第15話 寒さと肌荒れ


 本屋に物語を託した私は、また日常に戻っている。

 帝都で人気が出るには、もうしばらくの時間がかかることだろう。

 今は妄想をしながら待つ時期である。

 折しも季節は秋が深まる頃。

 だんだん寒くなってきて、水仕事が大変な時期になった。


 給湯器などないから、皿洗いや洗濯は冷たい水で行う。

 手がかじかんでしまうし、肌荒れもひどくなった。


「痛っ」


 皿洗いを終えて手を拭いていたリリアが声を上げた。

 見れば手があかぎれになって、血が滲んでいる。


「見せて。気の毒に」


「えっ。あの、フェリシア先輩?」


 リリアの切れた指先を、両手のひらで包んだ。

 いつぞやクィンタの傷を治したように、治れ~治れ~と念じてみる。

 けれど光魔法は発動しなかった。

 いつもこうだ。

 光魔法が成功したのは最初の一度きりで、何度練習しても上手くいかないのである。

 あのときのあれはまぐれで、やっぱり光魔法など存在しないのでは……と、最近は思っている。


「ごめんね、リリア。力になれなくて」


 しょんぼりして言うと、リリアはぶんぶんと首を振った。


「いいんです。メイドをやっていれば、みんなこうなります。名誉の負傷みたいなものです!」


 お互いくすくすと笑い合う。

 けれど名誉の負傷とはよく言ったものだ。

 メイドたちはほとんど例外なく肌を痛めている。

 私は今年入ったばかりの新人だから、まだマシだが。それでも冬になれば、もっと肌荒れを起こすだろう。


 光魔法がアテにならないなら、他の方法を考えないと。

 指先をさすっているリリアを見ながら、考え始めた。


 ユピテル帝国では石けんは一応あるのだが、決して品質がいいとは言えない。

 どろりとした半液体状のしろもので、汚れの落ちは悪い。

 もちろん肌にも悪い。

 これで食器洗いから洗濯まで全てをこなすのだから、大変だった。

 そして使い勝手が悪いものだから、浴場では使われていない。

 浴場の垢すりは昔ながらの金属ヘラで擦り落とす。これはこれで不便だった。


「この石けん、もっとどうにかならないかしら」


 厨房で皿洗いをしながら呟くと、料理長が返事をした。


「どうにかと言われてもねえ。石けんというのは、こういうものだろう?」


「これ、どうやって作られているのでしょう?」


「さてなあ。納品業者が今度来るから、聞いてみるかい?」


「はい、お願いします」


 そんなわけで、石けん納品に立ち会わせてもらった。

 石けんはどろどろの半液体なので、壺に入れて持ってくる。

 壺自体が重いし、運ぶにも保存するにも不便だ。


「この石けんは、もっとしっかり固まらないのですか?」


 石けん屋は首を振った。


「石けんはこういうものですから。昔からそうです」


「作り方は、油と灰を混ぜる?」


「よく知ってますね。そのとおりです。油、うちでは安く手に入る獣脂を使っていますよ。そんなに難しい製法じゃないので、あちこちで作られていますが」


「もっと工夫すれば、質の良い石けんを作れると思うの」


「え?」


 石けん屋は困った表情になった。


「そう言われても、今のままで別にいいでしょう。下手なことをして失敗したら、うちみたいな小さい石けん屋は倒産してしまいます」


 うーん。

 この様子では業者に頼むより自分で作ったほうが早そうだ。

 とりあえず、石けん屋のレシピを買い取った。

 秘蔵のレシピというほどではないので、お値段も高くはない。


「それじゃ、今後ともよろしく」


 型通りの挨拶をして石けん屋は去っていった。







 夜、メイド部屋に戻って、石けん屋のレシピを改めて眺めた。

 リリアやメイド長たちが覗き込んでくる。


「何を見ているんですか?」


「石けん屋さんからレシピを買ったの。工夫してもっといい石けんが作れないかと思って」


「石けんを作る? またおかしなことを考えるわね」


 と、メイド長。私は微笑んだ。


「あのどろどろの石けんは肌に悪いし、汚れの落ちも今ひとつでしょう。もっと良いものができれば、肌荒れも汚れ落ちも改善されると思うの」


 幸いにして物語の執筆は一区切りがついている。

 余裕ができた時間は石けん作りに当ててみよう。


「先輩は、いろんなことを考えるんですね」


「少しでも役に立てたら嬉しいのよ」


 石けん屋のレシピでは、豚の脂と薪を焼いた普通の灰を使うとある。

 私は前世で聞きかじった記憶を思い出した。

 BL友にして親友のKちゃんは、手作りコスメが大好きだった。

 石けんも作っていたし、化粧水やクリームも材料を集めて作っていた。


「成分とか香りとか、使い心地とか。自分好みにカスタマイズできて楽しいんだよ」


 そんなことを言っていたっけ。

 Kちゃん、元気にしてるかな。

 あと、生前の約束通り私のパソコンとスマホを始末してくれただろうか。BL妄想たっぷりで人に見せられないデータの数々を!


 それはともかく、前世のような質の良い石けんには『苛性ソーダ』が必要だったはずだ。

 苛性ソーダは強アルカリの物質。別名を水酸化ナトリウム。

 あれは工業的に作られるものだったはず。

 そんなものはこの国では手に入らない。

 他に代替品はないだろうか?


「あ、そうだ。あれはどうかしら」

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