもしれない。
要塞町にも小さな工房が一つだけある。
さっそく訪ねてみると、予想通り在庫があった。
「ゼナファ軍団のメイドさんが、どうしてオカヒジキを?」
「うふふ、秘密です。できあがったらお披露目しますよ」
ガラス工房の職人は首を傾げていた。
焼いて灰になったものを買い取る。
資金は物語を売ったお金だ。
こういうとき、手元にお金があるとたいへん助かる。
それから料理長に頼んで、夜に厨房を使わせてもらうことにした。
石けん作りでは火を使う。
一番小さいかまどの火を残しておいて、作業で利用した。
リリアと数人のメイドたちで作業をしていると、不意に声をかけられた。
「よう、メイドちゃんたち。こんな夜になにやってんの?」
振り返ればクィンタとベネディクトが立っている。
クィンタはベネディクトの肩に腕を回して、親しげな様子だ。
ベネ×クィきた――!!
内心の興奮を顔に出さないように苦労しながら、私は答えた。
「新しい石けんを作っています。もっと肌に優しくて、もっと汚れ落ちのいいものを」
「へえ?」
「今のままではメイドのみんなの肌荒れがひどくて。困っていたんです」
「あぁ、いいねぇ。メイドちゃんたちがもっときれいになれば、俺らも嬉しいってもんだ。もちろん、今のままでもみんな可愛いけどな!」
軽口を叩くクィンタの横で、ベネディクトは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
うむうむ、あの二人はそうでなくては。
私は続けた。
「メイドだけじゃありませんよ。兵士さんたちのお風呂にも役立つはずです。今の金属ヘラの垢すりより、肌に優しくてしっかり汚れが落ちる石けんになりますから」
「……ほう」
今度はベネディクトが口を開いた。
「兵士たちは金属の鎧を身につける関係で、肌を痛める者が多い。一度痛めてしまえば、垢すりすらできない有り様だった。きみの言う通りのものがあれば、清潔を保つのに一役買うだろう」
「お、いいね! 俺も肌が弱くってさー。フェリシアちゃんに優しく洗ってもらいたいなぁ……いてっ」
クィンタはベネディクトの肘鉄を受けて崩れ落ちた。
容赦のない一撃だったようで、目に涙を浮かべている。
良いベネ×クィいただきました――!
そっと周囲を見渡せば、メイドたちも頬を赤らめてギンギンの目をしていた。
「何か手伝うことはあるか?」
メイドたちの迫力にちょっと引きながら、ベネディクトが言う。
「今のところは大丈夫です。試作品ができたら、お二人にも届けますね」
「ああ、よろしく頼む」
「めちゃ楽しみ」
ベネディクトとクィンタはそれからも厨房に残って、私たちは楽しく雑談をしながらベネ×クィを摂取した。
そして、メイド部屋に戻ってから。
私は今日の潤沢なベネ×クィを思い出してにやにやとしていた。
『あー、ベネ×クィいいなぁ。ちょい悪のクィンタが真面目の塊のベネディクトをどう落とすか、妄想が止まらない』
脳内で私Aが言った。
『落とすとかじゃないでしょ。ベネディクトのほうがむしろ惚れていて、でも男同士だからって悩んで、それでも親しく接してくるクィンタに我慢できず襲いかかっちゃうんだよ』
私Bが反論する。
『ていうか、ベネ×クィで左右固定なの? 逆のクィ×ベネの可能性はないわけ?』
さらに私Cが出張ってきた。
私Aは思い切り首を振る。
『ないない! ベネ×クィで固定! 真面目攻めは正義!!』
私CはAに掴みかかった。
『なんでよ! クィンタ色気あるじゃん。堅物のベネディクトを籠絡してモノにするシチュ、萌えるでしょうが!』
そこに私Dが登場した。
『クィ×ベネがいい。でも、誘惑するのはベネディクトのほう! 真面目が下手なりに必死に心を引こうとする姿、これこそ至高っ』
さらには私EやFまで登場し、脳内はしっちゃかめっちゃかになった。
もはやカオスである。
主人格である私でさえどうすることもできず、しかしながらどの意見も萌えるので困ったと思っていたら。
乱闘現場の隅っこのほうから、小さな声がした。
『どれも、すごくいい。だから、ベネ×クィ×ベネがいい』
『えっ、それは……』
殴り合いをしていた私たちが一斉に振り向いた。
視線の先のフェリシアはビクッとなりながらも、それでも胸を張って続けた。
『リバがいい! 受けも攻めも、そのときで変わるの!』
『あら……いいじゃん』
『悪くないわ』
さっきまで取っ組み合いのケンカをしていた私たちは、うんうんとうなずき始めた。
そして私は気付いた。
あのフェリシアは、私ではない。
あのフェリシアは――。
『私の中に残ってくれたのね、フェリシア』
あの子は、この体の本来の持ち主。
池に沈んで死んでしまったと思っていた、小さなフェリシアだ。
彼女は私の手を取って、はにかむように笑った。
『うん、そうだよ。私の居場所を残してくれて、ありがとう。私と一緒に生きてくれて、ありがとう……』
『そんな。あなたがいるのなら、この体を明け渡すよ。もう実家とは縁が切れて、楽しい場所にいるんだ。きっとフェリシアも気に入ると思う』
『知ってる。実家に残っていたのも、お母様の形見を持ち出してくれたのも、わたしと思い出をつなぐためだよね。でも、これからもあなたが生きて。私の命はあの日、終わってしまったの。だからわたしは、あなたの心の片隅にいられるだけで満足してる。あなたはこれからも生きて、楽しいこといっぱいして、たくさん萌えてね』
そうだ。そうだった。
ある程度の年齢になっても実家を飛び出さなかったのは、それが正しいか分からなかったからだ。
この体は本来、フェリシアのもの。
いくら辛い環境でも、彼女が生まれ育った家を勝手に出ていいか判断に迷ったんだっけ。
『フェリシア!』
『いつでも交代していいのに!』
『いい子すぎるぅー!』
『もっと自己主張していいんだよ!』
脳内の私たちが次々とフェリシアに押し寄せた。
なんかもうわけの分からない状態になりながら、みんな泣いていた。
私とフェリシアは泣いて泣いて、涙が枯れる頃には笑顔になっていた。
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